秋の歌2つ

今朝家のまん前で「赤とんぼ」が飛んでいるのを発見。
うれしくなって「秋」が来たことを実感した。

この季節必ず流される「小さい秋見つけた」という唱歌、とてもいい歌に違いないのだが、小生はそれよりも思い浮かぶのが以下の2つである。

1つは「里の秋」、そしてもう一つが「あした」という唱歌だ。

「里の秋」はほとんどの方がご存知の唱歌で、昔「川田正子」という童謡歌手が歌っていて、よく耳になじんでいる歌だ。

一方「あした」という歌は、たぶんあまり知られていない…というか時代が終戦直後に遡るから、小生のような団塊の世代の人種でも、この歌を知っている人は少ないだろうと思われる。

小生がなぜこの歌を知っているかというと、小さい時母親が歌っていたのを聞きおぼえたからであった。

なぜ今「秋の歌」としてこの2曲を取り上げたかといえば、「赤とんぼ」を見たということのほかに、その理由は大きく2つあって、1つはそのものズバリ「秋」によって象徴されるものを強く感じるからである。

もう一つは、この2つの歌はいずれも「戦争」に大きく関係した歌であるということだ。

というと、なぜ「里の秋」が戦争に関係するのか、お分かりにならないかもしれない。

「終戦」は8.15であるという教育を受けてきた小生が、本当の「終戦」は、1945年9月2日 、日本が連合国軍戦艦ミズーリ号艦上で降伏文書に調印し、公式に降伏したことで第二次世界大戦が公式に終結することになったことを知って、「終戦」は早い秋のことであったという事実、そして8.15以降もなお、日本本土を爆撃する米国爆撃機が飛来し、多数の死者を出したということ、ガダルカナルなど南方では、天皇の玉院放送を知らずに戦争中であったこと。

満州ではソ連の参戦があり、それに脅かされていたことなどなどの事実があって、8.15は戦争終結の日ではないという認識に立たされることとなった。

もちろん一部には、9.2以降も終戦を知らずにいた兵士たちがいたという事実はあったのだが、それは情報が届かなかったからで、9.2に至ってようやく軍部も敗戦を認め、兵士たちに正しい情報をはじめて流すにいたったということであろう。

出兵した兵士たちは、その日から徐々に日本本土に引き上げてくることになるのだが、この2つの歌は、戦争に行った父が戦地から無事に引き上げて帰ってくることを祈るような歌なのである。

「里の秋」の歌は、1番かせいぜい2番、まれに3番の歌詞しか歌われないことが多いので、気がつかない方が大勢おられると思われるが、実は元歌が存在し、それには4番までの歌詞があったということ、そして実際には3番までの歌詞に手直しされたものが、有名になり、やがて3番の歌詞もあまり歌われなくなって、現在の「静かで美しい里山の秋の中、母親と2人でひっそりと暮らす子供の心情の歌」だと思われているようだ。

作詞:斉藤 信夫 (原詩は『星月夜』昭和十六年十二月)
作曲:海沼 実
一、
静かな静かな里の秋
お背戸(せど)に木の実が落ちる夜は
ああ母さんとただ二人
栗の実煮てます囲炉裏端
二、
明るい明るい星の夜
泣き泣き夜鴨の渡る夜は
ああ父さんのあの笑顔
栗の実 食べては思い出す

三、
きれいなきれいな椰子の島
しっかり護って下さいと
ああ父さんのご武運を
今夜も一人で祈ります
四、
大きく大きくなったなら
兵隊さんだようれしいな
ねえ母さんよ僕だって
必ずお国を護ります


以上の歌詞のように、斉藤 信夫 の原詩は『星月夜』といい、昭和十六年十二月の作品であったが、1945年12月、NHK「外地引揚同胞激励の午後」という番組で発表され復員兵を迎える歌として、本来兵隊さんを迎える歌詞上記三・四番をカットし、『里の秋』として世に出ることになったという。

海沼の情緒的なメロディーと、齋藤の思いのこもった歌詞が人々の心をとらえ、その後もNHKの「復員だより」という番組で流し続けられて大反響を呼ぶようになったという経緯がある歌である。

小生は2番の歌詞「栗の実 食べては思い出す父さんのあの笑顔」から、
父親は「出稼ぎ」ではないのではないか、ひょっとしたら戦争に行って帰らない父親ではないのかと・・・幼心に感じていたのだった。

それは朝鮮戦争の記憶がまだ冷めない時期であり、頭上をアメリカ製のジェット戦闘機が、爆音を轟かせて飛び交う光景を見て、話に聞いていた太平洋戦争のようなことが、再び起きるのではないかという恐怖に駆られるとともに、戦地で多くの兵士が死んでいったことを聞いていたからであった。

