空想音楽小説・・・ある音楽シーン



注意)これは空想音楽小説で、実在の人物、特定の音楽団体を射しているわけでは有りません。

私の長年の願いは、わが町・・・いや、わが町を含む地区に、市民管弦楽団のような演奏団体ができ、どこかしこで演奏会が開催されると言う状況ができることである。

吹奏楽や、カントリー、JAZZをやっている団体は、あるにはあるのだが、ほとんどが趣味的な同好会だから、「自分たちで楽しむ」と言う領域から余り出ることがない。
演奏をして、合奏して楽しもうと言うことも、十分分かった上で、聞く側の立場で言えば、もっと多くの音楽に接したいという願望もある。

人口〇〇万人のわが町、周辺を入れれば20万の市町村の地域に、市民のための演奏団体の1つ2つはあってもいいと、かねがね思っていたが、現役を引退し、この町にドップリと漬かるようになってから、ますますその思いは強くなっていった。

今世紀の始めごろ、土曜の朝に開催されるK石津の「Mでこ市」という朝市に出かけたところ、組み立て式の喫茶カウンターで、コーヒーを提供するところがあって、場違いなところで、挽き立て、入れたての予想を超えた美味いコーヒーにありつくことができた。

自作と思しきカウンターの中には初老の男が、ニコニコしながらコーヒーを入れており、あらゆるところに彼が自ら考案した仕掛けがあって、彼はそれを得意そうに説明するのだった。

例えば・・・棚板の下には瓶がたくさん吊り下げるように並んでいる。棚の下のスペースを生かすために、瓶の蓋を接着し、各種コーヒー豆を入れた瓶を回して取り外したり、再びつけたりする。

目からウロコは、オシボリは電子レンジで暖める、その応用でタオルを水に浸し絞ってから電子レンジで暖めると、床屋でひげをそるときの、蒸しタオルが、いとも簡単に出来上がるのだ。
これは凄く便利、この時期我が家では大活躍だ。

その初老の男「A」の話し方は、爽快でしかもこの地方の方言が全く無かったので、いろいろ話すうちに、5年ほど前東京から移ってきたということが分かった。
朝市の開かれているところから、2キロほど離れた場所で、藁葺き屋根の古い民家を購入して、自力で修繕しながら住んでいて、コーヒーに使う水も井戸を再活用して汲み上げていると言う。
そして、初対面にもかかわらず気さくに、もうすぐしたら朝市が終わるから、良かったら家に来いと言った。

その当時、古い民家に入れ込んでいた私は、その言葉に乗って早速彼のお宅にお邪魔した。玄関をあけると土間があり、その突き当りにはカウンターが設えてあり、そこでまた特別な豆を挽いた美味しいコーヒーをご馳走になっていると、知り合いなのか、客なのかは分からないが、入れ替わり何人かの訪問があって、いずれも親しそうにオシャベリし、彼が焼いた「パウンドケーキ」を、お土産ににもって帰る人もいる。

「パウンドケーキ」は何故パウンドケーキという?
私はその理由を知っていたが、知らない振りをした。
「砂糖、小麦粉、バター」それぞれ1ポンドづつの分量で作るからだよというAの顔がより一層にこやかになった。

いずれは部屋の中を見てもらおうと思うが、今日は自分で作った薪ストーヴと、そこにあるストーブを御覧なさいといって見せてくれたものは、耐火煉瓦とタイネツガラスを自在に組み合わせた備え付けのスートーブ・・・まるで暖炉のようだったのと、業務用のガスボンベ切り取って作った屋外用のストーブだった。

恐らく150年以上の歴史がある「すす竹」や「杉板」を使った和風のスタンドも、それはすばらしかったのである。
Aは光量が調節できることを自慢したが、私は古い素材を現代に生かしたことと、その巧みなデザインにほれ込んだのだった。

当初は床も壁も崩れかけていて、とても人が住めるような家ではなかったものを、梁と柱がシッカリしていたので、自力で修理しながらここまでリフォームしてきたこと、この地の「原住民」とのいろいろな出来事、この家の「すす竹」を使って蜀台や照明ランプを作って、展覧会に出して表彰されたこと、それに私の素性や趣味嗜好など話し1時間が過ぎようとする頃、きっ変えかけは覚えていないが、ある男の話題となった。

ある日「A」が庭の片づけをしていると、ある男がやってきて、いきなり「すす竹」ありませんか?とたずねたと言う。
聞けばその男、雅楽で使用する管楽器を作る職人で、そのために素材となる「竹」の古いものを探しているらしい。

「A」のお姉さんは、その頃東京でプロのJAZZピアノをやっていたこともあって、まんざら音楽に興味がないわけではなかったので、天井を修理したときに出てきた、囲炉裏で黒く燻された「すす竹」を提供してから、その男と仲良くなったらしい。

小生の住居から程近い隣町に住んでいて、演奏会に出演していると言う。
聞けば、和笛も、フルートもやっていて、楽器作りの傍ら、クラシックの室内楽にも、JAZZにも、ポップスコンサートにも・・・雅楽演奏にも、(トラだろうか)出演していると言うのだ。

