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スコットランドの美少女

1962年にステレオ装置がやってきて、すぐに購入した「エリーゼのために」というタイトルのオムニバス「ピアノ曲」集、「パウル・バドウラ・スコダ」の演奏。
この中にドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」が収録されていた。
中学生だった小生は「スコダ」のピアノと、少女の写真にほのかな幻想を抱いたものだった。
その後幾種類の演奏を聴くことになったが、「スコダ」の演奏は、依然として小生のリファーレンスとなっている。「亜麻色の髪」とは写真の少女のような髪の色をいうのであろうか

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60年代後半のこと、ソウルフルな混血歌手として一世を風靡した「青山ミチ」(メロディ)、フォーク系GS「ヴィレッジシンガーズ」が歌い大ヒットとなり、近年では「島谷ひとみ」がリメイクした曲、橋本淳作詞、すぎやまこういち作曲の「亜麻色の髪の乙女」。
そしてこのタイトルは、クラシックファンなら、ドビュッシーが作った歌曲、そしてピアノ前奏曲集に同盟の曲があるのをご存知だろう。

3年ほど前に掲示板「猫」に「亜麻色の髪の乙女」の「亜麻色」とはどのような色?との問い合わせがあった。
その数年前、退職する女子職員へのプレゼントにと思い、小生は京都の老舗の袋物屋「一澤帆布」で麻製のトートバッグを購入したのだった。
いかにも丈夫そうな綿布のバッグのほうがポピュラーで、さりげなくこだわったおしゃれをしようとする若い女性に、このトートバッグが大人気で、町では、時々あの古典的な商標タグがついたバッグを肩に掛けている女性の姿を見かけることがあった。

しかし小生が選んだのは、麻のもので、それは麻布の素材が「アイリッシュリネン」であることを知ったのと、それで作られたバッグが綿布のものとは違い、滑らかで光沢があり、紫の入った鈍い朱色がとても気に入ったからであった。

それで「亜麻」あるいは「アイリッシュリネン」を知るところとなり、良質な亜麻の産地が「アイルランド」であることを知ったから、「猫」への質問にすぐに反応したのだった。
何を投稿したのかはハッキリと覚えてはいないが、
収穫した「麻」が束ねられて、乾燥されると、きれいに輝く黄色に変色する。
一般には金髪であるとされるようだが、黄金とは少しニュアンスが違うように思う。
生成とベージュと金色がミックスしたような感じではないだろうか・・・
恐らく、このような投稿をしたのだと思う。

「亜麻色」については・・・これが亜麻色である、という記述や色見本の提示には、実際のところお目にかかったことがないし、人それぞれ、微妙にその色彩感覚に違いがあるから「亜麻色」の歴史はそんなに古いものではなく、誰かが比ゆ的に用いたものであろうと考えるのが妥当かもしれない。

畢竟、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」は、フランスの詩人「ルコント・ド=リール」が1852年に発表した「古代詩集」から「スコットランドの歌」という詩集の中に収めた「亜麻色の髪の乙女」という詩に基づいたとされ、有名なピアノ曲のほかに歌曲も作曲している。

「ルコント・ド=リール」という詩人の名は余り知られてはいないようだが、実は「ショーソン」「フォーレ」「デュパルク」「フランク」ほか、そうそうたる仏作曲家の歌曲作品に取り上げられているの象徴主義高踏派の詩人である。

また彼はフランス近代化の象徴とも言える「パリ万博」での「エッフェル塔」建設に反対した人であり、この詩人の名を冠した9877tonのフランス客船 「Leconte de Lisle 」は、サイゴン航路に就航し,世界大戦開戦後は日本に拿捕されて「帝立丸」となったとも言うから驚きの事実である。.

ドビュッシーに、象徴主義の詩人の歌曲が多いのは事実であるが、少ないながら中でも高踏派の詩人「ルコント・ド=リール」の詩に基づいた以下の作品を作っている。
・カンタータ「エレーヌ」(1881~82頃)[S,cho,Orch]〔未完〕
・ジャヌ(Jane)(1881or82/1966出版)[歌曲]
・亜麻色の髪の乙女(La fille aux cheveux de lin)(1882~84)[歌曲]
・エクローグ(Eclogue)(1881~83頃)[歌曲]

多くの歌曲作品を残した「フォーレ」の以下の作品の数と遜色ないほどであることがわかる。
・イスパーンの薔薇、・薔薇、・ネル、・リディア、・消え去らぬ香

フォーレも5作品、ドビュッシーも同じ作品の数であるから、フォーレ同様、象徴派の詩人の中でも高踏派といわれる詩人にも目を向けていたことは注目されることだろう。

『柵に近く詩人ル「コント、ド、リール」の石像の周囲には、五色に色分けしたチユリツプの花が、明い日光を受けて錦の織模様のやう。』

『五日前コロンボに寄港した時には仏陀の生れた島と云い,歌劇ラクメの舞台を思い,さては又詩人キップリングや「ルコント、ド、リール」の事を思い…』
上の文章は、クラシック音楽にも造詣が深く、仏詩人を多く紹介したことで知られる「永井荷風」の「巴里に於ける最後の一日」および「新嘉坡の数時間」に書かれた「ルコント・ド=リール」についての思いである。

