聞くべきか聞かざるるべきか、それが問題だ

「To be or not to be, that is the question」は、有名なシェイクスピアの「ハムレット」のセリフであることはご存知のとおりである。
「生きるべきか死すべきか,それが問題だ」あるいは、「このままでいいのか,いけないのか,それが問題だ」と訳されるが、着目すべき点は「the question」とquestionの前に、定冠詞「the」が付けられていることにあると小生は思っている。

「a」ではなく「the」であることの意味は大きいとかねてから思っていて、小生なりにこの「the」を敢えて訳すと、それは「当面の」ということになるのだと思っている。

この「the question」と言わせることに、ストーリーが進行形であることが暗に分かろうというもので、このような些細なことにもシェイクスピアは木を使ったとみることはできないだろうか。

わざわざこのような話を持ち出したのには、実は理由があって、小生今月からかねてどうしようか迷いに迷っていたnaxos music libraryにエントリーしたのだ。

naxosは当初マイナーな存在のCD供給先であったが、あらゆる作曲家のあらゆる作品の収録に情熱を燃やし、邦人の作曲家シリーズをも幅広く手がけていて、現在進行形の、今までにない画期的な企画力を持ったレーベルである。

小生も、マイナーだがすばらしい曲が多い、ブリテン諸島の近代音楽の作品で、以前からお世話になってきた。
@1000が定価で、大手CDショップでは其れよりかなり安く入手可能なので、小生の保有枚数もかなり多くなってきている。

そのnaxosが、ネットのストリーミング機能を使った配信サービスを開始してから、すでに半年以上経過した。

16000余りのCDライブラリーがインターネット経由で、好きなときに聞けるというもの。
膨大なライブラリーの中には、未知の作品も数多く、世界初録音から古の名演奏までそのレパートリーは広い。

愛好家のブログにも、最近はnaxosで聞いた初体験の音楽についての記述も増えてきたようだし、気になる作品があっても今まではCDを探してオーダーしなくてはならないから、手間と暇と資金(最近はここが大きな問題)がどうしてもかかる。
気になる作品は、今すぐにでも聞きたいのが偽らざる心境である。

ならば、なぜハムレットのように迷っていたのかといえば、小生は昔から・・・これは性分、性格とか育った環境がそうさせたかは分からないが、所有欲が人一倍強くて・・・

例えばレコードや本などはその典型なのだが、他人から借りたものは、ジックリ聞いたり読んだり出来ない性質であった。
結局は自分で入手して、それで安心したように聞いたり読んだり出来るのだった。

FM放送にも満足しない小生が、「ストリーミング」による音楽享受が、このような小生の性格に果たして合うものか否かの判断がつかなかったからである。

もう一つ、レコードの時代に登場してきた「テープ」も、レコードから録音したものにはどうしても手が伸びず、カセットレコーダ0も所有したが、ほとんど遣うことのないままにその生命が終わってしまった。(naxosは、ストリーミングだから、録音は出来ない)

どうも「コピー」という媒体に対して、非常な嫌悪感を持っていたのがその原因かもしれないが、その理由はいまだにわからない。

もう一つは「音質」で、テープやMD、ペグ3という媒体はどうしても自分の嗜好からは遠い存在で、CDでさえいまだにギリギリの線上にあり、出来ればアナログで聞きたいと思う日常だから、naxosのストリーミング配信をPCに接続したスピーカーから聞くのにはどうしても二の足を踏んでいた。

ただ、小生のPCに接続してあるスピーカーは、オーディオファンならその名前魚知っている人も多い、「ボストン・アコースティック」というメーカーのオーディオ的にも優れたものだが、それでも音域の幅もダイナミックレンジも広いクラシック音楽を、わがマスター装置で聞くよりは、ラジカセやミニコンポの音などをはるかに凌駕するが、大分「音」が劣化する。

果たしてこれで満足する音楽が聴けるかとても心配だったし、そうかといってPCとピュアオーディオを結ぶのはいろいろ悪影響が出る可能性が大なので避けたい。

それで詳しい申し込みの内容を読んでみると、契約は月度単位で可能、しかも申し込み月は無料、解約の手続きも至極簡単なようだから、サービス期間を含めとりあえず2ヶ月間をメドに契約した。
性に合わなければ、2ヶ月目の終わりに解約すれば、1か月分の聴取料金1890で済む。

それで今月始めから、PCの前に座ると先ずはnaxosで、本日一番で聞くべき作品を選択し、聞きながらメールのチェック、nixiのチェック、そしてブログの記事の作成とUPをするのが、今までと異なる毎日となっている。

心配した「音質」も十分とはいえないが、聞くに十分耐えうるもの。
ライブラリーの数が膨大なので、(まぁ、これもある種の快楽なのだが)あらかじめ決めておかないととんでもないことになり、アレコレ聞く曲を探しているうちにくたびれてしまう。

問題は「乍聞き」になってしまうこと。
いまもこのブログ記事を書きながら、「序リジュプレートル」のダフニス、ビゼーの交響曲1番を聞いているが、両方がまともに頭の中で、それぞれ独立して感性領域に入ってくることがない。

どちらかが必ず欠落するのだ。

そんな中でのこのブログ記事だから、つじつまが合わないことや、支離滅裂なところがあれば、それは「乍聞き」に原因があると思っていただければありがたい。

そのほかの心配事は今のところはないが、
もう一つ有るのが、「ツマミ食い」ならぬ「ツマミ聞き」が多くなってきそうな気配があることだけだが、もしそのような病気にかかってしまったら、すぐに解約せねばなるまい。

≪それが当面の問題だ≫

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by noanoa1970 | 2007-09-05 09:13 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)