Emperor of the Keyboard

オスカー・ピーターソンが亡くなった。
MIXIでもブログでも、そのことの話題と、追悼の意を表すもので、満杯状態であったので、小生はただ黙って彼の残したアルバムを聞くことにし、少し時間を置いた本日ブログにアップすることにした。

「リユニオンブルース」というタイトルで、オスカー・ピーターソンについてUPしたのが今年の早春、3月27日のことだった。

そのときには今の消息などは不明のまま・・・何しろ小生などのオールドファンの頭の中では昔の映像やアルバムでしか知らないため、今でも彼の音楽はフレッシュのである。

先日、湯ノ山温泉の近くの、とあるJAZZ喫茶に立ち寄って、ピアノの入った曲をとお願いしたら、かけてくれたのが「We Get Requests」だった。

ピアノの入った曲をというリクエストに、ピーターソンの「リクエスト」で答えるという粋な試みに、オーディオ装置の割には音量の低さは気になったものの、かってのJAZZ喫茶のマスターとの間での、丁々発止的なやり取りを髣髴させて、久しぶりにホッコリしたものだった。

帰宅後オーディオ装置の違いによるピアノの音を再確認すべく聞いたのが、・・これは少し前のブログにも書いたビル・エヴァンスの「TORIOー64」。

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そしてそのときのブログには書かなかったが、勿論JAZZ喫茶でかかった物と同じピーターソントリオの「We Get Requests」そしてこれもバーブ盤の「Torio Plays」だった。

そしてピーターソンのピアノに、小生はロシアのピアニスト「エミール・ギレリス」の鋭さの有るタッチから出てくる、研ぎ澄まされたような硬質の音・・・

それがギレリスの特徴の一つでもあるのだが、彼の録音にはミスタッチなどは決して見当たらなく、しかも無機質の硬い音・・・鋼鉄の鍵盤と評されることがあるが、その表現は適切でなく、そこから出てくる音楽は、例えばコンヴィチュニーとのモーツァルトの21番の協奏曲2楽章を聞くと分かることなのだが、スカルラッティや、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスのそれぞれの演奏とは、かなり趣の異なる叙情美あふれるピアニズムもあることが分かる。

つまり卓越した技術をもつが、その技術に音楽をゆだねることなく、JAZZで言うならば、変化しながらスウィングしている状態を、それぞれの作品に自然発生的に付与している・・・(誤解を招きそうな表現であるが)

卓越した技術の陶冶から表出される音楽の叙情性
これこそがギレリスのピアニズムで、それに良く似たところを、小生はオスカー・ピーターソンに見出すのである。

JAZZファンを表面的に気取る人は、ピーターソンをポピュリズムの大家であるように言うことが多いが、それは彼の音楽を一部しか理解してないからであると、小生は確信できる。

職人としてのJAZZメンは、少なくないが、ピーターソンのように、職人の粋をはるかに凌駕し、「芸」の域に達している人はそれほど多くない。

ギレリスも、ピーターソンも、そのピアニズムを、「鋼鉄」と呼ぶことが多いが、良く聞いて御覧なさい。

ベーゼンドルファー製ピアノの、豊かな低音域と、バカラグラスのような高音域のピアノが、決して無機質な鋼鉄なんかではない、音に血と肉が通った有機的なものに聞こえてきませんか。
どちらもまさしく、「スウィングするピアニズム」といってしまってよいのでしょう。

そしてこれは、まさしく文字通り「鍛錬」ということの結果でしょう。

活躍の場こそ異なるが、両者ともに「巨匠」と読んで差し支えないピアニストだった。
しかし両者ともに、今はこの世に居なくなってしまった。

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by noanoa1970 | 2007-12-27 11:38 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)