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DRAC興亡史・・・1967~71その8「研究か鑑賞か」

≪新旧世代の見えざる確執と執行部体制≫

しかし2年以上の先輩となると話は別で、2回生の一部とは同格であるという変な意識があったが、3回生以上の先輩には従順であった。
また2回生の大半が現役入学で、浪人した2回生は「S水」という、同じ苗字のマニアックな2人の先輩を除けば、多くはなかった。
この2人の「S水」は、今で言う「オタク」の元祖で、一人は「モーツァルト」フリークで音盤収集もDRACでは恐らく1番で、三条河原町のレコード屋「十字屋」でバイトもしていた。
同じ頃、後に関西の音楽評論家「デーヤン」というニックネームで人気の出た「出谷啓」氏も同様十字屋の店員であった。

もう一人のS水は、オールラウンダーで、それぞれの分野で一過言を持ち、時期幹事長と目された人物。大阪の自宅に遊びに行ったことがあるが、オーディオ装置もコレクションも、物凄いものがあり、多くの音楽関係の書物も読んでいるようで、この2人の2回生は、2回生の中で少ない先輩として尊敬に値する人だった。

後の2回生徒は、なぜか事なかれ主義者が多く、文連の委員長になったKM田とT橋を除けば、後は美人の2人のお嬢さんが人目を引くだけであった。

このことが原因かどうかはいずれ聞かなくてはならないが、翌年われわれが2回生になるというとき・・・今までの執行部は4回生となって後輩に任を譲るのだが、そこである事件が起こった。

新4回生で、旧執行部の幹部達は、なぜか1年後輩に執行部を任せるのを嫌った気配があって、時期幹事長他、新執行部の選定に当たって、密室会議をやったらしいのである。

現役と浪人の確執の見えないパワーが働いたことはあったようだが、そんな理由だけではないようで、普通であれば、新3回生が新執行部となるのは当然なのを、どうもまとまりがなく、一部の超マニアックな・・・今で言う「オタク」はいても、後のメンバーに「研究活動」を展開していくパワーがないことに気づいたからなのだろうか、あるいはこのまますんなりと新3回生に執行部を譲るよりは、DRAC活性化のために対立軸を立てて、結果選ばれたる者が執行部を握る体制を作りたかったのか、あるいは先の関係性において1年下が執行部では自分達の思い(研究、文化創造)が達成できないと思ったからなのか。

まるで今の政治政党の古参のご意見番のように動いて、われわれを焚き付けるのだった。

by noanoa1970 | 2007-08-29 15:17 | DRAC | Comments(0)