NO ANSWER by Michael Mantler

少しばかり毛色の違う曲を聞きたくなって、探し出したのがマイケルマントラーが作った「ノーアンサー」。

このLP、入手したのは、ルカーチ、ブロッホ、ゼーガース、の「表現主義論争」を読んだ頃、同時に「実存主義」という思想にも少し興味を持った学生の頃のことであった。
(と思っていたが、実際には入手は1974年だから、そうではなかったが、「表現主義」「実存主義」には少なからず影響を受けていたと思われる)

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マイケルマントラーという人は、1943年ウィーン生まれのトランペット奏者・作曲家である。JCOAやWATTといったレーベルの創設者としても有名、このアルバムにも登場している、「カーラ・ブレイ」の2度目の夫であリ、66年にカーラ・ブレイと共に結成した「ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ」でフリージャズ界に新たな潮流を生み出したとされる人物である。

2人ともフリージャズやプログレッシブロックの分野など活動は多岐にわたるが、それぞれの分野からは異端視されることが多く、このアルバム「ノーアンサー」においても、それは言えるのだろう。

サミュエル・ベケットというアイルランドの作家がいて、「不条理戯曲・演劇」の代表のように扱われて、「ゴドーーを待ちながら」という作品で有名であるが、マントラーの「ノーアンサー」は、ベケットの「how it is」という作品をもとに作られたもの。

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それをロックバンド「クリーム」のベーシスト「ジャック・ブルース」、フリージャズポケットトランペット奏者の「ドン・チェリー」、そしてジャズピアニスト兼作曲家「カーラ・ブレイ」の共演で録音されたものである。
発売は1974年WATTレーベル

出演者の顔触れを見るだけで、そこから聞こえる音楽の得体の知れなさが予測できるし、ベケットの小説に基づいて、マントラーが作ったとあらば、ますますその奇妙さが推測可能だ。

ベケットの「how it is」については情報が乏しく、やっとのことで、『事の次第』と訳されていることが判明。

しかし『事の次第』についての中身の情報は皆無に等しいので、詳細は不明だが、句読点を用いない手法によって書かれた後期の長編小説だといい、それに基づいた劇「クァクァ」:鈴木理江子主宰スリーポイントの公演があったことが分かった。

その解説によると、
「ベケット最後の長編小説『事の次第』。
袋一つを持ち泥の海を這い進む主人公がピムと呼ばれる何者かと出会い、別れるまでの<事の次第>が、「ピム以前」「ピムと一緒」「ピム以後」の三部構成で語られる。
真剣ゆえにそこはかとなく滑稽なやりとり、そこにときおり差し挟まれる美しい過去のイメージ。
それらを描き出すテキストは、いっさいの句読点のない独特の文体で書かれているが、これは単なる紙の上の実験ではなく、むしろこの作品に至る10年のあいだにベケットが踏み出した、戯曲やラジオ作品における声や息の領域の探索に深く根ざしたものだといえる。
いわば身体へと宛てられた、この特異なテキストに秘められた可能性を、新訳・翻案により、二人の俳優の身体と声をとおして舞台化する。」

以上のような解説があった。
解説を読むと、そのストーリーの奇抜さに、まるで「つげ義春」のマンガを見ているような錯覚に陥ってしまった。

また、『ベケットの解読』 真名井拓美著によると
「作家サミュエル・ベケットの40歳以降の小説作品のほとんどが胎内意識に基づくものだ──そう感知した作家真名井拓美は、そのことをベケットに告げた。そしてベケットはそれを認めたのである。
ベケットの作品には胎内記憶と明記したものはない。
だが所々にそれを反映させた記述を見い出し、はては胎内記憶を持つ者だけが知りうる描写を発見したという。

例えば、ベケットの小説『事の次第』は「出生時のうちでも、胎児の頭が子宮から産道に入った後の時点から出生直前までの思考ないし意識の流れが、細大洩らさず記述された文学作品である」と実に克明である。」・・・そのように書いている。

そして、句読点のない記述手法をとったことの意味を、ジョイス流の「意識の流れ」であるとする向きもある。

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さて、マントラーの「ノーアンサー」であるが、恐らくはベケットの意図したであろう、「言葉を縮減して声に還元し、イメージの生成のプロセスと化していく」または、「句読点のない言葉を語ることによる思いがけない音楽性」(リエゾンのように)を、ハプニング的に、あるいは即興的に、ある種の音楽的束縛から解放する、つまり調性や形式から自由になろうとする新しい試みがあったのではないだろうか。

実際に音楽からは「ノーアンサー」という言葉が呪術のように随所にちりばめられ、しかもそれが前衛的音楽手法によって支えられ、突き放されたもののように聞こえてくる。

ただし、シェーンベルクなど新ウイーン派の音楽を、その当時かじり始めたころであったから、12音技法のようにマントラーの音楽が聞こえ、ロック、JAZZの世界では多分画期的であったであろうその音楽も、所詮はクラシックの前衛の「亜流」としてしか認識しなかった思いがあった。

ただし、非クラシック分野においては、フリーJAZZとプログレッシブロックの融合などという言葉で語られたようにも思える、1970年代初めとしては前衛的で、実験的な試みとされた可能性も捨てがたい。

このLPを聴かなくなってからすでに30年以上がたち、今改めて聞いてみると、当時「前衛音楽」あるいは「現代音楽」というものに初めて接した時の驚きと違和感は全くなくなっていて、むしろなにがしか耳になじんでいることが実感としてわかったのには、自分ながら驚くことであった。

しかしこのアルバムについての詳細情報も、この録音についても、一切の情報がないことには驚いてしまった。

超レア盤であることは間違いないと思うのだが、その存在がもともと知られていないとすれば、どうしようもない。

恐らく「カーラ・ブレイ」、「ドン・チェリー」、「ジャック・ブルース」そして「マイケル・マントラー」それぞれのコアなファンでさえも、この録音のことは知らないのであろう。

ベケットの「事の次第」も、とっくに廃版で、復刻希望が出されているし、古書では数万の値段が付いていることが、時代を感じさせる。
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by noanoa1970 | 2008-10-31 10:40 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(1)

Commented by きちえもん at 2015-06-25 13:53 x
はじめまして、このアルバム「NO ANSWER」を検索していてたどり着きました。私はジャックブルースのファンで彼の参加アルバムを収集しているのですが、これについてはまったくといっていいほど情報が無く、収録されている音楽も正直ワケがわからんという状態なので手放そうかなと思っているところです。今まさに聴きながらこのコメントを書いているのですが、昔よりワケわからん度は減っているように感じます。同じLPを持っている方の考えを拝見できて楽しかったです。