そのような詩人「ルコント・ド=リール」の作品が「亜麻色の髪の乙女」。
そしてこの詩は「リール」の作品「古代詩集」に収められた「スコットランドの歌」の中の一つである。

作品は1852年に発表され、それをドビュッシーが1882~84年に掛けて歌曲として作り、同タイトルを後の1909~10年に前奏曲一集の、8番目のピアノ作品とした。
タイトルも曲調も素晴らしいから、第一集の前奏曲集中でも、最も有名な曲となって、ドビュッシーのピアノオムニバスでも、仏ピアノ曲集においても必ず取り上げられる有名曲となって今に至るのである。

18世紀末から19世紀初頭に顕著となった・・・ケルト系の民話・民謡の収集活動に刺激され、影響され、興味を示したのであろうか、またブリテン諸島からヨーロッパ大陸に渡ってきた「ブロードサイド」が伝える奇妙な昔話に興味を持ったのだろうか、「ヘルダー」や「ロバート・バーンズ」「セシル・シャープ」の詩集や曲集を読んだのだろうか。

ともかく「ルコント、ド、リール」がケルトの地、「スコットランド」あるいは「アイルランド」の「オールドバラッド」を何らかの方法で読み解いたことは想像するにたやすいことだろう。

彼は見知らぬケルトの国の民話の妖精やバラッドに登場する人物像などを「あどけない少女」のイメージとシンクロさせることによって、この詩を完成したと推理することは可能である。
ヨーロッパ大陸の人たちにとって、ブリテン諸島はある種幻想の土地であり、日キリスト教の社会が長かった土地で、妖精の国、自然神の国・・いわば異宗教異民族の異国であろう。
それは古代ギリシャローマへの憧れとリンクするように、しかももう少し身近な存在であったに違いない。

かのベートーヴェンでさえ、アイルランド、スコットランド民謡をモチーフとした曲を50曲以上書いているし、有名な7番の交響曲の終楽章にもアイルランド民謡を用いている。

さてドビュッシーはといえば
・民謡を主題とするスコットランド風行進曲(1894~1908)
・ヒースの茂る荒地(ヒースとはイギリス北部、アイルランドなどにおける荒れ地、そして植物のこと。ホルストは、「エグドン・ヒース(Egdon Heath)トマス・ハーディをたたえて」を作曲しており、それは、エグドンにあるヒースの茂った荒野である。ヒースは英国の荒地に生える小低木。なお、one's native heath という表現が英語にあり、生まれ故郷という意味である。)
・ピックウィック卿をたたえて(ディケンズの小説より、イギリス人の揶揄→UK国歌)
・亜麻色の髪の乙女
・沈める寺

探せばもっとあるかもしれないが、上記のように「ブリテン諸島あるいはケルトに関連する曲」を作っている。

着目すべきは「民謡を主題とするスコットランド風行進曲」で、そのものズバリ、ケルトの民謡を行進曲風にアレンジして作ったもの。
ここにフランス人ドビュッシーの、異国・・・ギリシャローマ以外、「ケルト」に思いを寄せるかのようなところを垣間見ることが出来るのではないか。

小生は以前から「亜麻色の髪の乙女」が「ホルスト」の組曲「惑星」の「ジュピター」のブリテン諸島の民謡風の旋律と類似していることに着目していた。
このことは今までどなたも指摘してこなかったことであるし、客観的な楽曲分析の能力も無いから、小生の「耳」がそういっているだけではあるが、両者で使われている「モード」・・「旋法」は、遠く古代ギリシャローマに通じ、ケルト民謡の基本ともなる、いくつかの旋法をとうして重なり合い、ミックスされているように思うのは、小生だけであろうか。

また連なって上昇下降するそして互いに呼応するような、そして美しい旋律は、なんとも類似しているように思われて仕方が無いのである。
ここに小生は
ドビュッシーとホルストが共通して使用した音楽的素材に、ブリテン諸島に口述されて伝わってきた古謡・・・「ケルト民謡」の存在が見えるのである。

そして、亜麻色とは麻布を織るために収穫した麻を束ねて干すうちに、色合いが変化しえもいわれぬほどの光沢を帯びた輝く黄色に・・・ちょうどわが国でもかつて見られたような収穫直前の稲穂が黄金色に輝く様のように、美しく・・・・少女が少し大人に変身していくような様子に例えて歌われたものではないのだろうか。

