「パックの踊り」の大胆な仮説

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写真は「ジェリージェフウォーカー」

先のエントリーで、ドビュッシーの「ミンストレル」そのルーツとしての音楽的背景が「タップダンス」音楽、やボードビル音楽である、ということを書いてみた。
つまり、「アフリカ」、「イギリス」、「アイルランド」、そして「アメリカ」、そればかりか「イベリア半島」や「ブルターニュ」、「ギリシャ」とそして勿論母国「フランス」とドビュッシーの「音の探求」は続くこととなる。
しかもそれらが連関することは着目すべきことではなかろうか。
それについての考察はいずれとしたいので、11曲「パックの踊り」について触れることにしよう。

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写真はアイルランドの「リヴァーダンス」

「パック」とは、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」に「オベロン」とともに登場する間抜けな妖怪であるという指摘は「てつわんこ」氏のエントリーでも明らかなようだ。
「コブリン」や「ロビン」との同一性を解く説もあるから、子供っぽくて、いたずら好きな妖怪であるともいえよう。

しかし「パックの踊り」の「踊り」という表題に、そしてその音楽に、小生はかなりの引っかかるものを感じるのだ。
もしも、「パックの愉快な悪戯」という表題であれば、手放しで納得するのだが・・・

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写真上向かって右、写真下真ん中が「PUCK]である

そして、これからが大胆な仮説になるのだが・・・・
前提として、11曲「パックの踊り」と12曲の「ミンストレル」を続けて聞いてみよう。
この音楽の共通点を探れば、それは「踊りのリズム」、しかもかなり「ずっこけたところ」、すなわちボードビルやおどけたタップダンスのように、聞こえないだろうか。
小生の仮説は
11曲と12曲は同じ土壌から生成された音楽では無かろうかということだ。

「パック」という言葉から、それは遠くギリシャ神話か、ケルト神話の、あるいはそれらの後の世代の叙述、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」あるいは、キプリング「プークが丘の妖精パック」、ナルニア国のフォーンのタムナス・・・ヤギ人間であるとする「てつわんこ」氏の指摘も有る。

しかし言葉を返すようであるが、小生には「パックの踊り」の音楽的背景が「妖精たちの踊り」であるとは、到底思えないのである。
「パック・・・」ではJAZZやラグの音楽語法が見え隠れし、どのように聞いてもそこにはドビュッシーがある意味得意とした古代の神々や「妖精」を髣髴させるような音楽は鳴っていないと思うのである。

「ミンストレル」で見られる「ズンタ調」や「ブルーノート」「ダンスのリズム」
「スウイング」なども聞こえてくるのだが、デルボイや亜麻色で見せた「古代旋法」や「ケルトスケール」は、ここでは存在しない。

そのことは、小生に11曲と12曲が連なっていて、それも本来は「逆順に」なっていたのではないかということを大胆な仮説とさせる。

さて先回の「ミンストレル」を振り返ると、ショーの中で「ボージャングルス」に代表されるボードビリアンやダンサーが踊り歌いする中の「タップダンス」に、いくつかのステップの種類があり、それぞれ「ブラッシュ」「フラップ」「シャフル」「ボールチェンジ」「クランプロール」と呼ばれルものがありこれらはアメリカ南部の奴隷たちの間で親しまれているうちに次第に交じり合い、19世紀初めには「バック・アンド・ウイング」(buck-and-wing)「クロッギング」などといった、皮底の靴でおどるダンスが生まれたのである。

これらのタップダンス音楽の中には、バックミュージックの「ラグタイム」音楽として、WILLIAM H KRELL.(1873-1933) が1897年にNEW YORKの出版社S・BRAINARD'S SONS COにより出版し、KRELL'S ORCHESTRA が 初めてシカゴで演奏したといわれるものが有り、曲はCAKEWALK、PLANTATION SONG、TRIO、BUCK AND WING という4つの主題からなり、KRELLが ミシシッピー河領域を見学した際に発見した音楽のルーツを充分に反映させているという。

ラグタイムは黒人音楽、ヨーロッパ派クラシックに ジャズの要素が混じり有ったもの。
ユビー・ブレークは、「どんな曲でもシンコペーションを含む音楽は基本的に「ラグタイム」であるといっている。

ドビュッシーもそしてラヴェルもこの「ラグタイム」から、大いなる音楽的感化を受けたことと思われる。ひよっとそたら、ドビュッシーがWILLIAM H KRELLの楽譜を見ていた可能性も有ると推測可能なのは、WILLIAM H KRELLが「CAKEWALK」の楽譜を出版したという記述からである。

「パックの踊り」は「バックの踊り」で、バック=BUCK AND WING の「バック」
すなわち、ミンストレルショーでのボードビリアンもしくはダンサーによって歌い踊られた、「タップダンス」のステップの代表的なものの一つの
バック=BUCK AND WINGによる踊りではないか。
ドビュッシーは「バック=BUCKの踊り」とするところを、「パック=PUCKの踊り」としてしまった。
これをドビュッシーが入手した楽譜の表記ミスからなのか、プレリュード出版に当たっての出版社のミスなのか、ドビュッシーがワザトそのように記したのか( VOILESに定冠詞をワザトつけなかったドビュッシーであるから、そのくらいは平気でやれる男)

今までこのような「妄想的仮説」をだれも考えてはいないであろうから、「PUCK≠BUCK」 であるとは考えられないと、真っ向から反論を食いそうであるが、少なくとも、聞こえてくる音楽からは「PUCK」=妖精や半獣半人・・ヤギ人間、それを髣髴とさせるような「音型」は聞こえない。
それどころか、そこから聞こえるのは、移民たちによって米国で黒人音楽と結びつきを見た、JAZZの語法、タップダンス音楽・・・ラグタイム、時にブルーノートであることは、一体何を物語るのか、新たなる興味がわいてくるのである。

メンデルスゾーンに「真夏の夜の夢」の音楽があり、その中の一こまから着想されたものかもしれないが、小生の勘では、どうも「シェークスピア」「メンデルスゾーン」とは、無縁のような気がしている。

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by noanoa1970 | 2007-04-21 16:30 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)