空想音楽小説・・・幻のオーケストラその3

空想音楽小説・・・幻のオーケストラその2からの続き

私は彼らの話し振りや、今までの情報を集め整理して次のような仮説を立てるに至ったのである。

毛色の違う公演=この地方で初めての快挙、しかも自分たちの実力+α(弦楽合奏)でできるもの、・・・通常声楽、合唱を入れるがそれは別プログラムの「宗教曲」にあるから、数ある音楽からそれに該当するものをチョイスすると、少人数の歌い手と、チェンバロと、弦楽器だけでできるバロックのオペラである。

しかも3人(実質は2人)の歌い手をアサインすれば済むから経費も安く仕上がる。
話の筋も簡単・・・だから比較的楽に準備可能だろう。

公演後の評価が多分高まることだろう。
しかも楽にそして安価にできるからコストパフォーマンスが良い。

・・・恐らくこのような最も忌まわしい決め方で、公演プログラムが決定されたことは容易に推測可能だ。

ここには、HPで自身がいみじくも述べているような「市民のため」「ボランティア」「地域文化創造」などの概念はこれっぽっちもない。

何よりも大切な見方「市民」が置き去りとなっているばかり、自分たちの実力以上のものを見せ掛けでやろうとすることが透けて見えるのである。


そうこうして、1週間ほど過ぎたある日、団の「事務局長」と名乗る人物からメールが来た。
「お手伝いいただき有難う」との文章と、「アドバイスよろしく」ということがかかれてあった。

彼らの今までの会議の結果が、余りにも不安定要素、というよりまだ何も決定事項がなかったから、それを指摘するとともに、それまでのあいだ小生は、「お手伝い」はしないで、勝手にDVDからセリフを拾ってPCに落とす作業と、版権に抵触しないように変更可能な状況を仮定して、オペラの時代背景やシテュエーションを考え、それに沿った簡単な衣装や舞台デザインをスケッチしておくことにし、時間を見つけて作業に取り掛かった。

簡単に言えば仮の脚本・台本・演出である。
作りつつ新たなアイディアも浮かんでくるから、それはそれで面白い・・・趣味としても十分である。

依頼内容があやふやだから「字幕」も含め、依頼に直接答えることは不可能だから、これから必要となるであろうことを先取りした形で、「自身の趣味として」取り掛かることとしたのだ。(私自身ののリスクマネージエントである)

DVDを4.5回、セリフ画変わるたびにそれをデジカメで撮り、セリフを拾ってパワーポイントにその場面の画像と一緒に落とせば、後々便利だから、先ずはその作業をする中で、私はこのオペラの奥深さを知らされることとなったのである。

「女中が、財産目当てにご主人をたぶらかして、まんまと妻の座を射止めてしまう」
そういう解釈がほとんどだが、表面的にはそう見えるこの物語には、実は「道化」が潜んでいることに気がついたのだ。

「字幕」だけではこのことは分からない。演技が有って初めて歌が生き、歌は演技によって支えられ生きる。

初めてこれを見た観客は(ほとんど全ての観客が初めてだと思ってよいだろう、DVDでさえ1種類しか発売されてないのが現状である)字幕と歌と演技を交互に見るし、丁々発止の場面が多く、そこがまた笑いの壷でもあるのだが、セリフ切り替えが激しいから全部を目で追い物語の「笑いの壷と落ち」を分かってもらうには相当覚悟が必要である。

映画を初めてそれも1回しか見ないとき、例えば仏語の映画で、字幕と、演技と、そのほか舞台装置や景色、音楽など含めた重要なポイントの数々を、映画制作者の意図が、果たして十分な形で理解できるものだろうか?

オリジナルのよさは十分にに分かった上で、字幕より日本語吹き替えの方がすんなりとわかることが多いことは確かである。
その上でオリジナルの持つ・・・たとえば仏語の響きや、俳優の声など、その表情の細かいニュアンスが分かるものを見ると、より理解度が深まる経験は数多い。

作品によっては、ただ見ているだけではストーリーさえも分からないものもあるのだ。
まして過去と現在と未来が、場面ごとに入れ替わったりするような巧妙な仕掛けの映画は、数回見てやっと気づくことさえある。

この演奏団体の一体誰がそんなことを考えているのか、この安易な選曲と、このオペラは、演奏が易しいであろうと勝手に思い込む想像力のなさ。
いつもそこにあるのは、自分たちのあるいは個人的な視野の下の考え方。観客などは3の次である。

少なからず市民の支援をもらって活動して行こうと(振りなのかも・・)するアマの音楽団体が、こういう矮小化された考え方の基に、オペレーションをすることの「欠陥」を、何一つ分かってないのである。
リスクマネージメントどころかマネージメント以前の大問題なのだ。

もしこのことを、大都市〇〇〇で一流とされるプロオケに所属する合奏団の主催者が意思決定したことならば、小生は・・・ハッキリというが、彼を音楽家とは認めないし、自ら言うところのボランティア精神の結露としての行動も認めない。

HPに有るように・・・・
・オケを作りたい
・この地域の文化振興の役に立ちたい
・多くの市民に存在する、クラシック音楽の垣根を取り去りたい

そんなことは、私がかつて事務局長をやったときに、頭でひねり出した文言と全く同じものだから・・・

そのためにどうするか・・・
「オペラとは難しいものでは決してなく、こんなに面白いものなんだということを市民に、分かってもらいたい」

そういいながら、

やり方は演奏会形式=オケをバックに歌い手が突っ立って通常のアリアを歌うだけのような形式・・(演技、衣装などはないに等しいから、オペラをやるとは言えない)・・・で、原語で歌うという。
字幕を入れるから
お客さんに「あらすじ」は分かってもらえるだろう、などという不遜な態度。

このようなものをいくら「コンサートオペラ」という造語で観客をごまかそうとしても、オペラとして成立していないことは誰にでも分かるし、青少年や初心者にこれがオペラか・・・などという誤解を与えかねない。

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by noanoa1970 | 2007-07-04 08:57 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)