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老師の命日

12月24日はクリスマスイブ。

巷では、クリスチャンでもないものたちが、毎年のように大騒ぎをする。
クリスマスやイブは、我が国ではとっくの昔にキリスト教とは無縁のものとなって久しい。

たまにはクリスマスの意味を考えてもよさそうなものだと思う小生は、どうやら古い考えの持ち主になってしまったようだ。

その24日は、「老師」と呼んでもその名に恥じることのない、わが国の近代の名僧「山田無文」の命日だ。

実はこのことを知ったのは、先日のブログエントリー「「柳」にまつわるetcetera...」の、ある方から、柳にかけて「花紅柳緑」は、学生時代に日本人の心であると教えられたというコメントを頂いたので、先に書いた「魯山人の命日」から山田無文の命日を調べると、12月24日・・・明後日のことだということが偶然のように分かり、なにかの「縁」を感じるところがあったので、本日早速エントリーしたのである。

小生の義父にあたる家内の父親は、京都で日本画の勉強をし、やがて水墨画を「禅画」と称し「禅画社」という名前のサークルを創設し、多くの生徒達に水墨画を教えていた。

年に一回、京都市美術館で展覧会を開催し、91歳で亡くなる直前まで、40数回にわたり続けられていたその展覧会に、その経緯は不明だが、妙心寺の管長「山田無文」老師から展覧会を記念してだろうか、老師の墨蹟が毎年1点づつ展示され、共箱に入ったものが30点ほど残された。
そして今は小生の家内が引き継いで所有するところとなった。
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その中の一つが「山田無文老師の書」の中の「花紅柳緑」写真の軸である。

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義父と老師は生前かなり親交があったらしく、小生の息子が2歳のとき祖父母に連れられて妙心寺に行ったおり、無文老師の膝の上に抱かれた写真がある。

息子も人見知りなどはせずに、老師も満面の笑みを浮かべて写っている。
老師の人柄のなせる技なのか・・・
写真の裏には、S・54年9月9日とあるから、ちょうど重陽の節句のとき。
算してみると、老師80歳のときの写真である。



「生きているのではなく、生かされている」という、老師の言葉の意味はいまだに理解しがたいものだが、「寿 わしゃ九十九まで」とは、無文老師が結婚などのお祝い事の際によく記したもの。

彼自身は88歳で天寿を全うし、仏となった。

こういう「偽」の時代だからこそ、老師の言葉を今一度噛み締めておきたいものである。

by noanoa1970 | 2007-12-22 11:01 | トピックス | Comments(0)