WHO'S KNOCKING ON MY DOOR

古いポップスファンの方なら、Tony Orlando & Dawnのヒット、「Knock Three Times」:邦訳「ノックは3回」が1970年の大ヒットになったこと、そして73年に「幸せの黄色いリボン」でもヒットを出したことを記憶しているカも知れません。

さて今日の話題は、彼らの歌ではなく「ノック」についてである。
先日たまたま見たTVで、「ノック」の話題が出ていて、それによると・・・日本人は通常ノックは2回としているが、西欧ではそれはトイレのドアをノックするときの回数で、家や部屋をノックするときには4回が常識的である。・・・と、どなたかが言っていた。

なるほど、小生の経験からも、ノックは2回がほとんど。
トイレだろうが会議室だろうが、家の扉であろうが、部屋のドアでも、2回叩いてきた。

西欧のトイレのノックの回数が2回なのは、おそらく応答のノックを・・・(しかも2回)を待つためのもので、応答のノックが帰らなければ、使用中ではないとするものなのだろう。

わが国にノックの習慣が入ってきたのは、西欧からドア建築が入ってきた時期・・・恐らくは幕末から明治期だろうと推測されるが、襖と畳の文化とドアと木製のフロアの文化が入り混じる建築様式となった頃であろう。

小生の実家も、全体が和式なのに、応接間だけは西欧風であった。
ドアと、観音開きの鉄製のサッシ窓に、白い漆喰の壁と天井、木質のフローリングが、妙に異国情緒を漂わせていて、いかにも威厳のあるように映ったものだった。

西欧風の建築様式が輸入されたとき、ドアをノックする習慣も一緒に入ってきたのかどうかは分からないが、4回とされるノックが、何故わが国では2回となってしまったのであろうか?

合理的な考え方としては、一部屋の広さが考えられる。
西欧の部屋は大きいが日本の部屋はせいぜい8畳程度。
だとすれば、4回もノックを・・・しかも大きな音で叩かなくても十分中の人に聞こえる。

しかし西欧の部屋は大きなものが多かったであろうから、そして扉も頑丈であったろうからかなりの音で、しかも音に気づいて応答する・・・ドアのところに出てくるまでには距離があるから、時間が余分にかかってしまう。

2回では応答するタイミングには難しいこともあるから、4回なのだろう。
トイレは狭い空間だから2回でも応答が可能だ・・・
そのようなことがすぐに思いつくことであるが、しかし何故3回でなく、5回でもない4回なのか?

冒頭のポップスでは「ノックは3回」といっているではないか。

この歌の内容は、階下に住む住人が階上の女性の住人の音楽や踊りの音に対して、想像力たくましく・・・なにやらストーカーみたいな・・抱いている思いを、3回フロアを鳴らしたらOK、2回パイプを叩いて合図したらNOという合図だから、どちらかであるかというサインを送ってくれ・・という内容だ。
勝手な思い込みの歌であるが、今では考えられないようなプラトニックな雰囲気を持つ。

3回のドン・ドン・ドン=YES
2回のカン・カン=NO・・・という音の合図の図式を作っていることになる。

話を元に戻すが、4回のノックというと、すぐに思い当たるのは、クラシックファンのみならず、万人が知っているあの有名なフレーズ、「ミ・ミ・ミ・ドー・・レ・レ・レ・シー」、そうあのベートーヴェンの「運命交響曲」の第一主題である「運命の動機」だ。

「運命はかく戸を叩く」と言わしめたあの有名なフレーズである。

4回のノックの習慣は、そこから来ているとする何の根拠も無いようなことを言う識者もいるらしいが、小生はそうは思えない。

しかし4つのノックを「運命」がやってくるときの合図として捉えたベートーヴェンの深層心理・感性には、何かの暗号めいたもの、あるいは歴史的、文化的、宗教的、民俗学的に重要な・・・そんなものが潜んでいるような気がしている。

ヌメロジー=数密学を紐解くと「4」の意味するものは・・・
安定であり、平面から立体への移行であり、物質世界との深い関わりを意味する。
春夏秋冬、四大要素である火・水・風・地、様々な世界を構成する要素・基礎と深く結びつき、安定した形の象徴といえる。

聖書においては、十字架や四大天使(ラファエル・ミカエル・ガブリエル・ウリエル)を意味する。

タロットでは“皇帝”を意味し、物質を支配しながら、揺るぐことのない基盤を築き上げる忍耐力や絶えまない努力を現わす。

カバラでは、「慈悲」を意味し、十字架や神聖な愛、守護するものや善なるもの、奉仕や献身としてとらえられている。

ヌメロジーからは直接、われわれが知っている「運命」・・・人間の力ではあがなえない力の象徴としての・・・に結びつく 物は見えてこなかったが、どうもこれは日本人、いや小生のもつ「運命」という概念の性で、
よくよくベートーヴェンの音楽を聞くと、決して「死」とか「諦観」とか「虚無」とかのマイナスのイメージだけでなく、人間が生きていくことは非常に困難ではあるが、それでも神とともに、それに何とか打ち勝っていく努力をしていけば、「そのうち何とかなるさ」というような前向きの音楽だとも採れるところがある。

「ソナタ形式」の妙味はそんなことを連想させてくれることにも有るように思えてくるし、「運命」における動機の展開とその帰結は「勝利」であると見ることも可能だ。

「カバラ」の「4」が意味するものとほぼ同じ土壌にたつことができるから、「運命」の4回のノックは、もともと「慈悲」を意味し、「十字架」や「神聖な愛」、「守護するもの」、「善なるもの」、「奉仕や献身」の象徴であったのかもしれない。

あるアンケートによると、104人中2回ノックが95人で、残りが9人が3回。
4回の人は誰もいなかったという結果だったそうだ。

しかし、小生は今後意識して・・ベートーヴェンが持っていたであろう深層心理にあやかって、遠くピタゴラスやユダヤ教の数秘学お教えのとおり、4回ノックを心がけようと思っている。

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本日はは改めて
ベートーヴェンの交響曲5番を
ブルーノ・ワルター指揮コロムビア交響楽団の演奏で聞くことにした。
「運命」の優れた演奏は数あれども、「ワルター」のような「優しさ」に満ちた演奏は特別・・・・別格の存在だ。
冒頭の「運命の動機」のフレージングも、何か人間くさいところがあって、小生の最も好きな演奏の一つである。

「運命」を肯定的に捉えた究極の演奏である・・・そういっても過言ではあるまい。

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by noanoa1970 | 2007-07-12 12:10 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)