昨日眼科の定期検診に行って、眼圧の検査をしていた時、先生に「なんだか熱っぽい感じがある」といわれた。

ここ10日ほどの体調不良がまだ影響しているかと思ったが、あいにく家の体温計がすべて壊れている状態だったから、体温測定はしていなかった。

それで病院の帰りに体温計を購入して測ると37度あった。

普通の人なら体温37度は少し平熱より高いというだけのことだが、小生の平熱は35.5度~36度と普通の人よりも低いのだ。

学生時代に風邪を曳いて熱が出て寝込んでいるところに友人が来て、37.5度熱があるというと、「お前そんなこと言ってると本当に熱が出るぞ」と、小生がフーフー言っているのを仮病だと思い信じなかったことがある。

平熱36.5度の普通人ならば、37.5度は大したことはないが、小生にとっては、普通の人の38度ほどに相当するから、今回の37度も少し高いほうなのだろう。

10日余り体がだるく体の節々と喉が痛かったのは、早い時期の「インフルエンザ」なのだろうか。

今更内科にかかるわけにもいかずに、風邪薬でごまかしながら、時が過ぎるのを待つ日々であった。

昨夜もそうして寝る前に風邪薬を飲んだが、多分それの影響だろう、このところ不思議な夢ばかり立て続けに見るのだ。

ほとんどはすでに記憶から消えてしまっているが、昨夜のものは割とハッキリ覚えている。

見知らぬある町外れを歩いていて、気がつくと立っていたのは、鬱蒼とした森の中。
気がつくと、あたりはすっかり暗くなっていて、不気味だが恐ろしくはない。

昔どこかで見たことのあるような、懐かしさがある。
進んでいくと昭和初期に建てられたような2階建ての木造の校舎風の建物が見える。
明かり・・・たぶん裸電球だろう、が灯っているのだが、人影は誰も見えない。

次に見えるのは、やはり裸電球がともる古い工場の建物。
2階建てで、1階には材木がたくさん置かれているが、人の姿はない。

そこを過ぎて、なおも進むと今度は廃墟が現れた。
アールデコ風の建物が、廃墟と化していて、建物は崖に沿って建てられていて、崖の下には、古い民家の小さい集落がある。

ここはどこだ、どうしてこんなところに居るのだろう、そう思って来た道を一目散に駆け足で帰る。

「そうだこれは夢なのだ、夢に違いない。」
夢の中で、これは夢に違いないと言い聞かせている自分が、得体の知れないものから逃れようとしていることに、自分で気が付いているのも面白いのだが、そう思う根拠がやはり夢の中にあった。

幼児期、高熱が出ると決まって見る夢があり、その夢のことを今でも覚えている。
幼児期には、よく扁桃腺が腫れてすぐに熱を出し、時には譫言を言ったという話を聞かされた。

その譫言とは・・・・
米と麦が喧嘩をする。
小生は米が好きで、米の応援をするために、麦の悪口をいう。
麦が怒って追いかけてくるので、「それ逃げろ・・・とっとことっとこ・・・」。

このとき「麦は嫌いだ、逃げろ、トットコトットコ」ということを、譫言でよく言ったと聴かされていた。

それに加えて、同時に見たのは、暗い船の底か、倉庫のようなところ。
大きな歯車がゆっくりと音をたてて回転している。
奴隷船の櫂のようなものを、一生懸命に漕ぐと歯車が回転する。
漕ぐのを少しでもサボると、何かしらの圧力が体を支配する。
苦しくて喘ぎながらも、仕方なく櫂のようなものを捜査している。

まるで「蟹工船」の労務者のようであるが、そんな夢を必ず見た。

「これは夢に違いない、そう夢の中で思っている自分がいたのは、見知らぬ町外れから、迷い込んだ自分が見た、記憶の底の古い光景と、そこから逃げ出そうと、泥濘の道帰り道を探して、裸足のまま駆け足で、かなり必死になりながら・・・それでもなかなか町がある元の道に帰りつくことができない自分がいて、それが幼児期、高熱を出している最中に見た夢、そして譫言の記憶を呼び覚ましたからに他ならないからだ。

小生の場合、いつも夢というものは、まるでコラージュのように断片的なものが張り付いて来て、それがまとまりのない物語となっていくものだ。

突然のように、海が見える小高い場所の、集会所か野外音楽堂のようなところにいて、周りには見知らぬ人が大勢いる。

後ろを振り返りながら、誰かを探しているのだが、誰を探しているのかはわからない。

何かを叫んでいるのだが、周囲が騒がしくてよく聞こえない。

いつの間にか周囲の騒がしさが消えて、小生の声だけが響いたと思った瞬間、ステージではコンサートが開始される。

ステージには、指揮者が一人向って左に。
真中奥にはコントラバス奏者。
そして右には・・・記憶があいまいだがピアノではないことだけは確か。
木管楽器・・・ファゴットだったろうか・・がいる。

