「奥様女中」とは何者か

クラシック音楽ファンであれば、「奥様女中」という曲があることをご存知のことと思う。古今有るものの中でも特に評価が高い「ペルゴレージ」の「スターバト・マーテル」の作者でもある:ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ (Giovanni Battista Pergolesi, 1710年1月4日 - 1736年3月16日)
イタリアの作曲家が作ったオペラブッファの題名である。

クラウディオ・シモーネのスターバト・マーテル
合唱版もあるが、これはアルト、ソプラノの二人の女性のソロ、ベルカントが気になるがすばらしい歌声だ。
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ペルゴレージの代表的作品として、音楽史に必ず出てくる「奥様女中」。
随分昔の話だが、小生はこのオペラのストーリーを、<わけがあって奥様が女中に身をやつす物語だ>と、勝手に思っていたことがあった。

歴史でも何でもそうなのだが、その昔は「出来事と年号」「本の題名と作者」
「音楽作品名と作曲家」と言う図式で物事を教えられ、それが勉強のひとつであったようなところが多かったから、記憶力の良い子供がすなわち頭の良い子と言う図式が成り立っていた。

今のように情報の質量ともに、少ないばかりか、調べることも困難な時代は大学生になって本屋に多くの種類の本が並び、図書館に行けば何とか探し物が見つかると言う時代まで存在しなくて、それ以前は情報がすでに古くなった百科事典を読むことしかできなかったのであった。

「奥様女中」=「ペルゴレージ」という知識(知識といえないから、認知)はあったが、実際には曲も聞いていないし、そのストーリーも分からないまま、勝手な想像をしていたのが、大学のサークルに入ってもしばらく続いた。

サークルには1年後輩の音楽認知に優れた(確かによく音楽を聴いてはいた)女性がいて、彼女がよく「奥様女中」と言うのを耳にするのだが、先輩の手前、「どんなストーリー?」と言う言葉が出てこないまま、知ったかぶりをしていたこともあった。

クラシック音楽の題名の邦訳の悪い例として、小生はいつもRVW(訳しては分からないかもしれないので返って長くなるが、「ヴォーン・ウイリアムス」)に、これも有名な「上げひばり」あるいは、「揚げひばり」と訳されて長い歴史の曲がある。

これと同等、あるいはもっと奇妙で下劣な邦訳の見本として、小生は「奥様女中」を示さないわけには行かない。
なぜかと言えば、この邦訳は、誤解を招くことが目に見えている邦訳であるからなのだ。

「上げひばり」なら、知恵のかけらも無い邦訳なのだが、なんとなく「ヒバリが空高く登っていく」・・・ひばりと言う鳥のことを知っている人なら、ヒバリが鳴きながら天高く上っていく様子を髣髴できよう。

しかし「奥様女中」と訳してしまっては、奥様が女中になったのか、女中が奥様になったのかが推測されるのならまだしも、「お子様ランチ」のように「お子様(向け)のランチのように読み解いた場合、どうしても奥様が女中になる、まして女中が奥様になるなどと言うこと等、天地がひっくり返っても想像できないのだから、物語の内容とは、全く無縁の意味を成す結果となってしまうのである。

atom heart motherを原子心母と邦訳したことよりもたちが悪い。
なぜならこの場合、原語の意味がシュール過ぎて、訳すことが困難だから。

すでにご存知で無い方でもお気づきのように、ここは「奥様になった女中」といわなければ、大いなる誤解を生じることへの想像力が何故働かないのか、何故長い間この忌まわしき呼び方が、まかり通ってきてしまったのか、音楽雑誌や、音楽関係者たち、中でも、いつもえらそうに御託を並べ立ててきた評論家と称するものたち、教科書検定の役人達。

・・・・・君達の感性は、そこまで麻痺しているのか・・・と、つい言いたくなるのである。

改めてこの訳語を見ると、役人の短縮言葉にソックリで、とても気味が悪い。
「要介護認定」などという、およそ美しくもなんとも無い日本語を作って、満足している人間の感性は、想像力をもダイナミックに鈍らせるのであろうと、社会保険庁のインプットもれや、ミスのリカバリー、リスクヘッジ策をまったく考えてこなかった年金問題にリンクしたくなってくる。

しかし、この話をしだすと血圧が危険震度に到達しそうなので、もう一度話をペルゴレージに戻すことにする。



さて、この物語は至極単純な・・・18Cのブルジョワ階級の主人と、その屋敷で長く勤めた女中の娘、そして娘の仕事仲間の下男3人の織り成す物語である。

娘の悪知恵で、ご主人様をうまく誑かして、やがてはその奥さんに成り上がってしまう・・・と言う、今でいうところの財産目当ての結婚の話しであるという見方があり、その中でブッファだけに「落ちと笑」を潜ませていて、・・・恐らく観客は、に日常性と非日常性の狭間に身をおきながら見聞きすることで、一種の共同体意識の元で、悦楽や快感を味わったものと小生には想像される。

