「柳」にまつわるet cetera...

d0063263_10532058.jpg
(写真は借り物です)


いつもの散歩道。

里山の貯水池にある柳も、さすがにもう葉を落としている。
この柳は、満水時にはいつも水の中にあり、畑に水を流す季節には地面にその幹を出す。

殆ど枝に茂った葉っぱを水面に漬けていることが多い。

そんな風に水に強いからだろうか。

「ばっこ柳」のまな板は、昔から超高級品といわれている。

柳というと小生は、ブリテン諸島の近代音楽作曲家、不幸にして第1次世界大戦で夭逝した「ジョージ・バターワース」の「青柳の堤」という隠れた名曲が浮かぶ。

民謡「青い茂み」を引用して作られた美しく優しい曲で、「シュロップシャーの若者」、「2つのイギリス田園詩曲」とともに、彼の残した作品であるが、クラシックファンの間にても、イギリス音楽愛好家を除くと余り聞かれることはないようだ。

前にも書いたことがあるが、小生はThe Banks of Green Willow「青柳の堤」・・・あおやぎのつつみと読ませることがどうしてもしっくりこない。

というのは、「大須ういろう」と並び、名古屋の伝統的な和菓子外郎(ういろう)の老舗で「青柳総本家」というところが在って、名物の「ういろう」を古くから製造販売していて、青柳=Green WillowでWillowは発音通り「ういろう」であるし、堤=包みと同じ発音だから困ったことに、小生にはこの「青柳の堤」という邦訳が、「青柳ういろうの包み」を想像させてしまうのだ。

小生はWillowとういろうの語呂合わせで、「青柳」という名称を使ったと思っていたが、それは間違いで、何でもその歴史は明治12年、初代後藤如休が旧尾張藩主 徳川慶勝公より「青柳」の 家号を贈られて創業したとされるから、Willowとういろうの語呂合わせではなく偶然のことだったのかもしれない。

しかし、創業者が、ういろうを店の看板として売り出そうとするときに、ヒョットしたら、Willow:ういろうと「青柳」の語呂を知っていて、ういろうを商売としてやり始めたのかもしれない。
Willow:ういろうは、余りにも出来すぎている。

殆ど全てといっていいほど、The Banks of Green Willowは、「青柳の堤」と訳されて使われているのに困っていると、とあるところで、古い日本語を使った役による表記を発見。

「柳青める堤」とされていたので、もっぱら小生はこちらを採用することにしている。

青柳とは、春になって芽を出し初夏にかけて緑の葉をいっぱいに付けた新鮮な柳のことでもあろうから、この訳はすごく良い。

携帯電話のCMで、北海道犬のお父さんが「何でも短くするな」と「ただとも」に反応し、叫んでいたものがあったが、小生も同感である。

話は変わるが、この会社の北海道犬が出てくるシリーズCMは、小生の好きなCMだ。
いつも「笑」の質を根底的に変化させるようなところがある。

ヴォーンウイリアムスの名曲に「上げヒバリ」「揚げヒバリ」という醜い訳を付けたものが、が有名なってしまったのにも残念なことである。(俳句の季語と分かったがいつそうなったか不明だ。略された言葉だから、そう古いものではないと小生は見る)

短縮が日本語をダメにする。・・・こんなことを最近富に思うようになってきたが、これも年のせいだろうか。

「柳」は東洋西欧問わず、芸術一般・・・いろいろなところでよく使われるから、身近な存在でもあったのだろう。

花札、ドジョウの格言、幽霊、能・狂言の「柳の下」・・・

これもバターワース同様ブリテン諸島の近代音楽作曲家、ブリッジにも、There is a Willow Grows Aslant a Brookという曲がある。
これも「小川のほとりにたつ斜めの柳」と訳されたり、「小川の枝垂れ柳 」と訳されたりするが、「しだれ柳」が斜めにたっているように見えるのか、本当に斜めに植えられた、あるいは斜めに育ったものかは不明だ。

しかし短縮してない前者のほうが、意味合いはなんとなく分かろうというもの。
斜めの柳・・・これは余りいただけないが・・・・
恐らくは、水面に枝葉を浸している様子を表すものだろうと推測できる。

「河岸にしなだれる柳」という訳が最もあっているように思う。

美しいがどことなく不気味さがある不思議な曲だ。
風にユラユラする柳を思わせる弦楽器のざわめきと、イングリッシュホルンの音色、そしてハープのグリッサンドが特徴的だ。

JAZZにはトミーフラナガンの演奏でも有名なwillow weep for me「柳よ泣いておくれ」がある、

weeping willowは「しだれ柳」のことで、恐らくはその立ち姿が、人がすすり泣くようだからきたもの・・・ 女流作曲家(An Ronell) Hinda Hoffmanがガーシュインンに捧げたといわれている。

詩の内容からは失恋の歌のようでもあり、奇妙な果実のように、差別とリンチにあって仲を引きさかれた黒人が恋人をしのんで、しかも怨念のようなものを持って切々と訴えるようにも感じられる。

どうも柳には、その姿かたちから、古から不気味なものが宿って居る・・・、あるいは「水」に住む魔物から人間を守る神木のようなところを人は、感じていたのかもしれない。

柳の下には霊がたむろし、悪霊たちが水底から地上に登がってくるのを柳は防御する役目を持つ・・・だから古来、堤には柳が植えられたのか。

またそういうわけで、河川のそばの道路には、柳が植わっていたのかもしれない。

銀座の柳もそのようにして江戸時代に植えられたものだろうか。

柳はそんなことを強く想像させる。

「柳の文化考」は、面白いテーマとなりそうだから、今後の課題としておこう。

[PR]

by noanoa1970 | 2007-12-20 10:01 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

Commented by エレガンス at 2007-12-21 23:58 x
学生時代「花は紅、柳は緑」これが日本文化の基本と教えられた記憶があります。自然も人にも通じるようです。なかなか紅の女性にはなれませんが(笑)
Commented by noanoa1970 at 2007-12-22 09:46
そうですか、ちょうど」http://sawyer.exblog.jp/2037743/に「山田無文」老子の「紅花柳緑」の「書」について書いています。「禅」の言葉のように思われます。