人気ブログランキング | 話題のタグを見る

DRAC興亡史・・・1967~71その10「去っていったエキスパート」

≪レーゾン・デートル
音楽史的グループ編成は縮小再編されたが、特徴的なのは国民学派をやめて日本音楽Gという価値観の違う新しいグループ組織が登場したこと。
このことは、DRACの長い歴史の中でも実は画期的な出来事であったのだが、他のグループでは相変わらず音楽史的な編成を組むことに終始した。

このことは其れまでのDRACの、伝統的で大勢を占めていた音楽史的エキスパートをことごとく排斥することにつながっていき、フランス音楽の、後期ロマンの、モーツァルトの、ショパンの、指揮者の、演奏家の、ベートーヴェンの、室内楽の、オペラのそれぞれのエキスパートたちのレーゾン・デートルをことごとく粉砕することに繋がった。

小生が入部した当時には、このようなエキスパート人材の多くがBOXに来ていたようだが、彼らはその後ほとんど顔を見せなくなってしまった。
そのことは、執行体制をめぐっての権力闘争の結果であり、敗れた彼らの居場所がなくなってしまった一つの証でもある。
人材としてはかなり惜しいところもあるが、組織運営のためには致し方ないのも事実で、文連傘下の「文化創造主体」としてのサークル組織の宿命でもある。

その中にあってわれわれ若手の中には、(その筋での通にならんと欲する人間が多く)エキスパート諸氏への憧れを大きく抱く人間もいて、このため新入生の若手のサークル員の中には、なるべく他人が聞いてないような音楽に特化して、集中的に的を絞った音楽の聴き方をするものがいたのも事実で、音楽史的な発想をチェンジする原動力となっていったが、いずれも頭でっかちとならざるを得なかった。

考えてみれば、いくら音楽が好きだとはいえ、中学生時代から換算したとしても、受験戦争の中で、そうは音楽を聞く時間がもてたはずもなく、だから好きだと入っても所詮は、単なる趣味的愛好者に過ぎず、所謂通俗名曲ですら全てを聞いていたものは小数に限られるのが実情でもあった。

ただ一般の学生よりはクラシック音楽を積極的に聴ける環境下にあったに過ぎなかったのだ。

他にはベートーヴェンしか聞いてないのにもかかわらず、ワーグナーの楽劇を聞くことに特化し、それを誇り・・・他人との差別化ポイントのように思っていた人間、フランス音楽の、しかもほんの一部の作曲家を中心に聞いて、アイデンティティを保とうとする人間、バルトークしか聞かないように自らを仕向けていた人間、ショパンは他の誰よりもよく聞いて知っていると勝手に思い込んでいた人間、モーツァルト以外は音楽でなく、チャイコフスキーを聞くと虫唾が走るとまで言う人間・・・などなど
全てが幼稚で可愛い、自己アイデンティティの初期確立段階の一駒であったが、当時はその欠陥に気づかないで過していたし、それでも良かった時代では有った。

そのようなことが、DRACを辞めた人間からすると「マスターベーション」という風に映ったのかもしれない。

これら自己アイデンティティの確立過程において、お手本となったと見ゆる、音楽に関して物を言う人たち・・・すなわち音楽評論家や音楽のエッセイを書く人間達への評価にもつながっていき、当時は「亀井勝一郎」「小林秀雄 」→「吉田秀和」への移行期で、吉田の評価には高いものがあったが、途中で登場してきた主観感性主義者「宇野功芳 」はDRACでは評判を二分した。、

by noanoa1970 | 2007-09-01 07:41 | DRAC | Comments(0)