パラソル雑感
梅雨明け宣言が昨日あった。
いよいよ本格的な「夏」。
散歩中に行きかう女性はことごとく「パラソル」を挿しているようになった。
最も、紫外線の怖さと皮膚への影響を恐れてか、最近では初春の頃からパラソルを指している人も見かけるが、今の季節はほとんど全員が、色や形が異なるいろんなパラソルを挿している。
服装にもよるだろうが、小生は希成か白のパラソルがいいと思う。
少し前に「白いパラソル」という歌もあったようだが、小生は「パラソル」というと、やはり「西岡恭蔵」の「パラソルさして」が一番記憶に残る。
作詞作曲は西岡本人となっているが、小生の勘では作詞は、奥さんの「KURO」ではないかと思う。彼女はこのようなリリシズムにあふれた、そして少年・少女期の思い出の詰まったような、ほのかに寄せる淡い恋心の心象風景を、そこにある自然とともに描くのを得意とした。
この作品もその類にもれず、どこかで彼女の作品であることを静かに主張しているようだ。今では二人とも故人となったが、彼ら二人の合作はキットいつまでも残り続けることだろう。
《コカコーラの広告塔の影に守られた夏が、人気のない公園に
ポツンと君を浮かべる
人待ち顔の街角は、おいてきぼりの君の夏
のぞいた僕は、気まぐれな風さ
緑の夏に、パラソルさして、きみをさそって
街を歩けば、時には風も吹くみたい
・・・みどりの夏にパラソルさして、君の手をとり、街を歩けば
時には風も吹くみたい》
暑い真夏の昼、急に彼女に会いたくなって、いわば強引に誘ったが、行くところも無くて、仕方なく公園に行ってみる。
当ても無くさまようが、彼女は嫌な顔一つ見せないで、黙ってパラソルを挿してついてきてくれる。
そのときの彼女の思いやりへの感謝のしるしが、一服の清涼剤。
風なんかどこにも吹いてないのに・・・
どんなに辛くても、彼女が傍にいれば耐えられる・・・そんな思いを白いパラソルが運ぶ夏の日の涼風に託した、過ぎ去った青春の思い出の歌であろう。
「コカコーラの広告塔の影に守られた夏」・・・ここに「KURO」らしさがあふれ出ているように思う。
さて「パラソル」で想起するのはもう一つある。
それは「太宰治」の短編「満願」。
太宰が伊豆の旅館にこもって執筆活動をしていたときの話。
ある晩酔っ払って自転車でこけて怪我をし、行った先の医者と仲が良くなった。
かなり親密に家族ぐるみでお付き合いする仲となったある日、医者の奥さんからある話しを聞いた。
数年前から通っている上品そうな奥さんのことだが、医者はまだ体が回復していないから「もう少し我慢しなさい」・・・「奥さま、もうすこしのご辛棒ですよ。」と大声で叱咤することがある」・・・と原文にはある。
さらに、「お医者は、その都度、心を鬼にして、奥さまもうすこしのご辛棒ですよ、と言外に意味をふくめて叱咤するのだそうである」
「言外に意味を含めて」という表現がポイントであるが、それは最後に種明かしされる。
ある朝のこと新聞を読んでいると、隣に医者の奥さんが座って、
「ああ、うれしそうね。」と小声でそっと囁いた。
ふと顔をあげると、すぐ眼のまえの小道を、簡単服を着た清潔な姿(言外に意味を含めて、我慢しなさいと言われていた女性)が、さっさっと飛ぶようにして歩いていった。
白いパラソルをくるくるっとまわした。
「けさ、おゆるしが出たのよ。」奥さんは、また、囁く。
何のお許しが医者から出たのか、それは想像に易いが、ここにはあえて書かない。
3年間じっと、その日を待っていたのか、清楚で上品な女性が・・・・
作者はこれを見て胸がいっぱいになり、その女性の美しさを再確認し、「あれは、お医者の奥さんのさしがねかも知れない」と結ぶ。
医者の奥さんはその患者の女性が可愛そうになり、医者に早く「お許しをだすように」と迫ったのだろうか。女性だから分かる女性の心理がある・・・と太宰は推理した。
その喜びとと嬉しさが「白いパラソル」・・・・「白」は清潔で清楚の象徴で、喜びはパラソルを「クルクルと回した」所によく表現されてている。
うら若き清楚な奥さんの「静」と嬉しさのパラソル回しの「動」、目の前の小道の「緑」とパラソルの「白」が対比のように書かれていて、非常に音楽的な要素があることを認識したのだった。
鈴の音のかすかにひゞく日傘かな
飯田蛇笏
by noanoa1970 | 2007-07-27 14:12 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(3)
細部まで私には風景が映し出されました。
noanoaさんって作家?
是非一度聞きに行きたいと思ってます。情報をなるべく早めにアップしていただけると、・・・といってもそんなには行くことができないですが・・・もし教徒のどこかでおやりになることがありましたら、インフオメーション願います。
パラソルの女性は8月の終わりの満願までお医者さんの言いつけを守ってやっと満願の日を迎えた。そこに満願のタイトルの重さが出る。
年月が立つほどあの女性の姿が美しく思われる、つまり年を取るほど美しくない愛を見てきた太宰がパラソルの女性をなお美しく思い出す。
医者の奥さんは太宰に美しい愛もあるということをわざと見せて教えた、それが奥さんの差し金だったのではないですかね。