Mustapha ya Mustapha

ヤムスタファヤームスターファ・ヤムスタファヤー・ムスターファ
ヤムスタファヤームスターファ・ヤムスタファヤー・ムスターファ

遠い昔のトルコの国の 悲しい恋の物語。
純情可憐な優しい男 それは主人公ムスターファ。
見初めた彼女は奴隷の身、ところが僕には金がない。
どうにもならない、諦めきれない、どうしたらいいんだろう、諦めきれない。
未練な男ムスターファ。
金さえあればこの世では、思いのかなわぬことはない。
そこで僕は考えて、一念発起でマネービル。
金の亡者ムスターファ。がっちりかせいだムスターファ。
トルコで一の金持ちに、なってしまったムスターファ。
急いで彼女を訪ねたら、いまや悲しき60歳。夢の破れたムスターファ。
泣くに泣かれぬムスターファ。

この歌が流行った1960年といえば、小生がまだ小学校5年生か6年生の頃、その頃我が家にやってきたテレビジョンの音楽番組からは、この歌がよく聞こえてきた。
西部劇全盛時代の幕開けの年でもあって、TVでも映画館でもいたるところで西部劇が放映され、ライフルマン、ボナンザ、ララミー牧場など懐かしい西部劇が始まったのはこの年であった。

6月15日全学連主流派が国会突入をはかり警察官と衝突、東大生樺美智子が死亡し、その顔写真とともにニュースが方々で放映され、事情など何も分からない小生ではあったが、女子学生の死は、かなり衝撃的であった。

1年前の伊勢湾台風の記憶もまだ新しく、クラスには罹災者の子供が、名古屋の南区や港区から転校生で2.3人入ってきた。

そんな中でも、茶の間の音楽番組をにぎやかしたのが、ダニー飯田とパラダイスキング&坂本九の初期の大ヒット、オリエンタルの香りがする異国情緒タップリの旋法歌謡「悲しき60歳」である。

パラキンと略して呼んでいたほど、彼らは有名で、時にはリードヴォーカルをやることも多かった「おさむちゃん」という男が歌うときの口元が、いつもはにかんだようで印象的だった。

その当時はなぜか、異国情緒の歌が流行ってようで、「ウシュクダラ」というわけの分からない中近東諸国のどこかの・・トルコかイラク、イラン、アラビアなどの曲らしいものも良く聞こえてきたし、「ジンジロゲ」という沖縄民謡か(まだ日本ではなかった)、ユダヤの旋法のような、あるいは鹿児島の民謡風のような、素性の知れない曲が流行った。

キューバの「バナナボート」、「アラビヤの歌」、「インドの歌」なども、それ以前のラジオ時代に流れていたから、昭和30年代は異国趣味が流行ったのかもしれない。
そういえば、兼高かおる世界の旅という世界を旅して回るTV番組もあったし、NHKでは、黒柳徹子が司会をする「魔法のじゅうたん」という特撮の前身の、じゅうたんが空を飛ぶシーンが見所の番組があって、毎回子供がゲストで乗り込み、空に舞い上がるときの、そのときの呪文が「アダブラカダブラ」・・・小生はアラビヤなどあの千夜一夜物語の呪文がそうであると信じて疑わなかったのだが、実は「アダブ」ではなく、「アダブ」・・「カダブラ」というのが正解と知って、あのときの黒柳の間違いが分かってショックを受けた覚えがある。

この頃のTVの特撮は、子供の好奇心を物凄く擽るものであふれていた。

「悲しき60歳」はそのような環境の中、トルコ?で流行ったという流行歌のメロディに、青島幸男が好き勝手な詩を創作してつけたものだった。

東京都知事になるまでの青島は、放送作家であり、作詞家でもあったのだ。
ハナ肇とクレージーキャッツが、大人の漫画という新聞記事を基にしたコントを演じたのもこの頃である。

どうりでコメディタッチに仕上がっているはずで、少々裏悲しいメロディと全く合わない内容のコミックソングとなってしまった感があるが、最後になってようやく、笑いの中の悲しさが少し垣間見れる。

童謡に、「村の渡しの船頭さんは、今年六十のお爺さん、年はとっても、お舟を漕ぐときは、元気一杯魯が撓る・・・・」とあるとおり、あの時代は60歳というともうすでに「お爺さん」の仲間入りだったのかも知れない。

サラリーマンの定年退職は、一般的に50から55歳だったと記憶するし、恐らく平均年齢も、今のように高くはなかったから、60歳はもう現役引退どころか、おじいさんの類に属したのだろう。

今で言うところの、チョイワル親父の年代が50から60代を指すのと大違いだが、しかし、当時は大家族中心の生活であったから、家庭に引きこもって、それこそ悠々自適の生活をして暮らしても、以前家族からの尊敬とまだ一家の大黒柱的な存在でありえた。

それが日本の平均的家庭であり、日本の家庭文化であった。
親は子供を育て、その子供はやがて親を支える、その繰り返しによって日本人の家庭は形成されていったように思う。

それが今はどうだろう。
そのような良質の循環サイクルは望むべくもなくなってきてしまい、都会でもそして田舎においてさえも昔の日本的家族の姿は崩壊してしまった。

勿論その家庭で得たものもあるが、なくしたものはそれ以上に大きかったのではなかろうか。

「悲しき60歳」は、金で年や健康、愛情を買うことは出来ないという皮肉を込めた・・逆に言えば、お金など無くても、心と体が健康が一番、ともいえることを歌ったものであるが、1960年を境に起こる、高度資本主義経済の欠点を先取りして皮肉った歌とも取れる。

小生もそうであるが、今60歳になろうとしている団塊の世代の殆どが、子供のときにインスタント加工食品の洗礼を受け、欧米ライズされた食生活を身に着けてしまった影響がいずれ出てくるだろうと懸念される。

年金や国保などの社会保険、社会福祉もママならない今日的状況の中、昔の60歳のように悠々自適なお爺さんでありえる時代は、すでになくなってしまったから、次の時代の生き方を真剣に見つけておかなくてはならない。

これぞ「悲しき60歳」だが、やりようで「花咲く60歳」足りえるのもまた一興であるかもしれない。

懐かしいので、それぞれのバージョンでの「悲しき60歳」をリンクしておくことにする。

坂本九バージョン

dario moreno バージョン・・・オリジナルかも

Bob Azzamバージョン・・・坂本バージョンに近い

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by noanoa1970 | 2008-03-12 10:48 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

Commented by エレガンス at 2008-03-12 23:02 x
60歳を学校生活で例えるなら、6時限目が終わって、部活&楽しい放課後といった感じではないでしょうか。
授業は受けたし、興味のある勉強をするなら図書館、テニスや野球で汗を流すのもいいし、おしゃべりしながらの帰り道も楽しみですね。
noanoaさんの優雅な日常を想像すると、しっとり落ち着いた生活に憧れます。
Commented by noanoa1970 at 2008-03-13 14:04
なかなかいい例えです。
小生の場合5時間目のはじめには、すでに学校が終わったときのことを考えていました。そして実際には2000年に早期退職してしまいましたから、同世代のほかの方よりは、自由な時間を早く取得することが出来ましたが、多分どちらも自由の絶対的時間は変わらないだろうと思いますから、中身を濃くしていきたいと最近は思っています。