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谷崎潤一郎と白沙村荘

谷崎潤一郎と白沙村荘_d0063263_11274824.jpg以前少し触れたことがあるが、谷崎潤一郎と往復書簡を取り交わし、小説「瘋癲老人日記 」の颯子のモデルになったとされる嫁「渡辺千萬子」は、橋本関雪の孫娘である。






谷崎潤一郎と白沙村荘_d0063263_117710.jpg白沙村荘の庭でくつろぐ橋本関雪と千萬子と愛犬


「千萬子」という名前は関雪によって付けられたという。

千萬子は関雪の長女が、医者の高折家に嫁ついで出来た娘で、関雪は事あるごとに可愛がったという。

千萬子が渡辺に嫁いだ経緯は、資料が何も残ってないようだから、ハッキリとは分からないが、「江戸川乱歩」の日記に以下のような記述があることから、「乱歩」と関雪の長男「節哉」氏とは旧知の仲で、乱歩は「節哉」に頼んで谷崎の多分下鴨の「潺湲亭」を訪問したと書いている。

千萬子は昭和5年生まれであるから、下の記述の、乱歩が谷崎亭を訪問したのが、「千萬子」がこのとき17歳、同志社大学英文科を卒業したのが昭和27年だから、どう考えても結婚前のことと思われる。

乱歩の記述の「節哉」と「谷崎」の交際が、関雪を介在して行われたのだろうか、そして「節哉」の妹であり、「関雪」の娘でもある「高折」さんの娘=関雪の孫を、谷崎の家の「渡辺」に嫁がせたのも、なんとなく分かろうというものだ。


昭和22・1947年「江戸川乱歩日記」より

午前、橋本関雪邸の庭園と美術品を見る。谷崎潤一郎と交際のある節哉に仲介を依頼し、二人で谷崎の新居潺湲亭を訪ねる。《谷崎さんとは十年も前に一度文通したことがあるだけで、お会いするのは今度がはじめて、奥さんも同席され丁重な食事のおもてなしに預かり、お酒も出ていろいろ話をしたが、谷崎さんは文学談など好まれぬ様子なので、こちらも差し控え、結局文学以外の話の方が多かった》。二時間あまりで辞去、節哉と嵐山をドライブし、苔寺の庭を見る。夜は京大の小南又一郎の来訪を乞い、法医学の話を聞く。橋本亭に宿泊。・関西旅行日誌(昭和22・1947年)/探偵小説四十年(昭和32・1957年)


さて、「千萬子」が嫁いだ、「渡辺家」とはどういう家系なのであろうか。

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昭和38年頃,7月の谷崎の誕生祝いの集まりで,熱海梅園ホテルにて 左より惠美子,松子,潤一郎,重子,たをり,清治,千萬子,桂男(熱海 今井写真館所蔵)


かなり複雑で、調べるのに相当時間を要したが、やっと分かった。

谷崎の妻、(一度離婚したが、復縁することになった)谷崎松子と根津清太郎(大阪の豪商、松子は根津清太郎の前夫人)の子供の清治(従って松子の連れ子とということになる)を、松子の妹(渡辺重子)の養子にした(谷崎が自分と養子縁組をしなかったのは解せないが)後、「高折千萬子」と結婚、

「千萬子」と「清治」の子供が「たをり」というわけである。
「たをり」は、従って法律上は義理の妹になるが、実際は孫と同じであることになる。

谷崎潤一郎と白沙村荘_d0063263_11225638.jpg「千萬子」は後に、銀閣寺疎水べりの一角で「アトリエ・ド・カフェ」という喫茶店を開くことになるが、小生は残念なことに一度も訪問した事がないうちに、閉じられててしまった。

また「千萬子」が、小生が白沙村荘にいた時代に、橋本家にやって来たという話は聞いたことは無かったが、節哉氏が無くなって久しかったし、いまや関雪の長男の子供「帰一」氏が、白沙村荘を一般公開に踏み切って、守る時代になったから、最早自分の実家という気持ちこそあれ、足を遠ざけていたのだろう。

関雪の娘、高折さん(旧名橋本妙子)のことは、名前は耳にしたが、顔の認識がないほど、白沙村荘とは疎遠となっていたようだった。


1946(昭和21)年の谷崎潤一郎詳細年譜(昭和22年まで)に以下の記述がある。
これによると、谷崎と「関雪」の息子橋本「節哉」の関係、そして渡辺「千萬子」の母親高折妙子:旧姓橋本妙子の関係が少し垣間見れる。

江戸川乱歩も小津安次郎も潺湲亭を訪問していた事。
「千萬子」の母親、高折妙子を三条木屋町にあった広東料理の「飛雲」に招待していたことも明らかになって、小生が好きであった店とオーバーラップするのが、何かの縁を感じることとなった。

11月2日、故橋本関雪白沙邨荘で銭に会い揮毫をしてもらう。これ以前か、朝日新聞支局の紹介で関雪の息節哉に紹介され、ついでその妹妙子、その夫高折隆一を知る。

5月12日、春日豊(とよ、小唄演奏家、67)来訪、春琴抄の小唄聴く、磯田又一郎来るので豊に紹介、橋本節哉、宇佐美佐藤を紹介、銭の使いなり、西田秀生来訪、来客多く静養どころでない。

7月4日、井上金太郎、小津安二郎(45)来訪

10月17日、江戸川乱歩(55)が訪ねてくる。

1947年3月21日、国井夫人(市田やえ、38)、高折妙子を飛雲へ招待、四条木屋町の萩原正吟宅で繁太夫の鳥辺山など聴く。


谷崎潤一郎を巡っていくと、思わぬところで「縁」を感じるところがある。

2月26日は、橋本関雪の記念日で、恐らく現在も、月心寺で記念行事が開催されていると思われるが、月心寺の村瀬尼により、その昔、2月26日の関雪記に、谷崎潤一郎が、渡辺「千萬子」を伴って、月心寺を来訪したことが書かれている。

by noanoa1970 | 2008-05-20 11:10 | 白沙村荘随想 | Comments(0)