小象のためのサーカス・ポルカ

相当なクラシックファンの間にも、あまりその名が知られてない曲がある。
ストラヴィンスキーが作ったこの曲、実はあるサーカス団の依頼に寄ってのことだそうだ。

ウイキペディアによれば、「1942年、ニューヨークのバーナム&ベイリー・サーカス団の委嘱によって、像のショウのための曲として作曲された。」とされている。

この曲にあわせ、50頭の象が衣装をまとってマジソンスクエアガーデンにおいてダンスをしたと伝えている。

管楽器が中心の陽気なポルカだから、あたかも像が足を踏みならしたり、鼻を上下にゆすらせて踊るようなダンスにふさわしい曲と思えるが、面白いことにこの曲後半部にはシューベルトの「軍隊行進曲」のパロディーが聞こえてくることだ。

ストラヴィンスキーは、「戦象」をこの曲のモチーフにしたのだろうか。

ちなみに「戦象」とはポエニ戦争において、カルタゴの将軍ハンニバルが37頭の戦象を連れてアルプス山脈を越え、イタリア半島に侵入を試み、ローマを大いに驚かせたという歴史的事実がある。

またペルシアのダレイオス3世はアレクサンドロス大王率いるギリシャ軍に対して戦象を運用した。

アレクサンドロスがインドに侵入した際、ヒュダスペス川の戦いで、パンジャブ王国側は200頭の戦象を運用した。

ディアドコイ戦争では、戦象はより積極的かつ大規模に用いられた。紀元前301年のイプソスの戦いでは、両軍合わせて500頭近くの戦象が運用された。

1526年のパーニーパットの戦いで、ロディー朝側は1000頭もの戦象を運用した。


以上の歴史的事実から、古代インド中近東では、象が戦いのための重要な戦力であったことが知れる。

ストラヴィンスキーは、このような歴史的事実を知っていて、像のダンスに・・・といっても、50頭の像の踊りは圧巻であろうから、単なるダンスとは思えなかったのか、あるいはものすごい皮肉を込めて、「軍隊行進曲」をパロディとして挿入したのではなかろうか。

おどけたポルカを踊る像の歴史に潜む戦争の残酷性。

そういえばハンニバルの遠征では、過酷なアルプス超えで、生き残った像は37頭のうち、たった3頭に過ぎなかったといわれている。

ストラヴィンスキーは、この曲の中に「戦争」に対する強い反対の意を込めたのかもしれない。

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小生はこの曲の存在を、ヘルベルト・ケーヘル/ドレスデンフィルの商品州の録音によって知ることとなった。

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他の演奏を当たってみたが、極端に録音は少なく、カラヤン、マルケヴィッチぐらいしか見当たらなかったから、よほどストラヴィンスキーの曲にしては、よほどマイナーな曲なのであろう。

ケーゲルという変わり者の指揮者の演奏で聞くと、「笑いの中の狂気」とでもいえるような、曲想に聞こえてくるから、かなり怖いものがある。

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by noanoa1970 | 2008-11-20 11:34 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)