封印された振武寮・・・特攻隊の悲劇

昨夜NHKスペシャルで、特攻隊の悲劇「振武寮」という番組を放映した。
この夏小生は映画「月光の夏」を再びGyaoで見ることとなり、それをブログに書いた。

知られざる戦争の傷「振武寮」
月光を弾きて往きたる特攻の 思い語るか古きピアノよ

そこで、そのとき以上に知りえた事実を、録画をせずに一気に見たので、記憶が不鮮明なところがあるが、覚えている限り、書しておくことにした。

敗戦の色が濃くなってきた1945年、学徒動員が盛んに召集され、多くの大学生が戦闘要員として戦地に配置される前の訓練を受けた。

三重県明野の訓練場で、たった3ヶ月の飛行訓練を受けたに過ぎなかった六郡航空隊志願兵は鹿児島の知覧飛行場から特別攻撃隊として出兵するための要員となる。
その殆どが18から20才の若者であった。

彼らの中には、肉親を米国戦闘機の機銃掃射で無くし、その堅きうちをするために志願したものもいた。

陸軍参謀本部は自体を考えて、「一機一艦」という体当たり作戦を机上で考えることになった。

現場の指揮官の中には、その非現実性を指摘する人もいたが、それらの声は有事の重さによってかき消されたという。

少し先に実施された海軍特攻隊の(有名な神風特攻隊)の戦果が華々しく伝えられると(恣意的な報道管制・・大本営発表によるものだろう)、海軍に負けてはならないという、いわば身内の戦いから、陸軍航空隊による特攻作戦が具現化されたという側面があったということが分かった。

しかし陸軍の保有する97式、あるいは1式戦闘機(隼)は、長樹の使用でエンジンも、機体も相当老朽化したままであり、おまけに対ソ連用に開発されたという背景を持つから、海軍の戦闘機や爆撃機のような性能は保持してなかったという。

そのため250K爆弾を搭載して航続するためには、他の重量あるものをすべて取り去らなくてはならず、無線装置、機銃真で取り去られたという。

それでも作戦の、高度1000mから垂直に下降して、敵艦に体当たりするなどは、技術的にも、戦闘機の性能から言っても不可能であったという。

陸軍の両戦闘機は時速300Kが限界点で、350Kを出すと空中分解する恐れが多分にあったという。

たった3ヶ月の飛行訓練しか受けてない素人同然の航空兵派、仕方なく水面スレスレを飛行せざるをえなかったが、それは非常に危険をともない、援護機も無いままに出陣したからグラマンヘルキャットに撃墜されたものが多かったという。

恐らく知っている人は少ないと思うが、特攻隊で出撃した総数は約4900人、(恐らく殆どの人は)特攻隊の全員が、見事に「お国のために死んだ」と思っておられるかもしれないが、実はそうではなく約半数近く(記憶では)が生き残っているという事実だった。

映画「月光の夏」は、出撃前にピアノを弾きに鳥栖小学校を訪れた2人の若者への思い出を描いた話であるが、そのうちの一人は生き残った。

理由は殆どが戦闘機の整備不良で、エンジンがストップしたり、操縦コントロール不能で、作戦の場所まで到達できずに不時着したり、最寄の基地に帰還を余儀なくされたものだ。

番組の中では第22振武隊(陸軍航空隊の別名を振武隊という)に配属され、沖縄作戦に特攻隊として出撃したが、飛行機が整備不良でやむを得ず島に不時着し生還した人の話があった。

彼らはすべて福岡の「振武寮」という帰還した特攻兵の収容所に入れられて、上官から「何故生きて帰って来た・・国賊」と罵られ、激しい叱責をされ続けたという。
そして下界には顔を出すことも出来ないまま、精神修行の鍛錬や、肉体的訓練をさせられた。

特攻隊員は、神兵であり、国のために尊い命を捧げた英雄でなくてはならなかった。
その神兵である英雄英霊が生き残っていては困るのだ。

大本営発表の嘘や、続いて出兵する若者達の士気に影響することを恐れた参謀達の悪知恵の結果であった。

番組でインターヴューを受けた特攻隊の生き残りの人たちは、もうすでに80台の半ばの人ばかりだが、中の一人は、仲間が最後に書き残した国旗をいまだに、カバンに入れて全国を行脚し、無くなった特攻塀を供養しているという。

彼の仲の良かった一人は師範学校から志願した若者で、出撃前の彼の言葉は「もう一度生まれ変わるとしたら、戦争の無い国に生まれて、教壇にたって多くの生徒を教えたい」ということだった。

出撃が決まってから数日は「死」について悩んだが、前日には親兄弟親戚友人知人を守るためにということに落ち着き、国のため、まして天皇陛下のためにということは一切思わなかったという本音を言っていた。

振武寮の寮長という陸軍少佐級の人物が残したテープで、「彼らは全て大学生で、通常の兵隊より学問があったしか、人の命は地球より重いなどといい、何故われわれが何のために死ななければならないのかなどと言ってくるものが多かった、などと当時の振武寮に収容された若者を語った。

さらに、特攻兵と天皇陛下の命令によって・・・つまり赤紙によって召集された兵隊を差別したことがあったらしく、与えた飛行機も特攻兵には旧式のものであったという発言も有った。

戦闘作戦として全く効果も無く意味も無い・・・それを分かっていながら、このような無謀な作戦を実施した・・・集団ヒステリーのような陸軍参謀の心的要因を探りたいのだが、思うにそれは連合赤軍、オウム、そして昨今の紀元水をシンボルとする宗教団体の、集団リンチにいたる心的動向の結果であったのかもしれない。


こうしてみると映画「月光の夏」は、かなり忠実に事実を語った映画であることが分かった。

「生き残ったものの苦しみと悲劇」が、現実としてそこにあった。

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by noanoa1970 | 2007-10-22 09:58 | トピックス | Comments(0)