マキとマキ

小生の学生時代の後輩drac-ob氏がカルメンマキのライブへ行った事をブログに書いていた。

その中で、カルメンマキの演目で「アフリカの月」を演ったとあったので、いささか驚くとともに、ほぼ同時代を過ごし、どこかで音楽的にもつながっていたであろう、今は亡きKUROチャンとその夫である西岡恭藏の歌がジャンルなどを超えて歌い継がれることに感動したのであった。

そのブログの中に「カモメ」そして「にぎわい」という曲をも演ったとあったので、小生はあの淺川マキの同曲を想起し、「マキがマキを歌う?」とコメントしたのだった。

それからというもの、浅川マキとカルメンマキ・・・「マキ」つながりではあるが、一体どこで接点があったのだろうと気になっていたのであった。

もし二人を結びつけるものがあったとすれば、恐らく1960年から70年代の初めの「アンダーグラウンド」時代、カルメンマキが浅川のレコードやライブをその時代に聞いたのではないかとも推理していた。

小生には彼女達二人ともに共通するイメージは「黒っぽい」「社会から少しはみ出た」「時代の波にあわせない」・・・所謂われらが団塊世代のあだ花の全共闘運動にも通じるようなラディカルで、非商業主義的志向のシンボル的存在としてのそれであった。

あの時代の学園祭には彼女達は良く登場していた記憶があり、小生も学生会館で浅川マキを初めて聞いた。

浅川マキ「かもめ」1970

カルメン・マキ 『 時には母のない子のように 』 1969年

「マキがマキを歌う」・・・アルバムタイトルにもなりかねない、そんなシャレた・・・というよりどこかで共通した価値観なり、レスペクトなりを感じさせるような選曲に、西岡恭藏の「アフリカの月」同様、とにかく気になって仕方がなかったのである。

「アフリカの月」は、海で片足をなくした老いぼれが安酒に酔って酒場で船乗りの若者に昔の思い出を語る・・・そんな歌で、7つの海を航海してきたが、黒い大陸=アフリカで見た月が一番印象的だった・・・若者よ良く聞け、船乗りになったら陸で死ぬことは出来ない・・・などと歌う。

「カモメ」は海の近くに住む、やはり若い船乗りが、港町のあばずれ女に恋をする悲しい結末の歌。

「にぎわい」は、「かまやつひろし」の曲に浅川自身がが詩を付けた曲。
今はもう寂れてしまった港町を再び訪れた男が、かって栄えた港町の風景や昔愛した女を思い出して、しみじみと歌う歌である。

カルメンマキは、「港」「波止場」「海」「船乗り」の、昔の心象的風景の歌を取り上げたのだ。

このことにも、何か彼女の心の中を探ろうという欲求を駆り立てるものがあるのだが、それは実際に聞いてからの言及としたい。

昨日カルメンマキ自身のブログにこんなことが書かれていたので、紹介しておく。
浅川マキとの邂逅について少し触れられている。

7/31(火)
新澤健一郎君のリーダーバンド「Nervio」を初めて聴いた。
今回はレギュラーメンバーのヤヒロトモヒロさんの代わりに仙波清彦さんがパーカッションだった。そのせいかCDとは大分違った印象。まるでおもちゃ箱をひっくり返したようなサウンドで大いに楽しませてもらった!

3曲目の演奏途中、後ろからポンと肩をたたかれたので振り向くと、なんと浅川マキ姉さんだった。隣接するリハーサルスタジオに居るというので休憩時間に行って話をした。
大マキさんのお宅にお邪魔して、随分長いこといろいろお話ししたのは何年前だったかしら?・・・本当に久ぶりの再会だ。

私が初めて「浅川マキ」を観たのは、私が「時には母のない子のように」で歌手デビューする直前の1969年の冬、今は失きあの伝説の「新宿アートシアターギルド(ATG)」の地下「蠍座」だった。あの時の衝撃を私は多分一生忘れないだろう。その少し前に出会った天井桟敷の芝居「青髭」や、その少し後に聴いたジァニスの「チープ・スリル」、ジミ・ヘンドリックスの「Are You Experience?」と同様に、それはその後の私の人生を変えるきっかけとなるものだったと言ってもいい。
だから怖れ多くも「かもめ」を歌うことには当然、随分と勇気が要った。浅川マキファンに申し訳ない、比べられるのではないか、などと悩み、自信もなかった。けれど、そんな私を後押ししてくれたのは意外にもマキさん本人だった。「あの歌を歌えるのはマキしかいないでしょ」大マキ姉さんにそう言われて、私は安堵したと同時に、ただ好きで歌いたかっただけのあの歌が私にとって、もっと大きな意味をもつようになった。
他人の歌を歌う場合、比べられてもしょうがない、下手でもいい、それよりもその歌を大切に育て自分のものとして消化していくこと、そして良い歌を歌い継いで行くこと、残して行くことこそが大事なのだと。

ライブ終了後、帰り際に挨拶をしに又スタジオに寄った。
11月の新宿PIT INN、ドラムのセシル・モンローとのDUO公演の、出来上がったばかりのチラシをいただいた。
7月には向井滋春さんとのDUOがあった。とても元気で積極的に活動していることを知って嬉しくなった。
大マキ姉さんとは喋り出すと話が尽きなくなる。1度、電話で話しながらワインを1本空けた事もある!!!
今日も久ぶりに会って、時間が許せばもっとお話したかったのだけれど・・・。
今度はいつ会えることやら・・・又どこかで元気な大マキ姉さんに再会したい。


>浅川を「大マキ姉さん」と呼び慕うカルメンマキの姿がここにあった。
「かもめ」は曲想からして、浅川にもカルメンにも良く似合っていると小生は強く思う。

「にぎわい」そして「アフリカの月」はどのようにアレンジされているのだろうかと、気になり始めているこのごろである。

板橋文夫と太田恵資をバックにライブツアーをやっているカルメンマキ。
近いうちに聞かねばなるまい。

「山羊にひかれて」「時には母のない子のように」のカルメンマキとそれから約40年を隔てたカルメンマキ両方の音楽を、ぜひとも見てみたいものだ。

多分ロックもJAZZもフォークもそのほかの・・・「まことにつまらないジャンル」などを超越したところの「歌」そのものが聞けるに違いない。
これからは「リトルマキ」あるいは「KOMAKI」とでも、カルメンマキを呼ぶことにするか。
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by noanoa1970 | 2007-11-21 11:39 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

Commented by drac-ob at 2007-11-21 23:14 x
上手いタイトルだなと思って読み始め、一気に読了しました。「にぎわい」はCDに入ってないようです。ライブで聴いた限りでは、オリジナル通りだったと思います。「かもめ」にしても「にぎわい」にしても「大マキ姉さん」に遠慮して(敬意を払って)、本来のアレンジでやっているのでは、と愚考した次第です。「アフリカの月」は、まさじバージョンというかジャズっぽくやってます。こちらはアルバムに入ってるので、何とか入手しようと僕も考えています。

余談ですが、「KOMAKI」というのは高校時代の数学の教師と同じ名前なので、僕は「リトルマキ」を支持します。
Commented by noanoa1970 at 2007-11-22 16:42
やっと貴君のブログタイトルとの結びつきが分かっていただけたようですね。

>誰かが私の歌を歌ってくれる、私が死んだ後も(byカルメン・マキ)

小生の「マキがマキを歌う」とはここに引っ掛けたものだったのでした。

推測が的中して本当に良かった!