たしかにそういう視点でこの物語を捉えることのほうが、一般的だとは思うのであるが、そこは小生・・ひねくれ者であるから、いささか違う目でこの物語を捉えてみた。

登場人物は3人
〇中年の屋敷の主人「ウベルト」
〇屋敷に古くから使えた女中の娘で、
今は主の女中となっている「セルピーナ」
〇屋敷の下男「ヴェスポーネ」(黙り役なので一切セリフは無い)

結論から言うと、小生はこの黙り役の「ヴェスポーネ」こそが、「道化」を演ずるこの物語の影の主役ではないかと思っているのだ。

物語でヴェスポーネ(下男)は、「主人の嫁を願望する娘」、に頼まれて、娘の・・・たちの良くない婚約者で、銭と引き換えに婚約を解消するという仕立ての、悪ものの役を引き受け、娘を支援する役目をする。
ヴェスポーネ(下男)がそれをすることによるメリットが全く何にも無いにもかかわらずである。
一体ヴェスポーネ(下男)は何故そこまでして、娘を手助けしたのであろうか?
主人と娘の結婚画ヴェスポーネにとって有益だったのか?

<以下のような展開の予想は、簡単につくだろう>

A.ヴェスポーネは、実は女中の娘セルピーナが好きだったから
B.ヴェスポーネが女中の娘セルピーナに弱点を握られていて、言うことを聞かないと主人に言いつけるなどとい脅されたから
C.ヴェスポーネが単純で、いい人で、頼まれたら嫌といえない性格だったから
D.ヴェスポーネと娘は当初から、この屋敷の財産を狙っていて、娘が主人と結婚した後
主人を亡き者にしようとたくらんでいた(だんだん現代版サスペンス風になってきました)
E.ヴェスポーネは主人と、娘はいつもいがみ合って入るが、本当は愛情を互いに持ち合っていたことを察知していた。世話になっている主人への恩義を果たすためヴェスポーネは、二人の愛情が結びつくように娘を美味く立ち回らせ、自らが悪者になってまで、二人を結び付けようとした。
F.娘を愛し始めた主人は、娘と結婚したいのだが、素直にいえないので、ヴェスポーネに命じて一芝居慣行した。

クイケン盤のDVD、バックはピリオド奏法でやっているのだから、もう少しビブラートを抑えた歌唱のほうがよかったように思う。しかし現在これしか市場にないから、貴重である。
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少し考えただけでもすぐにこれらのことは推測可能である。
そして、台本の脚色、演出によって、これらのことをいずれも表現することの可能性を、「クイケン盤DVD」で確認することができた。
そしてこれらの結論を出さずにおいて、後は観客に想像させるという演出も可能だろう。

クイケン盤では、18Cの金持ちの商人の屋敷の出来事を再現しており、オーソドックスに、機知と計略により嫁の座を獲得した娘の・・・恐らく当時はとても珍しい、じゃじゃ馬タイプの女性人格を表現したもののように思われる。

それはそれで、つまらないことは無いのだが、いかにも昔のお話の範疇を超えないから、もし今これを演るのなら、長い歴史の間影に隠れて黙ってきた、「ヴェスポーネ」に光を与え、この物語を、「ヴェスポーネ」の仕掛け、によるものとすれば、黙り役の彼が「道化」としても影の功労者としても、実力者としても認知され、その結果この屋敷が安泰となって反映し、その結果2人からの信頼を勝ち得たヴェスポーネも、またその子孫の安泰も図れると言うわけだ。

つまり上に上げた「E」そして「F」がそれに該当する。そしてそれが小生の推理である。よくよくこの物語を見ると、それらしき伏線が透けて見えてくるところが何箇所も存在する。

誰かこのような演出、やらないものだろうか・・・・・
クイケン盤以外のDVDを検索してみたが、今のところこれしか存在しないようだ。

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by noanoa1970 | 2007-06-10 16:50 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

Commented by akemin at 2007-06-11 09:29 x
「奥様女中」とは何者か
  ↑アイキャッチャーありますね!
なんか三面記事を賑わす何かかが秘めてそうで・・・・

ジャズ・スタンダードでも
between the devil and the deep blue sea
邦題 「絶体絶命」
この邦題と 曲のギャップが印象的で
わたしも 昨年mixi日記に
2006年08月04日「絶体絶命」 というタイトルで書きました。

邦題について アレコレ揚足とりしていると
話題に尽きません
なかなか 感心するものから
なんで そうぉなるのぉ~ までありますね!
Commented by noanoa1970 at 2007-06-11 15:38 x
今度あるアマテュア集団が、実力以上の力が要求される、このオペラをやろうとしていまして、ひょんなことから依頼を迫られ、ただいま脚本演出を考えながら、邦訳お越しの真っ最中。きょうも朝から今も継続中です。面白いけど疲れる・・・しかし面白いので、もう少しがんばってみます。早く仕上げていい演奏をしてもらわなきゃ・・・
これからかなり切羽詰ってくる予想です。演出なんぞは始めての経験だから、思い切ったことしてみたいのですが、人物金情報全部無い・・・・だからアマチュアなんですね。久々にボランティア精神を引っ張りだして、がんばって見ます。