3人の「Arnold」より Malcolm Arnold

「アーノルド」というと、映画ファンならすぐにシュワルツネッガーを、ゴルフ好きなら、またブランドポロシャツ好きなら傘のマークのパーマー、歴史ならトィンビー、映画音楽ファンであれば、インデペンデンス・デイ や0007/カジノ・ロワイヤルの作曲家デイヴィッド・アーノルド の名前が浮かぶかもしれない。

他にもたくさんの「アーノルド」が存在するであろう。

「Arnold」は西欧では姓名ともに使われているようなので、その由来を紐解くと、以下のようなことが分かった。

《古代ドイツ語 arn-wald (または arin-vald) 「鷲」-「権力,支配力」で構成された名に由来。イングランドでは同意の古代英語名 Earnweald が存在した所に,ノルマン人が古代ドイツ語由来名を持ち込んだ形になった。
 近代の Arnold は古代ドイツ語名の復活使用,または姓名の転用で,古代英語名とは直接繋がっていない。》

余りよく分からない説明だが、古代ドイツと古代イングランドそしてヴァイキングの言葉の混合形であるようだ。
ヴァイキングだから、余計に戦闘的な「強者」の意味は納得できる。

さて多くの「アーノルド」から、小生が取り上げた3人の「アーノルド」として、次の音楽家
●アーノルド・シェーンベルク
●マルコム・アーノルド
●アーノルド・バックス
以上を挙げ、本日はその中の一人「マルコム・アーノルド」の音楽について触れてみることにする。

マルコムアーノルドは、Sir Malcolm (Henry) Arnold, 1921年10月21日 - 2006年9月23日)、アーノルドバックスと同じく、近代イギリスを代表する作曲家の1人である。

Sirの称号を受けたようにイングランドでは有名なようだが、わが国ではほとんどその存在や音楽については知る人が少ないようだ。
昨年の秋亡くなられてもうすぐ1年たつが、そのときでさえほとんど話題に上らなかった人である。

しかし多くの・・・少し古めの人であれば、彼の名前は知らなくとも、彼の音楽を聴いているはず。

彼は純クラシック音楽の作曲家であると同時に、劇伴音楽の優れた作曲家でもあり、以下の映画作品の音楽を担当していた人なのだ。

・さすらいの旅路(1970)
・テレマークの要塞(1965)
・大突撃(1964)
・ドーヴァーの青い花(1964)
・ダイナミック作戦(1963)
・脱出(1962)
・野獣狩り カウボーイ・スタイル(1962)
・ライオン(1962)
・暗殺!5時12分(1962)
・去年の夏突然に(1959)
・六番目の幸福(1958)
・激戦ダンケルク(1958)
・戦場にかける橋(1957)
・日のあたる島(1957)
・空中ぶらんこ(1956)
・嵐の中の青春(1955)
・ホブスンの婿選び(1954)
・完全なる良人(1954)

テネシー・ウィリアムズ原作、エリザベス・テイラーが「トラウマ」を持つ令嬢訳で出演した奇妙な映画「去年の夏突然に」、レジスタンスがナチスドイツの原爆開発を阻止するテレマークスキーと雪が印象的だった映画、カーク・ダグラスよりリチャードハリスのほうが渋くてかっこよかった。

しかしなんといっても音楽ともにハッキリと覚えているのは、早川雪洲が出演したことで、人気の映画となった、口笛が印象的な音楽「クワイ河マーチ」の「戦場にかける橋」だろう。
リアルタイムで見なかった人も、音楽は聴いていたであろうし、リバイバル上映を何度かしたし、TVでも放映されたから、見た人も多いと思う。
「風とともに去りぬ」のデイヴィッド・リーン監督、脚本になる名画である。

この映画音楽の担当作曲家が「マルコムアーノルド」その人である。

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ルモン・ガンバ 指揮BBC・PO演奏

マルコムアーノルドが作った曲は純クラシック音楽、劇伴音楽ともに数多い。
本日はその中から最後の交響曲、交響曲9番を聴くことにした。
「9」という数字は恐らくクラシックの作曲家にとっては因縁の数字であるはずだ。

ベートーヴェン、シューベルト、ドヴォルザーク、マーラー、ブルックナーなどはいずれも「9」の呪縛を感じていたであろう。
「アーノルド」は、果たしでどうであろうか?

