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遠い記憶

小生がそれまで勤めていた会社を辞めたのが、今から7年前の今頃のこと。
ちょうど21世紀を迎えた年のことであった。

そのまま会社に居たとしても、定年を迎えることとなったから、いずれにしても、サラリーマンからはオサラバの身となる。

過去のことを少しだけ振り返るのも、悪くは無いことと思い、書きとめておくことにした。

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1977年、小生はそれまで勤めた、名古屋城のお堀の西に隣接する、ホテルを辞めることにした。

京都の学生時代に、銀閣寺畔の白沙村荘の中の、蔦の絡まる古い西欧風の建物を改造して、ノアノアという、本格ピザ&スパゲッティの店をやった後、仏料理を学ぶべくホテルに入ったのだったが、想像をはるかに超えた現実に、耐えることが出来なかったのが辞めることにした理由である。

ホテルの仕事は、きついところは有ったが、辞めることに理由の多くは精神的苦痛で、ある事件が引き金となったからであった。

ホテルに入って数年たち、小生はガルニ部門(あらゆる料理の付け合せの野菜専門担当)で、ポテトのシャトウ剥き(ステーキに付け合わされる、フライドポテト用に、ジャガイモの両面をカットし、それを六から八等分したものを、手際よく皮を剥き、面取りするもの、ベテランになると1個約5秒ほどで完成させる)
を覚え、人並みに出来るようになった後、ブッチャーと呼ばれる肉魚専門担当部署に配属となった。

ここでは、ローストビーフ、ローストチキン、各種ステーキ類、海老蟹類、舌平目ほかの魚類、その他に、ハンバーグステーキの仕込み、アイスバイン、カツラー、コーンドタン、コーンドビーフの仕込みなど、メインディッシュの材料の調達から加工、切り出し、コンソメ用の脛肉の筋を、きれいに取り去り、ミンチにするのも日常の大切な仕事、材料の調達意から仕込みまでを担当する重要な部署だった。

2人で抱えなければ、持ち運び出来ないような、大きな牛肉の塊を切り分け、筋や油を取り除く作業や、チキンや七面鳥を切り分けたり、大きな魚・・・サーモンや骨の硬い鯛、シーバス、そして伊勢海老を始とする甲殻類など、あらゆる素材を扱うから、覚えるのも大変なことだったが、一方で面白い仕事でもあった。

技術を必要とする舌平目を、フィレにする作業、ナイフの使い方と力が必要とされる伊勢海老のカット作業も大変だったが、慣れてすぐに覚えることが出来、ナイフの技術を試される、ローストビーフを宴会用に薄く1枚づつカットするのは、相当大変だったが、これも同じ太さで、しかも同じ大きさになるようにカットできるような技術力もついてきた。

(ロースは、頭とシッポの大きさが違うので、同じ大きさにカットするには、シッポに行くに従って、だんだんナイフを斜めにし、削ぐようにカットしなければならない)

伊勢海老にしても、一日に300匹もカットすれば、すぐにコツはつかめるし、鶏を骨からはずし、胸とモモに分けるのもなんと言うことは無く覚わった。

ホテルで扱う1日の量は、並のレストランの1月分をはるかに凌駕するから、覚えるのも早いのだ。

ハンバーグは、珍しくブッチャーが行う、味覚に直結した数少ない仕事の一つで、切り分けた肉をミンサーでミンチにし、スタンダードなものは勿論有ったのだが、思い思いの方法で最良の味を出す工夫を凝らし、作ったものだった。

そうしてある程度慣れてきた小生は、洋出刃包丁の極上品が欲しくなった。

というのは、その頃の魚料理には、シーバスが多く用いられ、骨が極端に硬いシーバスや鯛を下ろすには、良く切れ、骨を簡単にカット出来るナイフが必要とされ、それには洋出刃が一番都合が良かったからであった。

それで、注文した「正本」というメーカーの良品が届き、鯛かシーバスを下ろすタイミングを見計らいながら、ナイフケースに入れ満を持して待っていたのだった。

ホテルでは、宿泊客の朝食担当が週に1回回ってきて、その日は午後2時に出勤、ディナーの担当を22時ごろまで行い、その夜は泊まり、翌朝は7時から2時までの勤務となる。

その日小生が2時に出勤すると、ブッチャーの仲間の一人が、小生の顔を見るなり「お前のナイフ良く切れるなー」といって、伊勢海老を半分に割っている光景が目に入った。

その声に、その男が握っているナイフを見ると、小生のネームが入ったあの「正本」の洋出刃だった。

小生は伊勢海老を、半分にカットするためにこのナイフを入手したのではない。
それは、鯛あるいはシーバスといった骨の硬い魚類をきれいに下ろすためなのだ。

こともあろうに、小生が購入してまだ一度も使ったことが無いものを、まして魚に使うのならまだしも、伊勢海老をカットするのに使うとは・・・・

血の気が引いていき、逆上しそうになるのをやっとこらえて、周りを見ると、周囲の仲間は皆、その男の行状を、知っていた様子が伝わってきた。

中に一人だけそっと、「黙って使うのは、止めたほうがいいんじゃない」といったんだけど・・と、申し訳なさそうに話す男が居たが、後のメンバーは、見てみぬ振りをしていたのか、あるいは集団で、その暴挙を支えたのか。

