暖かい暖炉に水を掛けるな

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Cannonball Adderley Quintet のMercy,Mercy,Mercy!Live at 'The Club'を初めて聞いたのは1967年。
京都の「蝶類図鑑」か「YATOYA」でのことのように記憶する。

当時、バップかフリーがよくかかっていたのに、この選曲は大変目らしく、小生は一瞬R&Bが聞こえてきたかのような錯覚を覚えた。

それというのもその頃ラジオからは良くアレサフランクリン、パーシースレッジ、そしてオーティスレディング、サムクック、ソロモンバークなどのソウル系のミュジシャンの音楽が聞こえてきて、そのゴスペルとブルースとJAZZミクスのような音楽にインパクトを覚えていたからであった。

A面の2曲目の「GAMES」はナットアダレイの手になるソウルフルな曲だし、3曲目アルバムタイトルにもなっている「Mercy×3」は、なんとジョーザヴィヌルの作品で、こういう音楽をJAZZでは(「ファンキー」というのだろう)エレクトリックピアノを使ったスローだが軽快な音楽に魅了されてしまった。

(今聞きなおしてみると、この曲どこかオーティスレディングのドッグ オブ ザ ベイにフレーズが似ているところがある)

早速壁に掛けられたレコードジャケットを記憶しタイトルをコースターの裏にメモしてから、レコード店に行き入手した。

その頃の小生はJAZZZ喫茶とクラシック喫茶の両方を渡り歩いていて、クラシックはもっぱら出町柳の「柳月堂」か余り出ることは無かったが、街中に出たときは、三条川原町の「るーちぇ」、しかしJAZZ喫茶はかなり乱立していたのと、店によって音響装置が違う性で、音の特色の違いがが色濃かったので、いろいろなところを物色した。

「ブルーノート」、「ダウンビート」、「52番街」、「しあんくれーる」(1Fがクラシック2FでJAZZを掛けていた)、少しシャレた雰囲気を味わいたいときは「ムスタッシェ」、大学の4年になってもまだ単位を取ってなかった体育の授業で一緒だった男が今度始めるといった「コットンクラブ」などなど、思い出の場所は多い。

熊の神社の交差点に近い「YAMATOYA」は中でも好みのJAZZ喫茶だった。
この店は他の店ほど音量を上げないから、真空地帯のような沈黙がなく空気管があり、しかも声高にしゃべる声は逆に聞こえない店の持つ独特の雰囲気があった。

この主人、陶芸をやる人で、後にNOANOAの2Fで個展を開いたときに再開した。
当時は若い奥さんと2人で店をやっていて小生とほぼ同じ世代の人間のように思えたが、40年時を経てみると、やはりそれらしくなっていて、それは小生も同じなんだと納得したものだった。

あの当時はレコード音楽、それにかかわる情報はうんと少なかって、このアルバムの
Live at 'The Club'の'The Club'とはどこかのJAZZクラブ、そしてこのレコードの録音はそのライブ録音であると信じきっていた。

レコードからはそれらしいライブハウスの雰囲気が伝わってきて、客のざわめきも、ナレーションも、あたかも自分がそこに存在して生で音楽を聴いているかのような気分を味わうことが出来、こんなところでお酒でも飲みながら音楽が聴けたらいいな・・といつも思っていた。

レコードジャケットの裏にはそれらしきことがかかれていて、「シカゴ」のJAZZクラブでのライブであるように読める。

しかしある筋からこれは「真っ赤な嘘」であるとの情報を得ることになった。

このレコードはシカゴのJAZZクラブでのライブ録音ではなく、ロスアンジェルスのスタジオに観客を入れて、(お酒などを出したかどうかは、分からないが)あたかもJAZZクラブのライブのような演出の元で録音されたものであるなどという、いわば今流行の「情報公開」がなされた。

でも、しかし、・・・・

たとえそれが事実であったとしても、そのことを声高の叫ぶことが、誰のために、そしてどのようなメリットがあるというのだろう。

隠された真実を公表することは、一般論的に言えば、確かに正しい行為であるかもしれないが、隠されていた(擬似ライブ・・・これはクラシックの世界においてもよくあることで、ゲネプロに観客を入れたものをライブ録音として市場に出すなどの事実は必際にあったことだ)ことを、そのままにしておいても、誰も不利益にならないだろう。

それにもかかわらず、敢えて公表し、「俺はこんなことまで知っているぞ」などという極個人的な喜びを満たすための道具としてしか「情報」を公開する意味がないとすれば、このプアーな正義感から出た情報公開は、(この場合はまさしくそうであると思う)付加価値を生産することにはならず、帰ってマイナスの価値を生産してしまう。

しかもこのレコードが世に出てから40年経つのだが、当時からこのレコード音楽に抱いてきた視聴者の「夢」や「思い」そして「憧れ」をも一瞬のうちに打ち砕いてしまい、「騙されていた」という感情が先走ることになる。

価値を再生産しない情報公開などは必要が無い・・・というと反感を食らう可能性が大であるが、敢えてこのように言っておくことにした。

「真っ赤な嘘」という悪意がこめられたような言い回しが、このレコードに収録された音楽演奏に悪影響を及ぼす可能性があるなどとは思わない想像力の欠如は、・・・多分音楽関係者であろう人間の言動としては最低であり、「それは別にして音楽そのものの価値に変わりは無い」などのフォローを入れておく気遣いは必要であろう。

「亀田事件」のマスコミの、そして視聴者の反応がたった1日で逆転するような危うさを人間の感性は持っている。
こうした例を挙げるまでも無く、「情報」の与え方、そして得方の問題は奥が深い。

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by noanoa1970 | 2007-10-29 10:45 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(1)

Commented by HABABI at 2007-10-29 22:06 x
sawyerさん、こんばんは
この録音は持っていませんが、持っている1975年録音"Cannonbal Addderly Phenix"のLPの中に"Mercy,Mercy,Mercy”が入っています。Nat Adderley(tp)、Mike Wolff(keyboards)などが参加しています。Cannonball Adderlyのアルトサックスは滅茶苦茶うまいですね。Milesの"Kind of Blue"でも、Coltraneのソロよりいいと思うことがあるくらいです。
映画”(続)三丁目の夕日”が公開になります。ここでは、昭和30年代の風景を背景に、登場人物が映されるところは、ブルーバックで撮影したところに別な映像をはめ込んで合成しています。それで、いいように思います。
人と人とのコミュニケーションが難しいのと同様、絶対的存在、絶対的事実(例:1+1=2)以外は、不確かで、うつろうものであると、今更ながら痛感しています。それを少しでも確実にするため、デフォルメとか誇張とかがなされるのではないかと思います。