DRAC興亡史前夜祭
DRACとは何だ?
DRACというのは、
同志社大学レコード音楽研究会のこと、すなわち
DOSHISHA university recorded music Appreciation clubの頭文字を取ったもので、別名「ドラック」→「ドーラク」→「道楽」とも呼ばれていました。
小生が入部したころはクラシック音楽オンリーで、音楽史別にチームを分けていました。
大学入学以前から良く通った「スギウラ」という名古屋のクラシック喫茶では、必ずといっていいほどドヴォルザークの8番、そしてチェロ協奏曲をリクエストしたので、店のオーナーからドヴォ8の兄さんと言われていたことを後に店のオーナーから聞きました。
そんなわけで、「国民学派」グループに入ろうと思っていましたら、今期から無くなり、「日本音楽グループ」となるというではありませんか・・・・
グループリーダーの先輩曰く、日本の西洋音楽を知らないのは日本人として問題だ、だからこのグループに入りなさいと・・・・
熱意に説得されて、何がなんだか分からないままグループも決めさせられました。
他の新入生はサークル活動紹介の後、希望のグループに入るというのに・・・・
バロック、古典、ロマン、そして日本音楽、今思えばなんとも不思議なグループ分けです。
総勢30人はいた新入生のうち、日本音楽グループには、たった4人の、しかも男ばかり
他のグループには少ないながらも女性がいるのに・・・・・
これからの行く末が案じられる日々がしばらく続いたのであった。
・・・・・続く
追伸
大先輩に関西の音楽評論家の雄、故松本勝男サンがいらっしゃいます。
by noanoa1970 | 2005-06-05 09:19 | DRAC | Comments(4)
APPRECIATION CLUB だったはずですが...
また、オウディオの話も書いてね。
オーディオの話も、入れていくつもりです。あの時代の写真がありましたら、デジタルにして添付で送っていただけるとありがたいです。
TBさせていただいた記事にあるように僕もDRACにいました。1979年度入学なのでずいぶん後輩になるかと思います。
結構歴史のあるサークルだったんですねと今ごろ驚いています。
僕がいた頃は完全にROCKがメインでJAZZがほそぼそCLASSICを聞く人は先輩に一人だけでした。
聴くだけじゃなくアーチストを呼んでライヴをやったりもしていました。町田康(当時は町蔵)のいたINUなんかもやりました。
今はBOXも田辺に移り、別館もとりこわされ新しい建物がたっています。
DRACでgoogleしてたどりついたのでまだじっくり記事も読ませてもらっていないのですが高田渡のこととかためになりそうな記事があるのであらためてじっくり読ませていただきます。
もしよろしければ僕のブログ(おはずかしい内容ですが)も覗いてやってください。
小生たちの時代に「JAZZ]を入れまして、小生たちが卒業してすぐに「ロック」が研究活動?として導入されたようです。1972年だったと思います。実は小生、「シカゴ」や「BS&T」のコンサートに行ったことがあります。文連で「淺川マキ」のコンサートをEVEに開催、浅川マキからロッド・ステュワートへとすすみ、アイリッシュミュージックからトラッドフォークそして日米のフォークへと、クラシック以外は、そのように変遷。
「ザ・バンド」「CSNY]「イーグルス」はレコードもそこそこ集めまして、昨年のイーグルスラストコンサートを見に、東京ドームに、行ったりもしました。JAZZもモダンジャズなら大好きで音盤もかなりあります。
DRACのOB会が不定期ではありますが、京都で開催され、30名以上がいつも集まります。一度あなたの仲間も誘って参加しませんか?