Schicksalssinfonie

コアなクラシックファンであればあるほど、ベートーヴェンの交響曲第5番を、ハ短調の交響曲とか、作品67とかあるいは、もっとも使われるであろう5番の交響曲だとか言って、「運命」「運命交響曲」「交響曲運命」とは言わないようにしている傾向にあるらしい。

小生も、かってはこの交響曲「運命」は、作者ベートーヴェンによる命名ではなく、弟子のシントラーによって付けられたものであるし、「運命」というような、かなり特別の意味がある言葉によって、この曲を表現することは、わが国特有のことであるという話が耳に入っていたから、「運命」などと言ってしまうことについては、クラシック初心者であるが故のことだと思って、「運命」という言葉で、この曲を表現することは決してしなかった時代があった。

しかしこの「運命」という言葉は至極便利で、なおかつ誰もがこの言葉で冒頭の「運命の動機」のフレーズを想起するのだから、かつてのように初心者然とした使い方を拒否しなくなって来たのだった。

またコアなファンも昔のように、
≪「運命」などというのはわが国だけのことで、諸外国ではそのようには決して呼ぶことは無い≫
などの野暮なツッコミを入れるものは殆どいなくなったのは事実である。

時代は変わって、最近ある記述を見ると、「運命」と呼ぶのは諸外国においてもポピュラーになりつつあるようで、本家のドイツでさえ表題に上げたように「Schicksalssinfonie」=「運命交響曲」と表記されるようになったというから、わが国での表記の仕方がポピュラーになったことに、ある種の爽快感を持ったことがあった。

「運命」というタイトルによってこの交響曲の内容が規定されることについては、少々危険性があるのだが、それもまさしく「運命」なのであろう。

クラシック音楽に親しんですぐにこの「運命」は数少ない所有レコードの一員となった。

自身で積極的に音楽を聞き始めたのが、1960年あたりで、すでに40数年経っているうちに「運命」に接した回数は・・・・高校生までは3回/月、大学生時代が1回/月、社会人になってからこのかたまで0.5回/月と仮定し、ざっと概算すると通算で500回以上聞いていることになり、時間に換算すると250時間あまりこの曲に費やしたことになることを改めて認識した。

最近では殆ど聞かなくなってはいるが、それでもたまに聞きたくなる時があって、そんなときには誰の指揮になるものを選択するか、かなり迷うのが常である。

しかし昨日は、あまたある「運命」ライブラリーの中から、迷わず・・・というか最初からこの人の指揮になるものをと決めて聞きたかった演奏があったのだ。

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それは
フレンツ・フリッチャイというハンガリー出身の指揮者がベルリンフィルハーモニー管弦楽団と1961年に録音したもの。
あまたある運命の録音の中でも、最もユックリとしたテンポ設定で演奏しているものだ。

通常この曲は従来のブライトコップ版を使っての演奏では30分ほど、繰り返しを演35分ほどである。

繰り返し指定があるベーレンライター版で35分を超えるものがあるくらいで、超速で有名なトスカニーニ・NBC盤ではなんと29分で仕上げている。
カラヤンは平均的で30分という演奏時間である。

しかしこのフリッチャイでは、なんとなんとリピートなしのブライトコッフ版で38分もの時間をかけて演奏しているのである。

しかし物理的時間や速度は、遅く長いが音楽的時間となると、話は違って38分間息をもつかせない「熱演」で、冗長度は全く感じない。

この演奏は彼が不治の病白血病に冒され、それまでに数回の手術を受けたが、治る見込みの無い「運命」を悟った直後の演奏で、死というものを前に、絶望感を自ら昇華し、演奏の向こうに「神」の存在が見えると言わしめた演奏であると、フリッチャイ伝説の一つに言われるのも最もであると思われるほど「凄い」演奏なのだ。

48歳で無くなる1年前の47才といえば指揮者ではまだ「中堅」とされる人が多い中、フリッチャイは、神がかり的になってきたようで、全身全霊というの言葉が相応しい演奏を聞かせてくれる様になった。

人はそれを不治の病に冒されて、自身の死期を悟った結果であるというが、さもありなんとさえ思える演奏をしてくれた例は、以前ブログに書いたドヴォルザークの「新世界」交響曲でも見ることが出来る。「新世界」同一指揮者の2つの演奏を聴く・・・「フェレンツ・フリッチャイ」その1、に書いたとおりである。

ドヴォルザーク「新世界」交響曲同一指揮者の2つの演奏を聴く・その2

「運命」など聞き飽きたと思われる諸氏は、是非一度フリッチャイ盤をお聞きになられることを強くお勧めしたい。

CDジャケット写真は白血病で冒されたせいだろうか、それらしき痕跡が見られるのが哀れさを誘う。


音楽に集中して過す充実した夜だった。
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by noanoa1970 | 2007-12-07 11:03 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)