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DRAC興亡史・・・1967~71その24「幻想曲とフーガ」

≪危ない記憶≫

しかし小生はサークル活動と学園闘争を切り離して考えることに決めていて、文連本部が「赤色」に染まり始め、傘下のサークルでさえ「赤色」のヘルメットに白文字で全学闘と書き入れることを成り行きで迫られたときに、Mにそのことを話してみると、彼も意外と学園闘争のヘルメットを「赤色」にするのには難色を示す一人であった。

白色では工事現場の人みたいでおかしいし、黄色では嫌いな政党の下部組織の人間みたいで避けねばならなかったので、赤色の上から塗れるスプレーの「黒色」を選択し、吹き付けるが水性と油性の違いなのか、下に塗られた赤色の塗料が、収縮して皺になり其れがなんともいえぬ亀甲紋風の風情を出したのだった。

文字は全く入れずに自身のアイデンティティを出したつもりであったが、この「黒」の、しかも皺になって、かなり古びたように見える其れが、後に小生にとって大きな事件の一つに発展することになるのだった。

沖縄反戦闘争だったかでの、大阪御堂筋のデモにMとともに参加することになったのだが、例の黒色のヘルメットを携えて大阪に出向く途中、Mが突然「ひょっとしたらそのヘルメット、やばいかもしれん」と言い出した。
聞けば当時のセクトで、一番暴力的で危険なセクトが矢張り黒のヘルメットだというではないか。

でも小生のは艶消しで、しかも相当くたびれかけて見えるし、ロゴも全く入ってないから大丈夫だろうなどといって、そのままデモに参加した。
御堂筋を南にデモは続いたが、ある場面で先頭の集団がいきなりジグザクデモを開始したとたん、其れまで周囲を警備していただけの機動隊がいっせいに、デモを阻止すべく動き出した。

それでもしばらくの間、ジグザクは止まることなく続けられたのだが、機動隊員たちの目がどうも小生を見ているような気がしてならなかった。小生を見て隣同士、何か小声で話しているようなのだ。

デモ隊が進み、途中で長い竹竿を持った赤ヘルの集団と・・・これは明らかにセクトの集団と合流しかかったその途端、機動隊が一斉にデモ隊を襲ってきた。
これはやばい、さっきから小生の黒ヘルに目をつけていたのは間違いない・・・そう思った瞬間、小生はヘルメットを思い切り脱ぎ捨て、羽織っていたナイロンのヤッケをも脱ぎ捨て、一目散に御堂筋から全速力で脱出し、横丁地下の飲み屋街に逃げ込んだ。

そこには店主と思しき中年の女性と4・5人の客らしい人がいたが、皆親切にしてくれ、お茶までご馳走になって、ほとぼりが冷めるしばらくの間置いてくれた。

京都から来た同志社大学の学生だというと、ご苦労はんなことや、わしの親戚にもあんたと同じ大学に行っているものがおる、気いつけて帰りや、帰りの電車賃は有るのかなどと親切に言ってくれた。

下町の人情を感じて感激しつつ、約1時間置いてもらった後、京都に引き返した。
このとき数十人の学生が検挙されたと後に聞いたが、もう少し逃げるのが遅れたら、あのセクトの人間と間違われて、相当ひどい目に合わされていたものと震え上がったものであった。

京都大学での集会に参加したときにも、大学側が機動隊を要請し、キャンバスに機動隊が入ってきたことがあった。
少し前の「百万遍の市街戦」のような騒ぎの影響だったのかもしれない。

文連傘下のサークルの人間を含めた学生が、学生会館前から出町を経由し、百万遍から京大の時計台下の広場までデモ行進する10.21国際反戦デーのイベントだったように記憶する。

見かけはただのデモ行進であったが、京大に到着すると、そこにはあらゆる色のセクトのヘルメットと旗が並ぶという物凄い光景で、文連の諸氏はうまく赤ヘルのセクトの口車に乗っかった形で、中には赤ヘルに白地で文連と書いたヘルメットで参加したものまで少なからずいた。

