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根来隅切り膳

懇意にしている滋賀県長浜の骨董店で入手したもの。
小生のために「うぶ出し」といって店の奥から取ってきて見せていただいた。
その頃小生は、ある目的の為に、古い食器の数々を探していたのだったが、塗りの膳も同じように探していたから、店の主人はこのことを覚えていて、どこかの蔵から出たてのこの品を見せてくれたのだった。
朱の色と黒との漆の塗り重ね、薄い布が挟みこんであるということ、見た目よりも軽いこと、隅切りの形などから類推して、江戸初期から中期のものであるという。

十膳揃っていて、いかにも古そうな箱に入っていた。
もしも、この箱と中身が同じ時代のものならば、江戸時代初期の貴重なものであろう。
「入れ物だけでも価値がある」、「根来膳を仕入れたと聞きつけた骨董を生業とする仲間が遠くからやってきて、お客に頼まれたらしく、欲しいといわれたが同業者には渡さなかった」とも言う。
まるで「小生のために仕入れてきた」といわんばかりだったことも手伝って、値段を聞くと思ったよりも安かったので迷わずにに入手した。

根来塗り発祥の根来寺(ねごろじ)は、和歌山県岩出市にある新義真言宗総本山の寺院。山号を一乗山と称し、一乗山大伝法院根来寺と号する。本尊は、大日如来、開山は覚鑁(かくばん)である。
平安後期に高野山で修行し、勢力を持った覚鑁であったが、反対勢力と対峙し、やがて和歌山に寺院を移転した。室町時代末期の最盛期には多数の宿坊により、大宗教都市を形成し、寺領72万石を数え、根来衆とよばれる僧兵1万余の軍事集団を擁した。
また、根来僧によって種子島から伝来したばかりの火縄銃一挺が持ち帰られ、僧兵による鉄砲隊が作られた。生産地の雑賀の鉄砲隊とともに織田信長、豊臣秀吉に抵抗するが、天正13年(1585年)秀吉により、大師堂、大塔など数棟を残して焼討ちされた。江戸時代には紀州徳川家の庇護のもと一部が復興された。

この膳が、いずれかの紀州徳川の時代のものであるとすれば、その価値は高い。
箱の開け口裏には、「大町村」と読めるような文字が書かれているが、小生には判読できない。

根来の特徴のひとつに、朱色の漆の下に塗られた黒漆の黒が、長年の使用の間に擦れてきて、研ぎだしたように、朱に黒が浮き出したなっていることが強調されるが、これなどは室町期の、極古いものだからであると思う。
しっかりした漆塗りは、長年の使用にも十分耐えうるから、業とらしく黒漆を浮き立たせるのは、現存する数少ない室町期の作品を模した、現代作品に多いものだ。

写真のように黒漆の浮き立ちは膳の四隅・・・すなわち膳を重ねたときに膳の脚と接触して、擦れるところにとどまっていることを見れば、案外本物であるのかもしれない。

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by noanoa1970 | 2007-03-16 09:30 | 骨董で遊ぶ | Comments(0)