異形のモーツァルトも良いものだ

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ここしばらく「クラシック音楽」についてのエントリーが無いことに気がついていたのだが、しばらく放置することに決めた。。
決して音楽を聴かなかったわけではなく、文章にするのが少々億劫だったのだった。
でも、そんな気分を改めさせられるようなCDが発売となったので早速入手して聞いてみた。
世界初発だと思うのだが、旧東独か旧ソ連で録音されたと思われる思いもつかないような組み合わせによる、モーツァルトのピアノ協奏曲、しかも21番ハ長調。

そして異形の組み合わせとは、小生がかねてから敬愛する指揮者「フランツ・コンヴィチュニー」とゲヴァントハウス管弦楽団、ピアノがなんと、「エミール・ギレリス」というもの。
「コンヴィチュニー」のモーツァルトは・・・・(ベートーヴェン、ブルックナー、ワーグナーで世の知ルところが多いが)、41番の交響曲を残しており、ほとんど知られていないが12番、20番のピアノ協奏曲をエテルナに、5番のバイオリン協奏曲も・・・・モーツァルトは、わずかであるが残している。
60歳の若さで亡くなってしまったが、旧ソ連、東欧での演奏活動は多かったと目されるから、まだまだ未発掘の録音があるのを、かねてから期待していたのであるが、今回のものはその一環のライブ録音である。
1960年録音11月3日というから「コンヴィチュニー」が亡くなる2年前、ゲヴァントハウス管弦楽団楽団と来日する1年前、コンヴィチュニー58歳のときの演奏である。

録音場所はライプツィッヒのコングレスホールとされているが、ジャケットがロシア仕様になっているのには、いささか疑問がある。
旧ソ連によって音源がロシアに持っていかれた可能性があることを物語るのかも知れないが、定かではない。
「ギレリス」だからということもいえなくは無いが、ギレリスは当時から唯一海外演奏を許可されていたピアニストだったから、このジャケットデザインは何かおかしなところがある、しかしそれはさておいて、そろそろ中身に移るとしよう。
ちなみにこの当時、「ギレリス」は48歳、腕に磨きがかかってきた頃であろう時の録音である。

大手CDショップの発売予定でこのCDのことを知ったときには、いやいや・・・まあなんという物凄い組み合わせのモーツァルト、しかも21番のピアノ協奏曲だなんて。
指揮をする「コンヴィチュニー」は、日本の城の石垣のような、大きさも形も異なる石材を1つ1つ丁寧に加工していって、最後にはかみそりの刃1枚通らないような、一部の隙も無いくらいの頑丈さと、雨水が石垣内部に滞ら無いための雨水逃がしの巧み、忍者返しの施工をコッソリ盛り込んだように、一見なんでもない無骨なものと映るが、眼力を持った人物が見れば、たちまちその奥にある仕掛けの妙に気づき、「用の美」のその実態に驚くことし切り・・といった、そんな指揮者であり、言い尽くされた言葉を使えば一見「無骨」と表現しても間違いは無いだろう。(個々の音楽に言及するなら、決して一言「無骨」というだけではすまないものが多分にあるが、ここでは触れないで置く)

そんな指揮者「フランツ・コンヴィチュニー」と、世間では「鋼鉄のピアニスト」「脅威の打鍵男」等というレッテルを貼られてきて、17歳で音楽コンクール優勝の輝かしい経歴を持つ、旧ソ連ウクライナ出身の国家挙げての優等生ピアニスト、「エミール・ギレリス」の競演によるライブ録音だから、彼らが一体どのようなモーツァルト・・・しかも、あのロマンチシズム溢れたフレーズの2楽章を持つ、ハ長調21番を、どのように料理するのか、想像することさえ困難なことだから、余計に期待感が強まるのであった。

CD到着までに予想したことはというと

<予想したコンヴィチュニーのバック>
アクセントを前に持ってきて、歯切れの決してよくは無い、やや鈍調と思われるようなリズム処理。
ビブラートを極端に抑えた弦セクションの音色。
テンポは恐らく中庸(アバドとゼルキン)よりやや遅めで、終始一定の速度を遵守する。
交響曲で顕著なコンヴィチュニーアゴーギグを極わずかに抑える。
裏方に徹してソリストを徹底的に引き立て、盛り立てる。

<予想したギレリスのピアノ>
これは正直言って、予想がつかないから、聞きなれたベートーヴェンのソナタのピアノがモーツァルトにも出るのではないかと、不安感があった。
モーツァルトの快活さと、陰鬱さ、洒落っ気と気難しさが刻々と変化するさまを、ギレリスがどのように表現するのか。
カデンツァとアインガングをどのように弾きこなすか。(まさか、サージャントとシュナーベルのカデンツァのように、まるでJAZZのような21番となることは決して無いだろうが)
とりわけ2楽章の「例のメロディパート」を・・・他のモーツァルトを得意としていると思しきピアニストで、小生が聞きなれている・・・グルダ、ゼルキン、カーゾン、カサドジュとの違いはどこにあるのかが気になったことであった。
とりわけ、コンヴィチュニーとの相性というか、ベートーヴェンでは音楽の作り方が近似値関係にあるように思えたので、それが◎と出るか××となるのかも、少々怖い推理であった。

・・・・続く
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by noanoa1970 | 2007-04-09 17:56 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)