旦那・・・ホホイのホイッともう一杯

クラッカーという食べ物が前田製菓から登場した。
袋の中にはコンソメの粉末が入っていて、それと一緒に食べろというようなことが書いてあったが、コンソメの粉末の量は余りにも少なくて、いつもクラッカーだけが残って、そのままでは喉がパサついて困った覚えがある。

TVでは、小さな白木みのる、藤田まこと達が、長くて地面につくような刀を差した財津一郎と一緒に出ていた「てなもんや参度傘」のスポンサーだった。

子供とばかり思っていた「白木みのる」が、実は立派な大人であるということを知ったときのインパクトは相当大きかった。

「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー」と、藤田まことが大見得を切るCMも懐かしい。
我が家に初めてTVがやってきた頃のこと・・・1960年代初頭の頃のことだ。

同じ頃・・・その当時はまだまだ電気冷蔵庫などは高級品で、我が家には氷冷蔵庫も無かった。

父の実家に行くとアイスジャーというものがあって、中に氷塊があり、それで冷たいカルピスを作ってもらったり、ハブ茶という苦い薬のようなお茶を飲ませられた。

氷は貴重品だったようで、なかなか氷だけでは食べさせてはくれなかったが、その冷たいお茶や、特別に作ってくれたアイスカルピスの味は、この上ない雲上の味がしたものだった。

祖父が畑で作ったイチジクや葡萄が冷やしてあるときには、この世のものとは思えないその美味しさに仰天した。

父の実家から家に帰ると、冷たい味はもうそこには無く、その頃発売された「渡辺のジュースのもと」をヌルイ水に溶かして飲むのだが、あの冷たいカルピスと比べるとどうしようもないくらいにまずかった。

1袋づつ分封されている粉をコップにあけて、水を注ぎでかき雑ぜるのだが、どんなにかき混ぜても、白いプツプツした物質がコップに残り、それがイヤだったが、バヤリースオレンジは高価で、またプラッシーといって多分武田製薬から出ていて、なぜか米屋でしか販売してない、天然果汁のジュースは、バヤリースより高価で、当時は最も美味しかったが、ほんのたまにしか飲むことが出来なかった。

やがてコカコーラの販売員が来て、60円と6本入りのパックを引きき換えて渡して、後に販売店に瓶を返却すると1本につき10円戻るから、などといって方々を回っていたが、氷も冷蔵庫も無かった我が家では、生ぬるいコカコーラはとてもまずくて、瓶に入った風邪薬の味がして飲むのをやめた覚えがある。

しかしそれから3年もたつと、コカコーラは手放さない飲み物の一つとなるから、世の中は不思議だ。冷蔵庫の普及がコカコーラの販売促進につながったことは明らかだろう。

渡辺のジュースのもとは、オレンジ、パイン、グレープと3種類のパックが1袋5円という値段だったから、母親は良くこのジュースのもとを買ってきた。
この中ではまだグレープがましで、オレンジは最後まで残っていた記憶がある。

しばらくして3種類混合のパッケージから、それぞれが単独で発売されたようで、我が家では葡萄色のパッケージを殆ど見ることになった。

5円のジュースのもとで作る「偽のジュース」・・(ただし当時ジュースというものはこのことだと思い込んでいた)は美味しくは無かったが、同時期に出たメロンソーダ(春日井製菓だったか)のもとよりはましであったから、仕方なく飲んでいたが、それはTVコマーシャルのせいでもあったように思う。

「ホホイのホイッともう一杯、渡辺のジュースのもとですもう一杯。
憎いくらいに美味いんだ、不思議なくらいに安いんだ。
へへん、渡辺のジュースのもとですよ・・・

このアニメCMで歌うのが、エノケンであることは母親が指摘した。

「エノケン」は、榎本健一という喜劇役者で、JAZZスタンダードナンバーを日本語の歌詞に直した曲を良く歌っていた男で、サルにソックリな顔をして当時は時々ブラウン管の前に現れたのだった。

「エノケン」は小生がまだ小学校に通う前から、ラジオで盛んに放送されていたし、映画の看板にもなっていたし、その本名は知らなくても「エノケン」の名前は自然と耳に入っていたのだった。