もう一つの「あした」という歌だが
清水かつら 作詞
弘田龍太郎 作曲

お母さま・・・・
泣かずに ねんねいたしましょう
赤いお船で 父さまの
かえるあしたを たのしみに
お母さま・・・・
泣かずに ねんねいたしましょう
あしたの朝は 浜に出て
かえるお船を 待ちましょう

お母さま・・・・
泣かずに ねんねいたしましょう
赤いお船の おみやげは
あの父さまの わらい顔


この歌は先の2番の歌詞までで歌われた「里の秋」よりは、一層リアルに戦争から復員してくるであろう(ただし消息は不明)父親そして夫の帰りを待つ決意のようなものが感じられる歌だ。

泣かずに待つ決心は、娘自身のことか、母親に対するものか、あるいは両方のことなのか、当時はわからなかったが、今では「娘の決意」・・・母親をこれ以上悲しませないようにと思うやさしい娘の思いやりがとても美しく、そして優しく表現されているように思える。

「赤いお船」は現実離れしているが、少女にとっては父親が乗って帰る船の色は「赤」でなくてはならない。

「赤」であれば、海の青い色の中でも一目瞭然に、父親が乗っていることが分かる。
そんな少女の切ない思いが「赤」に込められているようだ。

そして船で父親が帰還する季節は、少なくとも晩秋まででなくてはならないのである。

9.2から少なくとも2か月以内・・・秋のうちには帰ってきてほしいと誰でもが思ったに違いないと、小生は思っている。

川田正子が2000年に歌ったものがyoutubeにあった。
「あした」も歌っていたが、残念ながら、これはyoutubeには存在してなかった。

「秋」という、季節だけではない「時代の秋」を感じさせてくれる歌が「唱歌」と呼ばれるものの中に存在している。


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by noanoa1970 | 2008-09-12 18:20 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(6)

Commented by pororompa at 2008-09-12 19:27
そういうことであったのですか。
私も、昔から好きな歌でもあり、しかも小学校教員という立場から関心を持っていたのですが、ようやく真相が分かりました。
3番は現在、「お船に揺られて帰られる ああ父さんよご無事でと 今夜も母さんと祈ります」と歌われていますよね。歌詞は戦後なのに、雰囲気は戦前風だな、いったいどういう風に成立した歌だろうと、何か妙な違和感を感じていましたが…。
原詞を見て驚きました。3番はまだ許せるとしても、4番の酷さは許し難いですね。メロが素晴らしいだけにいっそう悪質です。
Commented by noanoa1970 at 2008-09-13 11:47
>3番はまだ許せるとしても、4番の酷さは許し難いですね。メロが素晴らしいだけにいっそう悪質です。
あの時代、子供たちの多くは本当に「国を守りたい」そのように思ったのでしょう。今はそんな子供は皆無でしょうが、小生はそれも少々困ったものだと思っています。戦前の教育と戦後民主主義教育の価値の格差がありすぎたのではないか・・・国を愛する気持ちと天皇制を一緒にして、切り捨ててきた似非民主主義教育は、一度見直すべきなのかもしれません。昨今の偽装事件の数々、政治家たちの哲学の欠如、マスコミの体たらくは、国民そのものの価値観の反映とも言えるでしょう。似非民主主義教育の弊害があったと、思わぬでもありません。そのような教育下の親に育てられ、その子供が親になり、教師となっているのですから、深刻な問題です。何でも平等・・・まだ悪しき戦後民主義教育の残像があるように思ってしまいます。
Commented by pororompa at 2008-09-13 12:34
そうであったとしても、この4番は擁護できないでしょう。おっしゃる心情と、この歌詞の意図は、全く別物ではないでしょうか。
Commented by noanoa1970 at 2008-09-13 14:12
体制翼賛的な意図はなかったのではないでしょうか?1.2番の歌詞からはとても想像できませんが、無理やりつけたされたものなのだろうか?小国民と言われた少年たちが普遍的に持っていた心情とみてあげるべきではないでしょうか?
多くの芸術家も、この時代は、戦争に行った戦士をあたかも鼓舞するような曲、戦争賛辞的な曲を作っています。時代背景を考慮すれば、これは致し方なかったことでしょう。批判は簡単ですが、恐らくその空気の中に存在してなかった我々には、到底考えにくいことだったことでしょう。しかし後に、敗戦後、彼は教員としての自責の念にかられたものに変わって行ったといいます。ここにまだ救いがあるように思われます。

Commented by noanoa1970 at 2008-09-13 14:17
斉藤は終戦後、教職の立場を退きます。それは自分が戦争加担者であったという自責の念からであるといわれています。
川田正子の家庭教師として過ごしたということです。このあたりにも、戦前戦中と戦後の価値観の大転換の一端が覗けるようです。
Commented by pororompa at 2008-09-13 19:49
noanoa様、丁寧なご返答ありがとうございました。
私は「致し方なかった」という立場はとりませんが、作者の戦後の態度に「まだ救いがある」というのには賛同できます。
いろいろ勉強になりました。