交響曲第9番 Op.128
作曲年 1986年
第1楽章  ヴィヴァーチェ
第2楽章  アレグレット
第3楽章  ジウビローソ
第4楽章 レント

この交響曲の大きな特徴は最終楽章の「レント」。
全体が45から50分の長さの曲の約半分余りを最終楽章に費やしていることである。
このような配分の曲を小生は経験したことが無い。
マーラーの9番も長いが合計80分以上ある大曲で、しかも一楽章が終楽章と同じような20数分の配分であるから、アーノルドの9番は、マーラーと曲想を同じようにはするが、極端に最終楽章に表現したいところが詰まっているような感じがする。

それでは彼の「表現したいこと」とをどのように把握できるのだろうか?

一楽章ではトランペットとホルンが活躍する「オスチナート」が、低弦楽器群と低音管楽器郡が織り成す・・・まるで深い淵から湧いてくるような・・・パイプオルガンのような響きをともなって聞こえてくる。

2楽章は、「荒野を渡る風」や「草原の牧歌」風の優しい心にしみこむ音楽がオーボエで奏そうされ、木管楽器郡へ受け継がれていく。
ここでもお得意の(アーノルドはトランペット奏者でもあった)トランペットの弱音による哀悼歌や葬送の音楽のような、美しさの中に哀愁を帯びたメロディが聞こえてくる。

弦楽器だけで演奏されるメロディは、ブリテン初頭の民謡からそのモチーフから取られているかのように思える。

3楽章になると一転し
草競馬のような「ギャロップ」が突然繰り広げられる。
トランペットの難しそうな奏法の音が周囲から追いかけてきて、彼がいかにこの楽器に思い入れがあったかということをあらわすようだ。

所々ではあるが、ショスタコーヴィッチを髣髴させるところも見受けられる。
小生が期待していたような「イギリス近代音楽」:多くの人たちの一つの特徴でもある「伝統音楽」の引用がさほどあるようには思わなかったが、それでもほんの一瞬、「らしきもの」が垣間見れたから、この曲以外にも聴こうという気になれたのだった。

さて問題と思われる終楽章
絃パートだけでの、暗くて地の底を這うような、異教徒の「モーン」のような、悲痛な叫びか、嘆きのような音楽で始まる。
マーラーは終楽章を「アダージョ」としたが、アーノルドはここを・・・ほぼアダージョといってもいいような「レント」とした。

やはりマーラーの9番を相当意識したことは容易に想像できることだ。
やがて登場するクラリネットの音色も、追いかけるフルートも、そしてコールアングレ、ファゴットの音も陰鬱に響く。

半音階の上昇そして下降の陰鬱なメロディラインは、チャイコフスキー交響曲 第6番ロ短調作品74「悲愴(Pathétique)」 の主題の一つを思わせる。
そして確認は出来ないが、小生にはグレゴリオ聖歌風の旋法のようなものの、使用の痕跡を聞き取ることが出来たのだった。

そのような音楽はかなり多いが、「彼岸」、「死」、「諦観」、「悟り」といった語句が脳裏を掠めるようで、声部の無い「宗教音楽」・・・「レクイエム」あるいは「スターバトマーテル」のようであるといっても決してはずれはしないだろう。
この音楽を夜更けに聴いたら、激しく魂を揺さぶられることは目に見えている。

かなり危険な香りのする音楽である。

しかし最後の最後の音は、リヤルトシュトラウスの「最後の4つの歌」の第4曲「夕映えに」のそれのように・・・ひょっとしたら最後の最後になって、「現世」を賛美して終わったのかもしれないと思うようなところもある。

このように緊張を強いられる音楽は、そうそうやすやすと聞けるものではない。
そして恐らく聞くたびにその印象が変化することだろう。



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by noanoa1970 | 2007-07-20 10:51 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)