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DRAC興亡史・・・1967~71その1「序説」

いずれはこのことについて書かねばならないと、思ってはいたのだが、なかなか踏み切れなかった。
DRACとは、同志社大学レコード音楽研究会の英文読みの頭文字:(Doshisha/univ・Recorded Music Appreciation Club )から取られた略語で、先輩諸氏からハッキリとした説明を聞いたことはなかったが、恐らく「道楽」と掛けていたと思われる。

同志社大学文化団体連盟略して「文蓮」に所属するサークルであった。
他には、「学術団」、そして「体育会」それに「部外連」と少々差別的な名称で呼ばれていた「部外団体連合」という組織があり、そちらはどちらかというと趣味的同好会的な組織が多かった。
活動費としてサークルには大学側から少々の金銭的供与もあったが、部外蓮にはなく活動費は会員の会費で賄っていた。

この部外蓮には「音楽研究会」:「音研」と呼ばれるDRACと同じような組織があった。75年度入学のdrac-ob氏の記述によれば、最初は「音研」に入る予定であったが、運良く(悪くか)DRACに入部することになったという。

75年はDRACがその組織も伝統も、其れまでの活動の歴史全てをなくすようにして、崩壊してから3年後のこと。

小生は72年以降のDRAC・・・70年代初め・・・正確には73年から75年までが全く不明のままだったが、インターネットで90年代の終わりにDRACが生き延びたことを知るうちに、自身のブログを閲覧した後輩drac-ob氏をはじめ数人の諸氏からの連絡で、74年には復活していたのを知ることとなったが、その頃は推測したとおりJAZZとROCKの
趣味的サークルになっていたようだった。

72年は小生も卒業後しばらく京都にとどまっていた年で、数少なくなった有志の一人と一緒に、後輩の尻をを叩いて、部室のドアが閉まりっぱなしのDRACを何とか立て直そうとした時であった。

しかしながら、京都を去らねばならない事情とともに、かつての研究サークルは見事に崩壊の憂き目に会うことになったなった。

このように書くと崩壊などはなく続いたように思うのだが、DRAC、本当は1970年に崩壊の憂き目にあっている。
其れはクラシック音楽「研究サークル」としてのDRACが・・・ということでは有るのだが・・・

71年以降のDRACは、趣味的サークルとしては存続したようであるが、大きな理念であったクラシック中心の「音楽文化研究」サークルDRACは、70年夏の「合宿」において崩壊した。

其れまでは、少ないときでも50人、多い時には70名の部員を抱え、活発に活動していたサークルだったが、69年から始まった大学紛争、全共闘(同志社では全学闘)運動のさなかにあって、無残にも崩壊していったのである。

OB諸氏の大半は、「大学紛争の煽り」にあったから、あるいは中でも「音楽鑑賞サークル」としてしかDRACを捉え切れなかった諸氏達は、「音楽を聞く環境が整い始めた今日(70年代におけるステレオ装置の大衆的普及と、音源の多種多様化を指す)サークルなど集団で、音楽を聴く必要がなくなったからであるなどと、崩壊の理由を語るものも居るが、其れはレコード盤の個人的経済的価値観あるいは、貸し借りなどの共有化の恩恵が薄れていったから、というような類の一種の自己欺瞞であろう。

其れについても後述したい。

DRAC崩壊の理由について、当事者である小生を含め当時の執行部は、いまだに正確なレビューを仕切れていないまま、40年余りたった今も、当時のOBの諸氏の一部に、グループが自然発生的にできていて、今は所々で集って飲み会などで旧交を温めているようだ。

また最近は不定期となりつつあるが「OB会」なるものも、開催されているが、あの当時の話になると大抵の諸氏はただ押し黙ってしまうばかりで、其れより何か別の楽しい・・・コンサートに行った話や、世間話などでお茶を濁すのが常のようだから、それらを否定するものではないが、小生は自身のブログにて、小生なりの「顛末記・レビュー」をしておきたいと思ったのである。

またこのOB会運営も最近ではマンネリ状態で、ろくに話す時間も取れない状態が続いている。

DRACのクロニカルについての記述は、、このブログ「DRACの末裔の・・・」を始める前から思っていたことであったが、なかなか踏み切れずにいたが、ここ最近あったOBの一部の諸氏との「ある出来事」を切欠として、この機会に書いておこうと思った次第である。

かなり長くなると予想されるが、小生自身の「学生時代の総括」でもあるものとして、忘れないうちに書いておくことにした。


by noanoa1970 | 2007-08-20 19:50 | DRAC | Comments(2)

Commented by drac-ob at 2007-08-20 23:27 x
実に興味深い導入で、ちょっと興奮しています。僕が入学した75年ですが、1年先輩は結構いたものの2年先輩は、ほんの2,3人。その上の先輩(つまり71,2年度生)は、ほとんどBOXに来ませんでした。たまに雀荘や飲み会などで顔を合わせても、親しくするという感じではありませんでした。僕たちの頃には半ば伝説化、神話化されていた別館の自主管理闘争などが出てくるのでしょうか。僕も昔のことを少し整理しておきます。
Commented by noanoa1970 at 2007-08-21 08:43
必死に思い出しながら書こうとしていますが、40年前のことなので記憶が曖昧なところあったりで、苦労しています。
3話ぐらいから本題に入っていきます。(多分)75年以降と居いずれ連携できるといいですね。
後述しますがDRACは(多分)2度崩壊しています。最初はは70年、次は72年(正確には71年か)小生を含む数人のOBが建て直しに、3年後輩の一人を幹事長にしようとして動いたのですが、JAZZおよびROCKの新人達によって駆逐されたようです。ここにクラシック音楽研究サークルとしてのDRACは完全に崩壊したのです。元はといえば70年の夏季合宿での、激しい論争の結果のことでした。勿論「情勢」が影響を及ぼしたことは否めませんが・・・政治>文化の構図に、趣味的サークルの体をなしつつあったサークルは、もろくも崩壊し、語句少数を除いては、「崩壊やむなし」、「存続必要なし」という判断をしたわけでした。会長と副会長(小生)の、延々4時間にわたる議論があったのもこのときでした。