文連本部役員の中には、「赤」のヘルメットに象徴されるセクトの人間が存在したのかも知れない。

京都府学連の呼びかけの集会であることを知らずに参加したから、京大に到着して驚いていたのも後の祭り、大学側が機動隊の要請をし、大挙して乱入してきたから、学生はチリジリとなって方々に逃げるのみであったが、小生は行き先を見失って京大のとある校舎の3階に逃げ込んだ。

しばらく息を潜めていると、突然「お前らどこのものや」という大きな声とともに、3人のツメ襟姿の、京大生らしくない、どこかの体育会系の大学の生徒のような男が傍に立っていた。

同志社大の・・と言いかけると、さえぎるように、「どうして同志社の学生がここにおるじゃ」とやくざのような口調で言うのだった。

機動隊に追われて逃げ込んだのを知っていて言うのだから性質が悪いが、サークルの交流でとか何とか言えばいいものを、そのときはそのような機転が利かずにいて、それから延々と数時間にわたり監禁状態に置かれてしまった。

夕闇が迫って暗くなりかけた頃にやっと開放され、BOXにも最早人がいないだろうと思いついつ、かといってこのまま下宿に帰るのも侘しかったので、K田を訪ねると、DRACでも文連本部でも小生がいなくなったことで話題となっていて、恐らく機動隊につかまったものと思っていたそうである。

2.3発軽く殴られた後、しばらく監禁されたことを話し、その夜はブラックニッカ・・・文字通り苦い酒を飲みながらK田の下宿で過したことがあった。

当初は恐ろしく思えたその体育会系の・・京大生に間違いないと思うが、話をするうちに相手が当初、小生をセクトの人間と思い込んでいて、殴ったことを悪く思ったのか、柔和な姿勢を見せた。

それで、時が来れば開放されると言う実感があったから、ひたすらそのときを待っていたが、矢張り思ったとおりそこは体育会の学生、事情が分かりしばらくするとアッサリ返してくれたが、これが黄色のヘルメットであったとしたら、加茂川に浮いていたかもしれないと、思い出す度にゾットするのだった。

R大、K大の「暁部隊」という黄色のヘルメット集団は、学生と社会人が組織する、ある政治政党の青年組織で、何をするか分からない、有名な強力な恐怖の集団という噂を耳にしていたのだ。

小生が初めてヘルメットを着用し、その効果を体験したのは、新町校舎をある政治政党の下部青年組織が占領し、通用門を閉じて逆ロックアウトをしたということからであった。

いつも、暴力反対と言っていたにもかかわらず校舎に立てこもって投石器だろうか、石を無差別に投げてくるのだった。
隣のR大や社会人(暁部隊)も参加しているらしいという噂も聞いた。

それで彼らを追い出し、ロックアウトを解除すべく駆けつけるその中に入って、校舎の手前の扉の前に待機しているとき、突然「ガン」という音とともに、頭と首に強いショックを受け、体がしびれるような感触が襲ってきた。

偶然Mから渡されたヘルメットをかぶっていたが、其れを脱いで見るとヘルメットの頂上に直径5cmぐらいの皹が入っているのが確認できた。
石が飛んできてヘルメットを直撃したのである。

相当のショックだったし、一体どのくらいの石を彼らが投げているのか、あたりを探すとこぶし大より少し大きいブロック槐が近くに落ちていた。

校舎の2回から恐らく投石機によって投げられたからその衝撃は大きく、もしヘルメットを着用していなかったら、頭蓋骨骨折で脳挫傷の可能性も有ったことだろう。

しかし中にはヘルメットなしで参加するものもいて、学友会の「NH」が勇敢にも、ヘルメットなしで、飛んでくる石を除けていた光景を思い出す。
この体験から小生はその後ヘルメットを着用することにしたのだった。

by noanoa1970 | 2007-09-18 07:09 | DRAC | Comments(0)