「亜麻色の髪の乙女」はスコットランドの美少女・・恐らく12歳から・15歳くらいまでの年齢層の少女で、あどけなさと、女としての色気が少し出てきた頃。
そんな少女に対する憧れと思慕の念を、「ルコント・ド=リール」は叙情詩的作品に仕上げ、それをドビュッシーが、自ら憧れと幻想を抱いたであろう「ケルト」・・・「スコットランドの乙女」への想像を膨らませて音楽にしたためた。

それにしても「リール」の詩はなんとプラトニックなのだろう。

ちなみに
原詩の邦訳は以下のとおり。


ムラサキウマゴヤシの花畑で
歌うのは誰? この冷たい朝に。
それは亜麻色の髪の乙女
サクランボ色の唇をした美しき乙女
夏の日がさし、ひばりとともに
愛の天使が歌った

神の気配をたたえた君の口もと。
ああ可愛い君、キスしたくなるほど!
長いまつげ、きれいなお下げの乙女よ
花咲く草原で、おしゃべりしないかい?
夏の日がさし、ひばりとともに
愛の天使が歌った

ノーと言わないで、つれない君よ!
イエスと言わないで! 
ああ君の大きな瞳、薔薇色の唇を
ずっと見つめていたいから。
夏の日がさし、ひばりとともに
愛の天使が歌った

さようなら鹿よ、さようなら兎、
そして赤い山ウズラにもさようなら!
君の髪の亜麻色に口づけして
この身に捺したい、その唇の緋色を!
夏の日がさし、ひばりとともに
愛の天使が歌った


この詩からは、詩人の乙女に対するプラトニックな恋心の表出としか読めないが、この詩の情念的源を「スコティッシュ・オールドバラッド」として読み解くと、また違ったものが見えてくる。

四行詩という形式を保持していることからも、伝統的な「バラッド」といえそうだ。
「ムラサキウマゴヤシの花畑で
歌うのは誰? この冷たい朝に。
それは亜麻色の髪の乙女」
上のこの部分・・・問いかけと、それに対する答えの存在は典型的なケエルトのオールドバラッド形式の名残を思わせる。

大胆な推理であるが・・・・
恐らくこの乙女は、誰かの手によって殺された・・・・それを慕って、哀れんで、偲ぶ歌が原型にあったのではなかろうか。

それは
「冷たい朝に」「夏の日がさし、ひばりとともに
愛の天使が歌った」・・このフレーズで察することが出来そうだ。

冷たい朝に歌うのは、いまやこの世の人ではない少女の亡霊なのであり、すぐに去り行く、あるいはすぐに隠れてしまう、北ブリテンの夏の太陽の日差し、姿は見えないが歌声だけがいつまでも、かすかに続き、やがて天に召されるかのように、高く舞い上がっていく「ひばり」。

少女は「ひばり」となって天に召されたのだ。
「ひばりの鳴声」は、少女が生前歌っていた歌の象徴でもある。
少女は死んで、ヒバリに姿を変えて、天に昇って、天使となったのである。

母親、父親、果ては兄弟姉妹によって身内が殺されてしまう話は、オールドバラッドにあっては、かなりの数に上る。

そう思うとドビュッシーのピアノからは、ヒバリが揚ったり下がったりしながら天高く上っていき、最後は声も姿も、見えなくなってしまうようなところを感じることが出来そうだ。

ブルッフの作品に「スコットランド幻想曲」があり、小生も好んで聞くことが多いが、この曲想も「ロバート・バーンズ」の民謡集から素材を取り込んだもの、バーンズは多方面に影響を及ぼしたから、「バーンズ」、「ジェームズ・ジョンソン」の、19世紀末から20世紀初頭の当時の音楽界への影響は、少なからず存在したであろう。

ドビュッシーが、彼らの遺産に着目したとしてもなんら違和感はないし、そればかりか、積極的に取り込んだとしても、決しておかしくは無いであろう。
恐らく、ドビュッシーにとって絵画、詩など音楽以外の作品の数々は、単にそれらを鑑賞する中での、音楽的ひらめきというだけでなく、それらが生まれる情念的背景を客観的に探る中から生まれ出でる、主観的情緒の表出と思えるから、「影響を受けて」「インスパイヤされて」などでくくってしまうのは残念なことである。

ほとんどの記述が「何から」そうなった・・・などという指摘をするのであるが、「どこに」というと、とたんに言葉が詰まることが多いから、楽曲そのものとの結びつきを分析することが迫られるのであるが、残念なことに小生にはその能力が無いことが悔しいと思うこのごろである。

by noanoa1970 | 2007-04-12 10:24 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)