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DRAC興亡史・・・1967~71その9「暗躍」

≪DRACの理念と旧執行部の暗躍≫

この頃文連では趣味のサークルからの脱皮が叫ばれ、平行して「文化創造」の実施という理念が幅を利かせるようになり、新3回生のKM田氏は2回生時代から、DRACとしては珍しく、そして初の文連の委員長の任にあった。

彼は幹事長T海林氏と親しかったから、そしてDRACのサークル活動事態にはかかわれない立場でもあったから、文蓮委員長の目で見た同期の諸氏の扶外なさに、閉口しているところがあったようである。

超マニアック派と、趣味の楽しい音楽鑑賞サークル派、そして2人の活動家という玉石混合世代にサークル運営を任せなければならない危機感は、新4回生の旧執行部諸氏に多分あったことだろう。

実は彼らの中でも過去に、執行部体制の争いがあったようで、文化創造、研究活動などを影で否定する立場の人、そしてあくまでも研究サークルとしてDRACを位置づけ、今で言うところの情報発信を積極的にやっていこうとするもの。

大きく分けるとこの2つが有ったが、このような内部矛盾や意見の違いを残したまま、執行部体制は変わっていったが、そのような理念の下での適任者だけでは賄えない・・・・「音楽史的に配列されたグループ」(これこそが諸悪の根源であったと思うのだが、当時は誰もそれに気がつかなかった)
のリーダーは、考え方がバラバラなまま入り乱れていて、その結局グループ活動は、リーダー個人の技量=音楽をよく聞いていてよく知っていること・・・メジャメントはレコード所有数的なところが合った事は事実であろう。

このような体制で進んだ活動だったが、案の定途中で息切れを起こし、細かく分かれていたグループ体制を、新しい理念の元での活動に賛同する仲間達で実施すべく、楽しい音楽鑑賞派のエキスパート達を除いた後のグループ再編成の結果、バロック、古典、ロマン、「日本音楽」として絞ることにしたのだと思われる。

by noanoa1970 | 2007-08-30 09:22 | DRAC | Comments(0)