3人の「Arnold」よりArnold Bax

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バックスというとクラシック音楽愛好家でもその存在や音楽について知る人は少ない。
かくいう小生も、バックスを知ってその音楽に触れたのは今世紀直後のことであった。
ケルト→音楽文化→ブリテン諸島の民謡→トラッド、フォーク→クラシック音楽での引用→イギリス近代音楽家の中で、最後のほうにたどり着いたのが「バックス」であった。

バックスを象徴する面白そうなエピソードを見つけたので記しておく。

《20世紀前半イギリスの作曲家アーノルド・バックスは、超自然現象に魅せられており、ケルト文化に夢中でした。アイルランドの伝説と民間伝承にはまりこみ、アイルランド語を猛勉強し、詩人兼小説家としてダブリンの文学界で受け入れられたほどでした。あるとき、バックスは道を歩いていて、見知らぬ男に呼び止められました。さて、何と言われたのでしょうか?

答は、「あなたは悪魔にとりつかれています」

バックスを呼び止めたのはデンマークの神秘論者でした。彼はバックスに向かって「あなたは悪魔にとりつかれているようなので、注意を怠ってはいけません」と真剣に忠告しました。バックスが「実は、悪魔とさらに深くかかわるのではないかと恐れている作品(交響曲第1番)を書き上げてしまったところなのです」と言うと、男は「そのような曲など、決して演奏されませんように」とつぶやいて十字を切ったのだとか。のちに作曲家ヴォーン=ウィリアムズはバックスについて「彼が帽子をとるときは、その下にピンととんがった耳があるのを見たいと思ったものだ」「この世に属しているようには見えなかった」とまで言い切ったそうです。》
※参考文献:「イギリス音楽の復興」マイケル・トレンド著、木邨和彦著(旺史社)

このエピソードが示すとおり、バックスは、同じイギリスの作曲家グスターヴ・ホルストに占星術の手ほどきをした劇作家クリフォード・バックスの実兄でもあり、彼自身ホルストとは親しい間柄であったというから、彼自身も「ケルトの神秘」や「妖精」、「古代ケルトの自然神」に深く傾倒していたことは、数々の作品群から明らかなことのように思われる。

上のエピソードの「悪魔」とは古代ケルトの自然神・・・非キリスト教の神のことでもある。悪魔に取り付かれることはケルトに真髄することでもあるわけだ。
キリスト教文化は異教徒を、そして異教の神を「悪魔」としてきた。

バックスの作品のほとんどには、ブリテン諸島・・とりわけアイルランド・スコットランドの古謡の引用が見られる。

アイルランド出身のような作風であるが、実はイギリス人で、生粋のアイリッシュより、アイリッシュの素地を持つという変わった人でもある。
ケルトを題材や素材にする文学者や芸術家は多いが、住居も名前もすべてアイリッシュとした・・・いわば異教徒に改宗したと同じように、アイルランド・・ケルトにドップリと漬かった人は珍しい。

作風は奇抜なところは微塵も無く、ロマンの香りを随所に残す・・・非モダニズム的なものがほとんどで、時には濃厚な印象派のようなトーンを聞かせることもある馴染みやすいものが多い。
ディーリアスと》比較されるようだが、ディーリヤスよりも遥かに土着的である。

ホルストが占星術→オカルトに向かおうとしたのに対し、バックスはそれに影響されながらも、その基本スタンスを古代文化・・・古代ケルトの自然と神々に求めたのではないか・・そのような気配が音楽からいつも漂って来る。

このことは、ケルト文化の再評価ばかりか、ある意味で長くヨーロッパを支配してきたキリスト教文化の否定にもつながる事であるから、多くのブリテン諸島の近代音楽家の中で、バックスを聞くことには、他の作曲家とは少しニュアンスの違う、深い文化的意味性を持つ。

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交響曲第6番 / 黄昏に / 夏の音楽 ロイド=ジョーンズ / ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団

本日はそのなかで
季節に似合った「夏の音楽」を取り上げることにした。
10分余りの小交響詩で、・・・捧げられたか依頼によるものかは定かではないが、イギリスの名指揮者「ビーチャム」が関与したらしい。

イギリス南部の地方の夏の風景を描いた曲とされるこの曲。
イギリス南部の地とは「コーンウォール」ではないだろうか?
コーンウォールは唯一、イングランド内に残るケルト地域であり、コーンウォール独立運動が起きたり、独立統治をしてきたり、イングランド内では異質なところが目立つ地域で、ブルターニュケルト文化地域でもあるから、イングランド人であるバックスが、短い夏を過した土地としては打って付けだと思われる。

コーンウォール出身の作家、ロザムンド・ピルチャーは、「コ-ンワルの夏」という作品を書いていて、そのあらすじは以下のようである。 

《幼くして両親を失くしたローラは、夫アレクとの新婚生活の幸せのさ中にありながら、妻として自信の持てない自分をもどかしく感じていた。季節は夏。病後の療養に出かけた先はアレクの叔父の住むコーンワルの果てのトレーメンヒア荘。ローラを迎えたのは風変わりな人々の暮らす地上の楽園であった。》

コーンウォールとその夏のひと時を地上の楽園・・・人生の回復のためのよりどころとするかのようなこの作品と、バックスの」「夏の日」は、小生の中でシンクロするのである。

ハープとホルンで始まる序奏を経て、コールアングレが奏でる民謡風の哀愁を帯びたメロディ。
弦楽パートに引き継がれての草原を吹き渡る風、そして眼下の海原。

ある夏の日の思い出を語るような優しい音楽が、突然現実の生活に引き戻されるように荒々しく響く。

トランペットに誘われてかすかに聞こえてくるアイリッシュあるいはスコティッシュの民謡が出てきては消えていき、最後にはかき消される、そこで「夏の日」は夢幻の思い出にしか過ぎないことに気づくが、それもまた「夢」の中での話・・・そんな事を思わせる音楽だ。




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by noanoa1970 | 2007-07-21 09:33 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)