ある日「A」から電話があって、今から小生の家に向かうと言う、その理由は楽器作りの男と、私を引き合わせたいので、彼に連絡したら、丁度あるコンサートのリハで、小生のすぐ近くのホールにいるから、そこに会いに行こうと言うものだった。

リハが行われているホールに行くと、男はフルートを持って現れ、そこから彼「N」との付き合いが始まったのだった。

職人でミュジシャン・・・こいつは絶対偏屈な男だろうとの、予想も良いほうにはずれ、我が家にもよくやってくるようになった。
ある年末には、ヴァイオリン製作のイタリア修行の時期を控えた息子と二人でやってきて、ベートーヴェンの第9を聞かせてくれという。

大きな音では聞けない環境だから、といって持ってきたのが「ペーター・マーク」の指揮する「パドーヴァ・ヴェネト」オケ・・・ほとんど知られていないCDだった。

メンデルスゾーンやモーツァルト演奏では定評があった「マーク」だったが、第9は小生も始めての体験だったから、オケもたいしたことはなさそうだから・・・などと思っていたのが嬉しい大誤算。

最近の演奏でこれ以上にすばらしいものはない・・・と断言できるほどすばらしい演奏に仰天した。

明らかに少編成のオケ、しかしそこから聞こえてくる音楽には1音1音に「音霊」があり、団員やソロ、合唱団全てが、このマエストロを信頼しきって演奏している集中力が強い形となって伝わってきたのであった。

かなり十分な時間を掛けて、このオケを鍛錬したのだろう。
音楽を聴くと、信頼しあう心が、出てくる音全てに繋がっていて、個々のパートがクッキリとした造形を保つのと同時に、それらがある瞬間に見事に溶け合うすばらしい、しかも向こうが透けて見えるように、透明感のあるハーモニーを作る。
まるで、ターナーの絵のようだった。

普段の力の数倍のパワーとなって、それぞれのパートが信頼と尊敬、そして集中力によるシナジー効果を十分発揮できた、非常に稀な演奏であると確信した。

それからというもの、小生はアチコチのクラシックの掲示板などで、この演奏を絶賛してきたのだった。

数多い第9演奏の録音の中(私自身も50種類ほど所有してはいるが)手放しで凄いと思えるのは五つあるかないかである。
この「マーク」の演奏をぜひともマイフェヴァリットに加えなければならない。

「N」が何故、あまたの中から「マーク」の演奏を持って来たのか、その理由は分からないが、偶然にしろこのようなすばらしい演奏が存在することとを教えてくれたことは事実である。

それから何ヶ月たったある日、彼がやってきて、(前々から小生が「市民オケ」ができないものかと思っている旨の話を伝えていたからであろうか)、あるお願いをするのだった。

それは
「今度この地域でクラシック演奏団体・・・管弦楽団を作りたい
今のところメンバーは7人ほどである
旗揚げ宣言を早急にしたい
それで小生にその団体の「事務局長」となってほしい」

うんーーーん ちょっとまった・・・・・
人、物、金の見通しはついているのかと問うと、今のメドは団員候補が7人、しかも全部管楽器の連中だと言う。

弦楽器が一人もいない状態で、オケができるわけがないが、そのあては?と聞くと
まだ当たってはいないが、昔ある合奏団に所属していたが、分け有ってそこをやめた人間を何人か知っているから、これから当たると言う。

彼が言うには、団員を増やし活性化していくため、それには先ず形から入らないと・・・すなわち、キチンとした実態のあるなしにかかわらず、〇〇管弦楽団という名前で立ち上げ宣言をし、初回公演を成功させることが先決だと必死の形相で言うのだった。

組織形成の基本的な必要条件が整っているばかりか、欠陥だらけだったので、一つ一つ確認作業をしていくが、市民の有力な支援もない、当然行政もノータッチ、賛同したのは大学の若い助教授、そしてお手伝いしても良いといってくれている、名古屋の振興管弦楽団に所属している、やはり管楽器奏者。
この人がトレーナー兼指揮をすることになる、と言うことだけが唯一の救い。

設立宣言に必要なのは、この演奏団体活動のコンセプトだということも分かり、このように、海のものとも山のものとも、地球上のものとも思えないような気配が漂う、組織作りは全く気が進まなかったのだが、安易では有ったが、この地方にオケを作りたいというそのことだけは意思一致したから、しばらく乗っかってみることにした。

幸い時間はタップリとあったから、設立の狙いと趣旨、活動方針、会則などを作る一方、一番必要な経済基盤確保のための中長期実施計画を立てた。

その一つが「オケ塾」
老若男女を問わず、音楽が好きで楽器を習いたい人を、オーケストラで演奏することをトレーニングの主目的にした「音楽塾」。

ピアノ教室バイオリン教室、フルート教室、ギター教室など、個人や楽器店などが経営する教室数あれども、オケでの演奏を主眼に置いた教育は、専門学校や専門大学がやっているだけで、一般的には皆無だ。

