面影橋から

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ベルウッドレーベルの懐かしい「日本のフォーク」オムニバスを取り出した。
TVで最近、「はっぴいえんど」の「かぜをあつめて」が流れていたので、懐かしくなってジックリ聞いてみようと思ったのがきっかけだった。

CD2枚に収められた当時の日本のフォークを中心にレコードを作製していたベルウッドは、キングの傘下のレーベルで、多くのミュジシャンたちを世に送り出したことは評価に値する。

高田渡、はちみつぱい、南正人、六文銭、西岡恭藏、ディランⅡ、山平和彦、あがた森魚、友部正人、シバ、いとうたかお、武蔵野たんぽぽ団、ごまのはえ、岩井宏、及川恒平、大瀧詠一、小室等の曲が収録されている。

岩井宏の「紙芝居」は、いまや幻の音源となっているし、「ごまのはえ」などというマニアックなグループも登場するから、オムニバスといってバカには出来ない。

小室の「雨が空から降れば」は、小生の好きな一つであるが、ここにもう一つ思い出深い曲があることを再発見した。

それが及川恒平の「面影橋から」である。

さらに及川恒平のソロで「面影橋から」

1972年・・・その頃人生に息詰まりを感じはじめていた京都のアパートで、深夜のラジオから流れてきたこの歌を聞いたとき、その前に作られた「出発の歌」の頃とは随分違う自分をそこに見出したようで、やるせなさを感じていた頃のことだった。

「面影橋」から「天満橋」・・・
大淀とは淀川であろうし、天満橋は大阪の天満であろうことは容易に推測できたが、面影橋とは・・・

何しろ当時の小生は、この曲の背景の地を、勝手に「大阪」だと決めて聞いていたのであった。

大阪に行けば何かがあるかもしれない・・・などと思うことも確かにあった。


季節外れの赤とんぼ・・・「流して上げよか」大淀に・・というフレーズが
「切って捨てよか」大淀に・・・と、変化する表現の心象には、どのような心境の変化があったのだろうかと、感性を大いに刺激されたものだった。

いや、恐らくそこに小生と作者の同体験の存在を想像し見出していたのだろう。

面影橋から(昭和46年)
田中信彦・及川恒平 作詞    及川恒平 作曲   及川恒平 唄

面影橋から 天満橋  
天満橋から 日影橋
季節はずれの 風にのり
季節はずれの 赤とんぼ
流してあげよか 大淀に
切って捨てよか 大淀に

いにしえ坂から わらべ坂
わらべ坂から 五番坂
春はどこから 来るかしら
風に吹かれて 来るかしら
めぐりめぐる 思い出に
歌を忘れた 影法師


あれから35年、及川自身が述懐したエピソード記事を見つけたので、「面影橋の秘密」と言うことにしてして、コピーしておくことにした。

天満橋は大阪。
面影橋の所在地は知らなかった。
でも曲は書ける。
 
ところで日影橋は劇作家の頭の中だ。
後日ありもしない「全国の日影橋を探そう」というキャンペーンをはったのは、
某ベルウッド・レコードです。

当時ぼくは大学の演劇部に籍があり、先輩の新劇団には座付き作曲者として加わっていた。
後に小室等と出会うことになるほかの劇団では、劇中で歌ってもいた。
最初『面影橋から』は、大塩平八郎の乱を題材の芝居で役者が歌った。
夢と現実の狭間を表現したもので、
実際の場所など知らなくてもなんの不都合もなかったというのが作曲家らしい言い分だ。

か、どうか。
六文銭で『面影橋から』を歌った訳は、きっとほかに曲がなかったとかそんなところだ。

思い出してもしかたがない。
おまけに最初はワンコーラスしかなく1分強で終った。           
ところがそのありあわせの1分強が、どうも同世代の聴衆の心をくすぐったらしい。
ウケルためになんか歌っていないはずのぼくらもそれには敏感だった。
正直モノだ。

あわてて2番の歌詞を書くことにしたのは言うまでもない。
日本文学科の学生というそれだけの理由で作詞者はぼくであった。
彫刻科や化学科のほうがもしかしたらという発展的な思考には
ついにいたらなかった。

2番の歌詞はとりあえずの語呂あわせだから、実は録音によりしっかり違っている。
おまけにタイトルも『思影橋から』だったりもするし、『から』がなかったりもする。
誰のせいかは微妙なところ。
その場かぎりを歌うこと以外に、記録としてとどめる発想などのなかった頃には、よくある話だ。

と、思う。

だから六文銭のレパートリーは、なんとかの歌とかアタマの歌詞そのままとか、
そりゃそうだけどのパターンがじつに多い。
聴かれて苦しまぎれに団長の小室等がそう答えるのだから、
ぼくら団員がそうするのは無理はない。

と、思う。
 
さて『面影橋から』はレコードとしてどれぐらい売れたのかぼくは知らない。
つまり知らされるようなシロモノではなかったのだ。
ところが不思議なことにこの歌は売れなかった歌としては、意外なほど知られている。
だからぼくもこれを書いている。
 

それにしても悔やまれるのは、"全国の日影橋さがし"キャンペーンだ。
あったからといってどうなるのだ。
もしどこか片田舎にやっと見つけたとして、その橋のたもとで歌ったからといってどうなるのだ。
きっちり思いつきだけ。戦略ミス以外のなんなのだ。
すっきりした。
 
しかし、このてのカナシイ歌は、フォークというジャンルには結構あるような気がする。
ここにきて楽団『六文銭』の演奏がおもしろい。
この歌を歌う機会もふえるだろう。      
 
『面影橋から』現象は、
マスメディアが掴まえきれなかった流行がはばをきかしていた時代の、おとぎばなしだ。


少々自虐的な述懐だが、面影橋は大塩平八郎云々とあるから、神田川にかかっている橋のまま絵であるということは知っていたのだろう、しかし場所は知らないし、そんなことはどうでもも良いことだともいっている。

橋の探索事件をベルウッドが仕掛けた事実を小生は知らないが、これだけ「橋」の名前が出てくると、小生などは「日本の橋」・・日本浪漫派の重鎮、「保田与重郎」の著作を連想してしまうところがある。

作者が、どこにあるかさえ知らない「面影橋」、そしてそれ以外の「橋」は、作者の観念の産物であった。

しかしこの歌で重要なのは「橋」という建設物ではなく、人生の川を渡るための手段であろう。
いくつもの「橋」を超えてもなお、春は遠い。

人生の春は、いくつもの「川」を越えると来るというが、いくら橋を渡ってもちっとも手元にはこない・・・

70年代初頭・・・(重くは無いが)人生の挫折から、なかなか抜け出すことが出来なかった時代の一こまを象徴するような歌の一つであった。

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by noanoa1970 | 2007-11-15 12:08 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

Commented by DADA at 2007-11-16 21:02 x
しばらく新宿の中落合というところに店を出していましたが、そこに行く途中(早稲田辺り)に「面影橋」という路面電車の駅がありました。
それを見て、あの「面影橋」はここのことなんだろうなぁと思っていましたが、どうやらそうだったようですね。
それにしてもこのアルバム、凄いですね!
Commented by noanoa1970 at 2007-11-17 15:49
DADAさん
「着物deJAZZ」盛況で何よりでした。小生は同じときに開催された岡崎JAZZにも、風邪を引いて寝込んでいたので行くことが出来ませんでした。関東方面にも機会があればお邪魔したいと思っています。
岩井宏の「紙芝居」youtubeにUPしたものを近くリンクします。
楽しみにお待ちください。