天気予報


入梅なのに雨が降らない。(UPする本日は朝から小糠雨が降っている)
雨が降らない日は、犬の散歩も楽なのだが、水不足が心配される。
ウエインショーターつながりで、10年以上の・・・本当に久しぶりに「ウエザーリポート」の「ウエザーリポート」を聞いた。

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インナーに掲載されている、ライナーノーツなど、今まで読んだことが無かったが、「I 波 Y 三」の解説があったので読む。

「ミルキーウエイ」における響きを、「除夜の鐘」のごとくに見立てたことは、小生も同じような感覚を得てたので、・・・この人なかなか(面白そうだ)・・・と思って次の展開を期待したが、そこからは何も発展しなかった。

1971年・・・前年度サークルDRACに「JAZZ G」を作りたいという要請に、小生は内心賛成であったが、このサークル伝統の、そして創設コンセプトである「クラシック音楽研究」の規約に抵触するから、しばらく躊躇していた。

考えた挙句、「JAZZ=現代音楽」としようと言う・・・今の政府のような拡大解釈で、規約を変更することなく「JAZZ研究G」を創設したのが1970年。

71年のこと、様子を見に出席したJAZZ Gで取り上げられていたのが、「ウエザーリポート」であった。

その時小生は、日本の作曲家によるクラシック音楽のグループをやっていて、そのこともあってか、それ以来この曲のA面を通して流れるのは、「日本」・・・日本の伝統音楽の響きなのではないかと思うようになっていた。



《セブンスアロウは、ヴィトスの作品で、いくつかのモチーフで、できており、モチーフの不断のインタープレイであると、彼らは言っている。
ヴィトスは、射て座の生まれで、ここには矢の持つスピードとエネルギーが示されている、という》・・・「I 波」は、このように解説で書いている。

さらに「オレンジレディ」で彼は、このように述べている
《オレンジレディは、ザヴィヌルのオリジナル。イン ア サイレント ウエイを想起させる牧歌調の演奏である。ザヴィヌルは、もっぱら自分のワイフのことを考えながら書いたという。つまりは大都市で子供を持って暮らす、母親の悲しみである。ここにはカントリーにおける生活の幸せと、都会で暮らす[ゆううつ]が交差して、一種サッドなサウンドを作っている》

「I波」の指摘どおり、冒頭では、大伽藍に響く「鐘の音」を限りなく想起させる。
しかし、小生は続く「アンブレラ」で、雨が降ってくる中、足早に駆けて行きかう人たち・・・安藤広重の絵を想起し、セブンスアロウでは、勇ましく戦う「賤が岳の7本槍」をも想起したことさえある。(半分以上冗談だが)

広重の『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』
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ゴッホが広重の浮世絵を模写した作品・・・「雨」の表現が微妙に異なる
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それはそれとして

これらのことを小生に想起させた要因は、この曲想が限りなくわが国の伝統音楽のオマージュに聞こえていたからなのであった。
セブンスアロウからオレンジレディにいたる展開は、ウエインショーターのSsxのダブル録音の音色に象徴されるように、それはわが国の「雅楽」の「笙 篳篥 龍笛」・・・まさにそれらの楽器が、モアレのようにマージするヘテロフォニー音楽そのものなのだ。

「オレンジレディ」は「朝焼け」あるいは「夕焼け」のように、空が朱色に染まっていき、だんだんと薄れていって、明るくなったり暗くなっていく・・・その瞬間の茜色の美しさと、大気の揺らぎ感を表現したとも取れる。

ショーターは、この表現のために一人二役・・・2本のSsxを使い、ホモフォニーを重ね合わせることで、音のモアレ・・・これが雅楽の音の真髄である・・・を作り出した。

ちなみに音のモアレのモアレとは、昔の人の絹・麻の夏着物や、夏場に襖を取り去って使う絹・麻のカーテンのようなもの、それらが重なり合うときにできる不連続の縞模様のことである。

微妙な音のずれ、アンサンブルの遅延さえ、ウエインショーターは、見事にやってのけている。

ショーターが、あるいはザヴィヌルが、わが国の「雅楽」を聴いてなかったはずがない・・・それどころか、雅楽へのオマージュさえ感じられるような、そんな確信さえする曲想である。

「オレンジレディ」の中間部では、なんと「君が代」あるいは「越天楽」が聞こえてくるし、鉦鼓や琵琶の音を髣髴させるパーカッションの響きもある。

「I波」は、よくこの音楽を聴いてあのような解説を書いたのだろうか?

せっかくの冒頭の「除夜の鐘」への言及の割には、その後の解説展開が全て、ウエザーリポートのメンバーがどこかでしゃべったことを、なぞっているだけの、全くつまらない文章に成り下がっている。

もっとも、70年代の音楽評論はそれまでの主観的表現を廃していく傾向が強くなって、よい客観的であろうとするがゆえに、つまらないものが増えつつあった時代でもあったから、「I波」の表現の要因も分からないではないのだが・・・・

「I 波」のことはともかく

ここでのウエインショーターは、ザヴィヌルは、そしてウエザーリポートの音楽は
JAZZかフージョンかなどという、かつてのプアーな論争を、はるかに超えたところに存在している、まさに「音楽」だといえる。

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by noanoa1970 | 2007-06-22 09:55 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)