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DRAC興亡史・・・1967~71その19「69年、激動のDRACの出発」

≪激動の69年度≫

69年、小生が日本音楽Gのリーダーになった時期には、DRACのマドンナの女性が2人とも揃って小生のグループに編入し、そのため他のグループリーダーから皮肉を言われたが、「そんなの関係ない」と突っぱねたものだ。

「音楽通史は各自で勉強すれば事足りる。」
そんな簡単なことでさえ、当時の環境ではまだ十分検証されることはなかったし、音楽史的に配されたグループの具体的活動内容は、小生がオブザーブした限りにおいては、メジャーの音楽家を経てマイナーな音楽家の曲を取り上げることを重点に活動したようであった。
とにかく、試行錯誤で走りながらやっていったのである。

「ロマン主義思想」の背景と作曲家におよぼした影響そして、其れが顕著な音楽事例・・・そんなテーマでも立てれば面白いのにと思ったが、芸術思想と個別作家の作品との関連について言及することなどは、当時としては望むべくもなかった。
また文献も限られており、ごく少数で入手が困難でもあった。

当時一部のサークル員の間には「音楽オブジェ論」なるものが流行ったことがある。
音楽を一切の付帯的な・・・音楽以外の要素から切り離し、純粋に音楽そのものを見る(聞く)・・・一言で言えばそのような考え方で、これは「ザッハリッヒカイト」あるいはノイエ・ザッハリッヒカイト(新即物主義)の下尾術思想・音楽思想が根底にあってのことなのを知らずに、楽しい音楽鑑賞サークル論とリンクさせて考えようとする輩が出てきたのに、小生は多いなる危惧を持ったものであった。

個人的には「表現主義」に興味を持ち、密かにブロッホ、ゼーガース、ルカーチ3人の論争を読んだこともあった。

DRACを「楽しい音楽鑑賞サークル」でよしとする発想は、いまだに消え去ってなかったのであった。(このことが表すように、理屈では分かったつもりでいても、感性は決してそうでなかったことの現れの一つで、総論賛成各論反対というDRACを象徴する体質のひとつでもあった。)

by noanoa1970 | 2007-09-13 11:04 | DRAC | Comments(0)