とにかくその男は小生のナイフを使って伊勢海老を100匹以上もカットしたのであった。

人の持ち物であるナイフケースを勝手に開けて、購入してまだ一度も使ってないナイフを取り出し、しかも伊勢海老を半分に割る仕事に使う。
良く切れるに決まっている、このナイフはこれで刺身でさえ作れるくらいの優れものなのだから。

明らかに確信犯。
この男は、小生がナイフを購入したことも、ナイフケースにしまうのも、じっと見ていたのだ。

小生が遅い出勤の時を見計らって、ナイフお持ち出し使って、多分小生の出勤お前にケースに戻すつもりだったのだろう。

2時の出勤であったが、小生は1時半に厨房に入ったから、男の計算が狂ったのだろう。

面と向かっては何もいえないくせに、影でコソコソやるのは、この集団の中の一部の人間だが、この男がまさかその仲間であったとは・・・

戻されたナイフは、2箇所刃こぼれしていた。
通常の使用なら決して刃こぼれなどはしないはずなのだが、この男、よほど左右にナイフを動かしてカットしたに違いない。

刃こぼれしたことを承知で、平気な顔をして返してくるのだった。

しかし、小生は刃こぼれしたこと以上に、周囲の誰もその暴挙を止めさせようとしなかったこと、それに対して無性に腹が立ち、そのことが悔しかったので、何も言わずにナイフを受け取り、丁寧に洗ってからケースに戻した。

表面的には、徒弟制度などとっくに無いような感はあるのだが、長年染み付いてきたいやらしい伝統が、まだまだ残っているのか、一般社会では通用するはずが無いことが、平気でまかり通るこの閉鎖社会に、とたんに嫌気がさしたのだった。

この男は、ある陶芸家の息子で、ホテルのロビーには、男の親父の作成した陶版画が飾られていてた。

周囲の連中は、誰もがそのことを知っていて、こういう「権威」に弱い連中ばかりで、その男は、それを傘にきたような立ち振る舞いをすることが多かったが、周囲はそれを特別の目で見るように、放置するばかりか、それに加担する風潮があった。

そういう自虐的な性格を、長いホテル暮らしでいつの間にか押付けられてきたからか、権力に非常に弱いが、その反面それが逆に弱者や、自分たちの気に入らぬ人間、あるいは自分達と趣の異なる人間に向かうのであった。

幼稚な虐めは、なにも今を始とする、小中学校の中だけでなく、社会人の集団の中にも存在した。

毎朝のように、スポーツ新聞をトレースするだけの、彼らの日常会話からは、何も産まれないのであるが、当然のように、それだけでは自己アイデンティティを保つことが出来ないから、そちらのほうに向かうものも居た。

総料理長が厨房に入ったときと、セカンドチーフだけの時では、まるで態度が違うこの集団。

普段は、ろくでもない仕事しかしない連中が、そのときだけは、いつもとまるで違う態度を取って見せる。

一体この権威権力志向の強い集団はなんなんだ。
とても技術集団と呼べるようなものではなく、三流会社のサラリーマン以下なのだ。

しかしこのようなことは、絶えようと思えば、耐えられよう。
どの組織に入っても、大なり小なりあることだから。

そのようなことが積みかなっていたことに加え、あの忌まわしいナイフ事件が引き金となって、小生はホテルを去ることに決めたのだった。

もう一つの大きな理由は、サービス業に土日祝日の休みが無いこと。
これでは学生時代のサークルの寄り合いにも、友人の結婚式にも、そして一番打撃を受けたのは、コンサートに全くいけないことであった。

コンサートの日に、大きな宴会や会合が入ると、とたんに退社時間は6時を回ってしまい、7時や8時になることも多かった。

休日や退勤は個人の自由には絶対にならないのが、サービス業。

分かっていたつもりであったが、矢張り大変で重要な、そして小生にとっては、大きな問題であった。

どれだけチケットを無駄にしたことか、小生はあるときからコンサートは無縁のものとし、チケットを購入することは無くなった。

おかげで、聞きたいコンサートにはいけずに、音盤で我慢する日々が続き、JAZZ喫茶に良く通うことになった。

特に当ても無くホテルを辞めた小生、今で言うニート、フリーターを3ヶ月体験し、たまたま新聞広告で見つけた、中途採用募集の会社を受けたのだった。

by noanoa1970 | 2008-04-08 05:50 | 歴史 | Comments(2)

Commented by エレガンス at 2008-04-09 00:13 x
先日お仕事の一端に触れたと思いましたが、ホテルの厨房にいらっしゃったとは知りませんでした。華やかに見えるところほど、ご苦労は尽きないのですね。
自分の興味のある分野で仕事ができたら・・・と思いますが、好きなだけに矛盾を感じるとつらいと思います。
でも、多くの経験が優しく思いやりのあるnoanoaさんにつながっていると感じます。
何より食に対する造詣の深さには感動します。
Commented by noanoa1970 at 2008-04-09 12:16
前々職のホテルから次への転職の話を書きました。全く違う職種で、良い経験でした。