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DRAC興亡史・・・1967~71その23「大学紛争」

≪大学紛争下のDRAC≫

69年という年は大学が大きく変貌した年でもあった。
68年の10.21国際反戦デーを契機に、学生運動の烽火がアチコチで上がり始め、小生が
政治学のゼミで一緒だった、体育会のレスリング部にいたはずのNが、突然講義の前にアジビラを配り始め、「中核」に加入したという。

理由を聞くと、単純に「このままでは何をやったかわからなくなってしまうから、何か能動的なことをしたい」そういうだけで、其れがなぜ学生運動の、しかもセクトのしかも同志社では超マイナーな「中核」だったかのかは、分からないが、ヘルメットが格好よかったからだという、笑いながらの言葉だったから本当か嘘か分からない。

彼は69年のセクト間の争いで「革マル」の手によって殺されてしまう運命をたどることとなった。
素手なら、絶対に負けないNであったが、恐らくは鉄パイプなどで激しく殴打されたものという話を聞いた。

その頃の文連本部の役員達の中には、大学の政治的状況を文化・・・つまり文連のサークル活動に優先するものとする風潮があって、当時、中川五郎が歌った反戦歌フォークに「今は長すぎるコンチェルトなど、聞いているときではない・・・」などというものに象徴されるように、文化活動を下位構造におく輩が増えてきており、HS川幹事長もどうやらそのようなそぶりを見せることがあった。

小生はそのような考え方には真っ向から反対で、政治≒学生運動>文化活動ではなく
文化活動とそのほかの活動は、最大に見ても異質であり等価であるという主義であった。

文連主催のキャンプに(なぜか、マドンナT村が行きたいとリクエストしたので、小生は彼女の参加には余り賛成できなかったが、連れて行くことにした)Mと3人で参加したときの面白い話に、将棋研究会の文連常任委員のある男が、学園闘争とのかかわりについて「今将棋研究会では、機動隊の参入や、セクト間の闘争の再、どういう布陣にしたら一番効果的な対抗が可能かを、将棋を通じて・・・すなわち戦略を立てている」などと、本気でしゃべるのを聞き、あっけにとられ、今にも吹き出しそうになったが、回りの誰一人として笑うものがいなかったので、必死に笑いをこらえたことがあった。

この例が象徴するように、やたらめった日常文化活動と学園闘争を、あるいは70年安保闘争に関連付けようという、悪しき力がなぜか働いていたのは事実だった。
「悪しき社会主義リアリズム」などご存じない文連傘下のサークルの、しかも文連常任委員の存在は小生を唖然とさせた。

中川五郎は「コンチェルトを聴いているときではない」と歌ったが、歌を歌うことが反戦だという大きな錯覚を抱いている向きもあって・・・このことに気がつかないで、サークル活動をないがしろにしようとすることは小生の性分にどうしても合わないことであった。

一体何が変わり何が到達できたら、コンチェルトが聴けるようになるというのだろう。
こんな歌を平気で歌うようなやつは、永久にコンチェルトなど聞けやしまい。

高田渡と中川五郎の大きな差は、実はこのことに有る。
大鉈を振るって言ってしまえば、反戦フォークなどは一時の流行歌にしか過ぎない。

「音楽など聴いているときではない」・・・しからば何をどのようにするのだろう。
セクトのアジ演説ライクのものに、闇雲に乗ってしまっては、見えるものも、見えなくなってしまう。

こういう誤った例は他にもあって、
69年のこれも遅い春のこと、小生がBOXで女子大から入部したY木の後輩に当たるY内と話していると、突然ノックもなく長髪の大男が2人が入ってきて、いきなり責任者を出せと凄むのだった。

副幹事長のSY野ですがなにか・・と問いかけるや否や「お前のところはイイナー、今がどんな状況なのかも知らないのか、こんなところで音楽を聴きながら女としゃべって・・・」などといきなり言う。

その背景は、以下のようなことであった。
後輩の2回生連中が、水コンの立て看作成に、キャンパスにあった壊れかけた学術団の法学研究会所有のものに、ペンキを上から塗って流用し、キャンバスに立てたというのだ。
立て看の裏には法学研究会と表記されているから間違いないというのであった。
要するに、立て看を盗んだということで、詫びを入れろというわけだ。

「こんな状況下で音楽を聴いて女としゃべってるのか・・・」については、相当頭にきたし、文連サークル(DRAC)を、あまりにもなめた発言をしたので、カッとなったが話を聞くとうちのメンバーの落ち度が明白だったから、そこは素直に謝罪し、後に幹事長と一緒に相手側のBOXに頭を下げに行った。
幸いよく知っている文連の本部役員の人間が、法学研究会の幹事長と友人だったこともあって、何とか丸く収まったが、あの時はまるでやくざのセリフめいていて、小生も青くなったが、しばらくして、キャンバスをデモ行進していると、彼らもデモの戦列に加わっていて、目が合った瞬間「あの時は言い過ぎて悪かった」・・という素振りで、軽く手を上げ、挨拶したことであの時持った悪い感情もどこかに吹き飛んだことがあった。

小生を軟弱な音楽鑑賞サークルの副幹事長と思っていた彼らは、まさか小生がデモの戦列に、加わっているなど夢にも思わなかったのだろう。

by noanoa1970 | 2007-09-17 09:30 | DRAC | Comments(0)