多分「萩元欣一」は「榎本健一」をもじって付けた芸名であろうと、強く推測可能だ。

エノケンが残した数々の作品には「エノケンの・・・」とタイトルされたものが多い。
小生はまだまだエノケンの作品を多くは見てはいないので、これからがとても楽しみなことである。

バスター・キートン、ハロルド・ロイドやチャップリンと比べてみるのも、面白いかもしれない。

そんなエノケンが歌ったJAZZの曲に「エノケンのダイナ」というものがある。
小生は、この「原曲?」を当時聞いたことがあるのだが、「ダンディ男「ディック・ミネ」が歌ってヒットしたこの「ダイナ」は昭和初期の頃だったが、戦後の復興期にその歌がリバイバルされて良くラジオから流れていたのを聞いていからである。
日本語と英語が混ざった彼独特のこぶしの利いたスウィングJAZZであった。

動画のバック「クラリネット」は若き日の藤家虹二 ではないだろうか?

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時は流れそれから数十年、あるとき日本のフォークと称されるジャンルのライブ音源を収録したHOBO’Sコンサート1974年に「林亭」(大江田信と佐久間順平)バンドの「だんな」という曲が収録されているのを聞くこととなった。

「だんな」は「ダイナ」のメロディを日本語の面白い歌詞を付けて歌った曲で、
作曲がハリー・アクスト、作詞はサトウハチローだ。

「ダンナー のませてちょうダイナー おごってちょうダイナー たんとはのまない ね いいでせう    ダンナー 盃ちょうダイナー コップなら尚結構 こいつはいける 酒はうまい うまい 少し酔った、酔ったらさー来い、・・・・・・」

「ダンナーなぐってちょうだいな ぶんなぐってちょうだいなー・・・・」

林亭はバンジョー、フィドル、マンドリンなど、ブルーフラスの楽器で調子よく歌う。

そう、これは明らかにディック・ミネのパロディで、元歌が「エノケン」であることを知ることとなった。

米国ハリー・アクスト→ディック・ミネ→エノケン→林亭と歌い継がれてきたのだ。
そして最近のことMIXIのマイミクの方からJAZZピアニストの山本剛がこの林亭の歌ったサトウハチローの歌詞の・・・エノケンの「ダイナ」を得意としていて、ライブでも歌うと聴いて驚いたことがあった。
早速その模様を動画で送っていただいたが、スローナンバーに編曲してあり、それはそれで・・・林亭のブルーグラスアレンジとは対極的なトーンであった。

小生が山本剛を知ったのは、1973年、彼がTBMからレコードデビューするのが、林亭の出演したHOBO'Sコンサートの開かれた1974年と同じ年なのは何かの因縁があるのだろのだろうか。

また山本が「だんな」を何時からレパートリーに取り入れたのかは知る由も無いが、昨今では、浅草オペラの二村定一が昭和初期に歌った「アラビヤの唄」をレパートリーに加えているというから、彼も幼い自分から、ラジオから流れてくるこの曲を聴いて育ってきたと想像するものである。

ちなみに山本と小生は、生まれた年月が同じで、彼よりちょうど10日だけ小生が先輩に当たる。

まさか渡辺のジュースのもとは、ライブで歌うことは無いだろうが、古い日本の・・・今や忘れかけられている昭和の歌を復活させてくれることを願うばかりである。

JAZZが入ってきた当時の日本の風景とともに、日本の近代化の姿がそこに見え隠れするようである。 

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by noanoa1970 | 2007-11-16 09:15 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

Commented by Queiko at 2007-11-16 22:25 x
11/ 3日に山本剛ご本人のダンナを直接間近で聴くことができました。そして11/ 12日は片山広明カルテットでダイナをコレまた最前席にて堪能、クルマの中でもヘビロテしてますよ、旦那。
Commented by noanoa1970 at 2007-11-17 15:44
Queikoさん
林亭の「だんな」youtubeにUPしたものをリンクしましたので聞いてみてください。山本剛とはまた違った味が楽しめるでしょう。