ドイツ系指揮者によるチャイコフスキー

久しぶりにチャイコフスキーを聞いた。

チャイコフスキーという人の音楽は、それを極端に好きな人と、その反対、極端に嫌う人を(クラシック愛好家と呼ばれる人の中でも)、2分する作曲家のように思われる。

このことはおそらく、その音楽の親しみやすさというものが背景にあるのではないだろうか。

親しみやすさといったが、そのほかにも決定的な要因があって、それはその音楽が「大業で大袈裟な感情表出」(有名な後期3曲の交響曲に代表されるような)のように聞こえることが多いからなのかもしれない。

そのことが多分、好き嫌いの分かれ目の大きな要素の一つであり、しかも極端なそれとなっているようなところがある。

学生時代の音楽サークルにおいても、そのことは割とハッキリとした現象で、アンチポピュリズムというような、自己アイデンティティをやみくもに高めるという意図も手伝ってか、チャイコフスキーはあまり評価されなかったようだった。

したがって交響曲でいえば、交響曲第4番が好きという人の存在は認められても、交響曲 第5番、ましてや交響曲 第6番「悲愴」が大好きであると公言する人(中には隠れチャイコフスキー好き人間がいたことはあったと思うが)はあまりいなかったのである。

そしてチャイコフスキーが大好きという人を、小馬鹿にするような風潮が確かに存在したから、チャイコ隠れ大好き人間は、肩身のせまい思いをしていたのだと、今考えれば思はぬでもない。

小生はといえば、積極的にチャイコフスキーを聞いたほうではなく・・・というよりも、有名音楽家の中で、極端にその音楽に触れてこなかった一人である。

それは今でも続いていて、3大バレーなどは全部聞いたことが未だにないし、初期の交響曲ですら、10年前にCDを入手してやっと聞いた程度。

室内楽ではアンダンテカンタービレが有名な弦楽四重奏曲第1番、 ピアノ三重奏曲「ある偉大な芸術家の思い出のために」という、いかにも・・・といった曲しか聞いていない。

オムニバス音盤によく収録されているような以下の曲
序曲「1812年」、弦楽セレナーデ、イタリア奇想曲、スラヴ行進曲 。

あとは、クラシック初心者定番のバイオリンそしてピアノ協奏曲。
そして愛らしいピアノ曲集「四季」。

以上がこれまで聞いてきた音楽だから、他の有名音楽家と比較すれば、聴いてきた作品が極端に少ないといえる。

オペラに至っては、未だに全く聞いたことがないという不届き者だから、小生にとってチャイコフスキーは、好きとか嫌いの概念を超越したところの存在であるわけだ。

そんな小生が思い出したようにして、チャイコフスキーを聞こうと思ったのは、今から45年ほど前のこと、聴き始めのクラシック音楽のLPの中に、「レオポルド・ルートビッヒ」という・・・当時は無名で今もあまりその名が知られてはいない指揮者の交響曲5番と6番があり、そんな小生のチャイコフスキーの交響曲の初体験の5番のLPが、最近になって世界初CD復刻されたからであった。

ハンブルグ国立フィルハーモニー管弦楽団を束ねての1960年の録音だというから、小生が聴くことになった2年前の録音ということになる。

演奏がよかったからというより、少年時代のある種ノスタルジー的意味が強く、当時の懐かしい思い出の再現を狙って、今回入手したものである。

LPはかろうじて今も残ってはいるが、再プレスだし傷が多く入っているし、聴くのには忍びない感じがして、どうも足が遠のいてしまっていたから、今回の復刻は小生にとっては貴重な宝物の存在であった。

・・・続く

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by noanoa1970 | 2008-11-03 10:49 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)