各パートごとに、プロオケで演奏している人に講師をしてもらい、トレーニングしてもらう。上手になればオケで演奏できたり、また小さな集団で室内楽などをやりながら成長していくと言う図式を考えた。

生徒募集のときに、このことを目的としていると言う明瞭度を打ち出せば、目的がハッキリしているから今までの音楽教室に見られるように、小中高までは音楽をやっていても、大学や社会人になるとやめてしまう潜在的人材が失われることが防げるのではないかと考えたからだ。


また短期的には、この地方の大手企業(トヨタGの大きな工場が複数存在、大手コンピューター会社の工場などがある)から潜在的演奏者を掘り起こすことは必要かつ効果的と予測した。


その一方、既存の音楽団体・・・管弦楽団、吹奏楽団と連携を取っていく。(トラの貸し借りなど通常頻繁である)

クラシック専門畑の連中が嫌う(何故嫌うのか小生にはサッパリ分からないが)吹奏楽をやっていた人でも、当然ウエルカムで、そういう人たちを無視したら、絶対に地方のアマチュアオケなど成立しないと思うからだ。

ところが、彼に聞くとこの町のあるクラシック弦楽団体は、吹奏楽団やそこ出身・・・中高校で吹奏楽をやっていた人嫌いの典型。
過去に一緒にオケを作ると言う話が持ち上がったのだが、合奏団の主催者が吹奏出身を小ばかにした態度を取るので、「N」は、幾人かのメンバーとともに、喧嘩別れをしたということも分かった。
そして、今回のオケ立ち上げのメンバーの中にはそのときの人もいるようだ。

地道に人を育てることは一方で大切だが、今あるものと、今あるものを・・・当初はユニットとユニットのコラボのスタイルで、時々合同でオケとなって演奏会を開催するのも悪くないことだから、しかもそれが一番現実性がある、そう思って、私が一度仲介するから、仲直りしてしてオケを実現させたらどう?と聞いてみると、

「N」は、あの男(主催者で弦楽合奏団を取り仕切る男)とやるのは、死んでもいやだ」・・・そうキッパリと言い切った。
かつてよほどプライドを傷つけられたのだろうと内心思いつつ、そのような人種がわが町にいることに若干の懸念を持ちつつ、「N」のいうことことだけが、正確な情報なのかと、若干の懸念をもったりもした。

さらに詳しく聞けば、その合奏団を率いている男は、行政、電力会社、大手自動車会社グループなどをバックアップに、40年ほど前に創設された、大都市〇〇〇では一流とされる、あるMフィルハーモニー管弦楽団に所属していて、低音弦楽器を担当し、その奥さんはバイオリン教室を私の住む町でやっているらしい。

合奏団の発端は、教え子達の発表会でそれが発展し、弦楽合奏団を形成してから十数年経って今日に至ると言う。

「N」が言うには、一時オケを作る話が持ち上がって、喧嘩別れした「N」も接触していたけれど、自分が率いる合奏団の力もそんなにないのに、吹奏楽とクラシックの管楽器の奏法や技術レベル云々をいい、自分の合奏団のレベルを棚上げして、もっと管楽器が上手にならない限り一緒にオケはやらない・・・すなわち、吹奏出身の管楽器奏者とは一緒になどやれない・・・という変なクラシック特有のエリート意識を持つ男だと言うのである。

そんなことがあったが、小生は「事務局長」を引き受けプレゼン資料を作って、経済基盤、そして人材確保を主眼において、あれこれやってきた。

教育委員会にも、学校の好調、教頭、音楽担当にも、市議会議員の中に音楽好きがいることがわかって面談したり、福祉関係者と会ったりし、さあこれから民間の会社に行こうと準備する中、どうもメンバーにはオケを作ると言う基本的合意が乏しく、一緒に楽しく演奏ができればよいと言う風潮が高まってきたのを期に、第一回公演終了後、私は幕を引くことにした。

それからこの団体は3年ほど続いたと思うが、今はHPも閉じている状態で、今現在の情報はない。

そのようなことが7年前にあったが、いまだにオーケストラはできていない。
そして、いまだにオケができない原因は、物凄く些細なことであるのかもしれない。
音楽関係者は誰もが市民オケ創設を望ましいと考えているのは確か、でもこの地域にオケがいまだできないのである。

これは、とても不思議な現象である。同じような規模、もしくはそれ以下の規模の町に出さえオケは存在するし、複数ある町さえあるから、「できない理由は」人でも、物でも、金だけでもなさそうだ。
もし、たとえそれらが必要なだけあったとしても、何かの見えない手の力が働いて、実現が難しいのではないか、という推測をしてしまうほどであるが、因果関係がつかめぬままだった。

しかし、それから7年たった今、その原因らしきものを目の当たりにすることになろうとは、一体誰が想像しえただろうか?

それは先日の午後、突然「かまいたち」のようにやってきたのだ。
そして
このことを小生ははシッカリと書きとめておかねばならない。

[PR]

by noanoa1970 | 2007-07-01 10:00 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)