“Washington Square”byThe Village Stompers

1963年というと、小生が中学3年生。
高校受験だというのに、TVでは「コンバット」を必ず見たし、「ギャラント・メン」も「ローハイド」とどちらを見るか迷ってはいたが、必ずどちらかを見た。
ケネディが暗殺されたニュースが、初の衛星中継の第一報となったことや、翌年には東京オリンピックが控えていたし、ラジオではそろそろイギリスからビートルズが、アメリカや日本を脅かす・・・本格的アメリカ上陸前の年でもあった。

夜の7時8時といえば、受験生は当然のように、熾烈な受験戦争の中にあって、勉強にいそしんだものだったろうが、小生は親の視線を浴びながらも、好きなTV番組は見たし、机の前に向かってはいたが、ラジオで音楽番組をよく聞いていた。

今では「ながら族」という言葉さえ死語となったように、何かをしながら何かをすることはいわば公然のことであるようだが、当時はそんなことをしようものならこっぴどく叱られたものである。

小生の部屋は幸い2階にあったから、階下にあるTVを見て2階に上がってしまえば、もうこちらのもの。
毎日2時間近くは海外のヒットチャート音楽番組を聴くことができた。

思い出の曲は数多いが、その中でもいつものアメリカンポップスとは傾向の異なる、しかしどこかしら懐かしい音楽が聞こえてきた。
それが「ワシントン広場の夜は更けて」であった。

ギターのブルーノートトーンのようなチョーキングのイントロと、バンジョーのピッキングのメロディ、ブルーグラスのように単純だが親しみやすい。
途中から入るホーンセクションが、デキシーランドJAZZ風で、ロックンロールとは一線を画す音楽だった。

バンジョーのトレモロを、ギターでまねして弾こうと何回も試みたが、なんともならなかったのが悔しかったが、その当時としては斬新な音楽は、今でも耳に残っている。

「フォークデキシー」というそうであるが、当時は誰もそんなことを言及する日本人はいなかったはずである。

聴いてみてください。



話は変わるが
吉田拓郎の大衆向けヒット作に「旅の宿」という曲がある。
「ワシントン広場の・・・」と「旅の宿」物凄く類似性がある。
パクリだとはいわないが、吉田は「ワシントン・・・」から曲想を真似たとしか思えない。日本語の歌詞がつくと、全く同じ曲でも、違う曲のように思うことが多いが、この2つは同一ではないとは思うが、ソックリであることを指摘しておこう。
(決して非難しているのではなく、多大な影響を受けた例として吉田を出したに過ぎない)

吉田は高校生か中学生時代に「ワシントン広場の夜は更けて」を聞いて、多くの刺激を受けたことだろう。

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by noanoa1970 | 2007-07-15 10:11 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(1)

Commented by フランク・二ティ at 2007-09-16 21:09 x
僕は昭和30年生まれ(1955)でありますが、この曲はよ~く覚えて
いますよ。当時 あの漫画トリオがこの曲を取り入れたギャグを遣っていたのまで覚えています(笑)

ケネディ氏の暗殺、実は翌日 某発表会で朝から両親とともに京阪電鉄で京都へ向かっていたのですが、多くの人が 事件を報じる新聞を熱心に読んでいたのも覚えています。

僕は小学校低学年にもかかわらず この時代のアメリカの とりわけ
ミステリードラマが好きで 「バークにまかせろ」「サンセット77」
「アンタッチャブル」等を見ていました。だいたい父親が海外のミステリー
小説や映画・ドラマが好きで もろに影響を受けたのでしょう。