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DRAC興亡史・・・1967~71その6 「入部」

≪DRAC入部の頃≫

キャンパスで見て、入部の手続きに・・・」と言いかけると、そうか、それでは何時一日歓迎会をやるから、その日にちと時間に来いと言う。
愛想もそっけもない男、其れが幹事長の「T海林」さんで、ほどなく初回の会合が有ったとき、紙を三角に折り名前を書き入れ机の前に出す準備を手伝っていると、「T海林」という文字が目に入ったので、アレは幹事長だと挨拶をするため、(一文字違いだが同じ姓名の有名人・・・泣くなよしよしねんねしな、山のカラスが鳴いたとて・・・・と歌った有名な歌手を知っていたから)〇〇〇サンですね、というと「俺はそんな名前じゃないから」と語尾を上げる東北弁らしき口調でいいつつ、「〇〇〇というんだ」知ったかぶりをするなと言わんばかりに言うのだった。

知っていた古い歌い手は名前が「太郎」であったが、幹事長はそれに「幸」・・・あの走れ走れコウタローと、わずか一文字多いだけで、分厚いメガネだけは、よく似たところがあった。
彼は幹事長で、バロック音楽Gのリーダーでもあった。

角刈りで学生服といういでたちだったから、およそ音楽文化サークルには似つかわしくないと思うような、執行部役員副幹事長の「K出」さんの司会で、サークル活動方針と理念の説明があり、その後グループのリーダーによる活動方針の発表が終わり、自己紹介をして初回の会合が終わった。

加茂川べり・・・下鴨あたりの会館内の喫茶店でやったと思うが、そのときには部員が全部で約70名ほどいただろうか。
このような手配や合宿の手配は、「N道」さんという面倒見の良い3回生の手によるもので、彼も日本音楽Gに所属した関係でかなり世話になった。

by noanoa1970 | 2007-08-25 07:48 | DRAC | Comments(0)