人気ブログランキング | 話題のタグを見る

高田渡さんのこと-Ⅰ

高田渡さんのこと-Ⅰ_d0063263_9225977.jpg
高田渡さんが北海道のコンサートに行っている最中倒れ、釧路の病院にて亡くなったことを聞いた。4月の北海道はまだ冬、きっとお付き合いでお酒をのんで、少し酔い加減で急に極寒の街に出たため心臓が悲鳴を上げてしまったのであろう。

亡くなられたのはこの4月16日で、そのことを小生は、5月の連休直後、有るWEBで知って驚きを隠せなかった。
お酒が原因で体調を悪くして、琵琶湖の近くの温泉病院で治療したことや、その後体調がすこしよくなってコンサート活動やTVで「なつかしのフォーク大全集」などの企画にはゲストで顔を見せており、万全とはいえない姿で、簡単な曲しか歌うことが出来なかったことを知っていたので、この人あまり長生き出来そうにないなと、内心思っていたのは事実、でもまさか・・・・・・56歳・・・小生と全く同世代、同じ空気を吸って生きてきた人だけに、しばらく茫然としたのでした。

やっと気を取り直して、彼の録音を全て引っ張り出し、彼の歌を聴きながら、小生の追悼をヒッソリと行ったのであリました。
写真上はLP復刻のCD「ごあいさつ」・・・どうもどうもいやどうも・・・・で始まる彼の初期アルバムで、もうひとつは、沖縄の放浪詩人「山之口獏」の詩に彼が曲をつけ、ゲスト参加でオムニバス録音したアルバム「獏」、この詩人のことも語れば尽きないのだが今はやめておくことにしよう。

そのほかにも7つほどアルバムがあるのだが、ここにあげた初期と後期の2つのアルバムは、高田渡を知らない人でも是非聴いてみるべきだと思う。

彼は小生が京都にいたその時代に、京都で一時生活しており、そのときの歌に「コーヒーブルース」・・・・「三条へ行かなくちゃ・・・三条堺町のイノダって言うコーヒー屋へね・」・・・
という、まるでCMみたいな曲があり、当時京都で学生だった小生も、何度か口ずさみそして、実際に「イノダ」コーヒーに足を運んだものでした。

また彼の京都時代の下宿が山科にあって、その下宿にいろいろな友人知人が訪れていた様です。

「京都の秋の夕暮れは、コート無しでは寒いくらいで、丘の上の下宿屋は、いつも震えていました・・・」で始まる加川良さんの「下宿屋」・・・・はまさにそのときの情景をうたったもの。

「国歌が認定しない人間国宝」といったのは誰だったか・・・・そんな形容詞など遥かに超越したところに彼の自然体が存在しているのは、「歌わないことが一番いいんだ・・・」という彼の歌と彼のこれまでの「言動」、そして「生きざま」・・・・もうすぐ「タカダワタル的」というドキュメンタリーがDVD発売されると聞いています・・・・

近年まれに見る「気骨人」といって良いと断言してしまおう。

by noanoa1970 | 2005-06-06 09:13 | JAZZ・ROCK・FORK | Comments(0)