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DRAC興亡史・・・1967~71その21「第1次DRAC崩壊」

≪第1次DRAC崩壊の要因≫

今考えてみれば文連傘下のサークル全てが、学園闘争70年安保闘争の渦中に引きずられて行ったのに加えて、JAZZグループを導入したことも、DRAC崩壊の原因の、些細ではあるが、人的な意味での原因となったと思う。

すなわち、第1次崩壊は、「音楽史的グループ編成の、研究サークルとしてのレゾン・デートルのための方法論の欠如と、主眼目標の欠如」

それに付帯する
「文連総体の学園闘争、70年安保闘争への無秩序的参入」

そして
72年あるいは73年の第2次DRAC崩壊は、JAZZグループ創設による人的影響(JAZZおよび、ロック他のメンバーが入部するようになり、マジョリティとなったこと)DRACの本来的意味のクラシック音楽、そして付随するJAZZの両輪が、時代背景を反映した愛好者の絶対数で上回る「ロック」に占有されたことにある。(と考えられる)

ただ従来どおりに、クラシック音楽に限定しておけば、崩壊は免れたのかと言えば、決してそうではないようにも思われる。

上の要因は、従来型のDRACを、加速度的に崩壊させる、ある種潤滑財のようなものであったのかもしれない。

安易にJAZZを導入する前に、今までの活動を総括し、研究サークルとしてのシッカリした活動理念を構築するのが先決であったのに、其れがないままに活動範囲を広げたから、70年の第1次DRAC崩壊後、1973年以降のDRACが、それまで主流だったクラシック分野の研究サークルが、JAZZとその人的影響により名実ともに崩壊し、非クラシック分野の音楽サークルとして、変身復活したという歴史があるように思うが、そのあたりは後輩のdrab-ob氏の記述を待つことにしたい。

by noanoa1970 | 2007-09-15 08:46 | DRAC | Comments(0)