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遠い記憶・・・5

FAXの受信紙は、今では普通紙か感熱紙が主流になったが、1970年代の後半には、放電破壊紙というものが主流であった。

これは、金属加工処理され導電性を持った紙(放電破壊紙、放電記録紙)の表面を、針がトレースしながら放電によって破り、着色層を露出させて記録する方式であり、印刷時には独特のオゾン臭が発生するし、受信塩の単価は30円ほどした。

また当時は、今のFAXのように、完全自動受信をするわけでなく、いったん相手に電話をして「今から送ります」、「受信紙がセットできたら受信ボタンを押してください」という。

そのまま受話器を聞いていて、相手から受信OKの合図であるピー音が帰ってから、送信ボタンを押す。

この作業が毎回必要とされる、大変厄介なオペレーションを必要とするものであった。
しかし送受信料を多く求めない時代でも有ったから、それでもニーズのある業ウの会社には導入されたのであった。

1970年代の終盤から80年代にかけて、CCITTでFAXの中速機・・・GⅡのスペックが規定され、しかも電電公社が民営化されNTTとなったあたりから、メーカー各社がこぞって新製品を出し始め、機械の価格は高価ではあったが、それとともに需要も多くなってきた。

それまでの機械が4分6分機だったのに対し、新しく出た機械は3分&90秒機、しかも感熱ロール紙を採用した、自動受信機であったから、随分使い勝手がよくなり、新市場に向けての販売のチャンスがやってきた。

今までは、少ないニーズを喚起しながら、それをメリットに置き換える、コンサルティングが必用であったが、今度はそれに加えて、旧製品ユーザーからのリリプレースが狙える。

例えば、東京⇔札幌間で、旧機種の4分&6分機を使用しているユーザーで、1日あたり2枚の送受信があったと仮定すると、2枚×25日枚×4分×60秒÷2.5秒×10円の計算で、48000円が月間のランニングコスト、すなわち電話料金である。

ところが90秒機では、18000円/月のランニングコストとなるから、差し引き30000円のコストダウン。

機械のリース料が月間30000円以下であれば、メリットが出ることになるのだ。

逆算すれば機会本体は120万以下であれば十分ペイするばかりか、お釣りが来るし、生産性も高いし、機械も新品となり、しかも今度は自動受信だし、受信紙のコストも大巾に削減できる。

嘘のような話だが、これは事実。
すべてが良いこと尽くめであるから、簡単な経費比較だけで、リプレースが可能で、狙い目は電電公社のFAXだった。

しかしながら、そうなると競合他社も黙っているわけではなく、今までにない競合戦争が始まった。

三菱、日電、ナショナル、富士通、日立、東芝、キャノン、リコー、村田、等が参入し、厄介なのは、大手電気製品メーカーが、系列を利用して、トップダウン気味にFAXをセールスしてくることだったが、良く話を聞くとそれほどのごり押しではないことが殆どのようで、あらゆる差別化をして難を逃れたこともあったし、いいところ名で行っていたのに、突然その力で逆転されたこともあった。

殆どの場合1台づつ決まっていく複写機に比べ、FAZの商売の醍醐味は、一括で複数台の契約が取れることと、社内使用だけにとどまらず、企業の生産現業部門と外注先といった自社外ネットが作れることである。

いったんそのような企業のセクションに導入されると、そこのライトマンの紹介で、・・・紹介といっても単に紹介ではなく、企業生命とも言えるような重要カツ迅速正確な情報の伝達という、使命を持った機械であるから、導入することによるお互いのメリットは甚大であるから、いやおう無しに導入してくれる。

プレス金型の大きな会社に1台導入してもらったおかげで、そこの外注先の金型屋10社に簡単に導入してもらったことがあった。
悦明など不要で、契約書を持っていくだけの、簡単セールスが可能なことも有った。

中速機になって米国からの輸入から国内生産に移ると、製品開発や工場側も、セールスから競合他社や顧客ニーズを吸い上げようとする風潮が高まり、多いときには月1度のペースで生産サイドと販売サイドの新商品開発ミーティングが行われ、小生もそのメンバーとなった。

また新商品のカタログ作成にも、セールスのパワーが活用され、小生はカタログ作成メンバーとしても面白く活動する日々を送ることとなった。

3枚折りで、見開くとちょうどオフィスの床でよく使われたPタイル2枚と半分・・・30cm×75cmの大きさになる、実物大の設置サイズのカタログを作り、競合他社がすべて託児王方のFAXを製品化する中、地王者が始めてデスクサイドタイプを開発発売しその斬新なデザインと、極小の設置スペース’、(卓上タイプが場所をとらないというのは嘘で、必ず机が1個必要となり、殆どの顧客は、机の上に設置していたから、実際には机1個分のスペースが必要)た。

この機種は市場でもかなりヒットを飛ばし、「ゲラン」という香水メーカーでは、自社オフィスに合うデザインというだけで導入となった。

デスクサイドFAX・・・袖机を細くしたような箱型のFAXは、机の横に置き、座りながらオペレーションが可能であった。

GⅡから20秒~1分で送受信が可能な高速機GⅢに移行するタイミングは、かなり早く、1980年代の後半にはFAXの世界は高速機時代に突入していた。

これは良質で安価なモデムが開発だれたことと、相変わらずNTTの通話料金が高かったため。CCITTで、日本がオニシアティヴを取ることになったためであった。

by noanoa1970 | 2008-04-12 10:08 | 歴史 | Comments(0)