演目はシューベルトの「アルペジオーネ・ソナタ イ短調 D.821 」
これを指揮者付きで、ファゴットが主旋律を、コントラバスが伴奏をするという変わった趣向でやるというのだ。

「アルペジオーネ」というのは、今はもう存在のない弦楽器で、六弦のフレットを持つ・・・ギターのような楽器だとされ、しかもアルコで奏される楽器だという。

現在ではチェロとピアノで演奏されるのが一般的で、小生が今まで聞いた演奏も然りである。

この10日ばかり全く音楽を聴いてないが、なぜ夢に出てくる音楽がシューベルト、しかも最近はほとんど耳にしない「アルペジオーネソナタ」なのだろうか。

この曲、決して嫌いな曲ではないが、とりわけ・・・シューベルトの作品の中でも、好きな曲というわけではないのだ。

熱が少しある夢の音楽で、シューベルトなら、やはり「さすらい」に関係のある曲であるべきだろうに。

ファゴットやコントラバスでの演奏というだけならば、多少通常パターンではないにしろ、面白い試みだと理解は可能であるが、室内楽デュオでは絶対考えられない、指揮者がいて、指揮をしているのだからまいってしまう。

さらに驚くべきこととして、
I. Allegro moderato 13:16
II. Adagio 04:51
III. Allegretto 10:09
以上約30分ある曲の全曲が、夢の中で演奏されたことだ。

小生はこの曲、非常にメロディアスだからよく覚えているほうではあるが、それは大体を口ずさむことができる程度で、とても終楽章までの全部は無理なのだ。

ところが夢の中では、1楽章はファゴットがチェロ部分を、コントラバスがピアノパートを演奏し、2楽章になると演奏者が入れ替わり、指揮者もいなくなって今度は木管楽器奏者ばかり・・・オーボエ、クラリネット、ファゴットが演奏し、終楽章になると金管楽器のトランペットが加わって、面白いことに音を出さずに息を吹き込む音のみで演奏し、とうとう全楽章全部演奏されていまうのだった。

おまけにこのトランペット奏者は、本日のベスト演奏者として、最後に表彰されてしまう。

スーッウとかハーという音しか出さなかった演奏家が表彰されるという、何とも不可思議なものだが、どうもこれは現実ではなく、たぶん夢だろう・・・そう夢の中で思う自分がいることがまた面白い。

夢の中で夢を見る経験は少ないが、夢を見ていてこれは夢なのだと思う・・・それも夢の中の夢なのだろうか ・・・は、少ない経験ではない。

年をとったせいか、高熱ではなかったせいなのか、幼児期のような、暗い地の底のような夢を見る事はなくなったが、昔どこかで見たような、どこか懐かしいがしかし非現実的なコラージュのような夢を時々見ることがある。

そんなわけで今朝は
「アルペジオーネソナタ」を聴くことにした。
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シューベルト/シューマン

シューベルト:
アルペジオーネ・ソナタ イ短調 D.821 [4]~[6]
シューマン:
幻想小曲集 作品73
民謡風の5つの小品 作品102

マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
ミシャ・マイスキー(チェロ)

マイスキーのチェロは小生の好みからは遠いが、アルペジオーネという楽器の特質のような音をチェロで出していると解釈すれば、聞きようもある。
音の深みや響きの厚み、マイスキーのチェロからはいつも遠いものを感じてしまう。
アルゲリッチのピアノとも相性が良くないように感じてしまうが、これしか持ち合わせていないので仕方がない。

シューベルトを感じるには、違う演奏を探さなければならないだろう。

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by noanoa1970 | 2008-10-18 12:35 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

Commented by エレガンス at 2008-10-18 22:11 x
お加減はいかがでしょうか?
体調のすぐれない時に見る夢は普段と違って、妙にリアルに覚えていることがありますね。
夢の中でも「これは夢なんだから」と自覚している辺りは、冷静なnoanoaさんらしい気がします。
でもコンサートの様子(?)をフルに覚えているのは驚きです。
元気になってお好きな音楽をごゆっくり堪能なさってください。
Commented by noanoa1970 at 2008-10-19 17:39
エレガンスさんありがとう。
こんなことは珍しいのですが、なんだか長引いているようです。少し良くなり食欲も戻ったかと思うと、また次の日は、体がだるい感じがします。返信を書いている日曜日は朝から調子が良く、夢ではなく実際にイギリスバロックを聞きました。日曜日の今日は、久しぶりにバロック三昧です。多分来週には回復することでしょう。