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ヴォータンは何故片目なのか・・・2

「ニーベルングの指環」は北方ゲルマン神話を題材にして書かれたオペラである。
そして、その時代背景は、恐らくではあるが、「ゲルマン民族の大移動時期」にさかのぼることが出来るのではないだろうか。
つまり、375年の西ゴート族の帝国侵入から、774年のフランクによる統一までの長い歴史の一駒を、「サガとエッダ」の神話が語るのである。
その脈絡は連綿と続き、
「トリュムの歌」「スキールニルの歌」「ヴェルンドの歌」「フンディング殺しのヘルギの歌」「レギンの歌」「ファーヴニルの歌」「シグルドの短い歌」「ブリュンヒルドの冥府への旅」「アトリの歌」「ハムディルの歌」「ヴォルスング・サガ」、「ニーベルンゲンの歌」などがその主なもの。

「ニーベルングの指環」は「ニーベルンゲンの歌」をメインとして、中世の「ニーベルング伝説」と結合し、様々な逸話をちりばめて作られたもの。
そして、「ニーベルンゲン伝説」は本来 『エッダ』の中に書かれている北欧に伝わる断片的な伝承で、それをまとめて ひとつながりの物語にした13世紀頃の『ヴォルスンガ・サガ』、同じ頃に成立した、キリスト教化したドイツの抒情詩『ニーベルンゲンの歌』、それらをアレンジしたもの・・・それがが19世紀のワーグナーの歌劇『ニーベルンゲンの指輪』である。

大胆にはしょれば、「ゲルマン民族」が「フン族」に終え荒れて移動を始めたころから、徐々にキリスト教文化に支配されていった過程を一部描いているといっても外れないであろう。

遊牧民であるゲルマン民族の大移動・・・すなわち敗北による逃走を強いられたのは、同じ遊牧民の「フン族」(アジア系遊牧民とされる)の鉄製の武器と馬による脅威であったのだろうと想像される。
青銅器文化のゲルマン民族では鉄製の武器と機動性のある「馬」による軍隊に勝てるはずも無く、ヨーロッパ各地に追いやられていった。イギリス半島には「アングロ人・サクソン人」が、スカンジナビア半島には「デーン人」が、アイスランドには、所謂ヴァイキングが、そしてある種族はフランスやイタリアに流れた。

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このとき「スカンジナビア半島」そして「アイスランド」に逃れた種族が残した物語が、アイスランドに「ノルン語」で残したのが「サガ・エッダの物語」である。
「オーディン」という神格が出現することになるのだが、オーディンは片目である。
小生はオーディンが隻眼である理由を「知恵の泉」との交換ではなく、「フン族」(アッチラ王に代表される)との交渉の結果、製鉄技術と馬をを輸入する代わりに、領土を差し出したと見る。・・・・北方ゲルマン種族の王は、こうして戦いの知恵、すなわち鉄の武器と馬を手に入れ、製鉄技法の「タタラ」と「鞴」の熟練工の象徴として隻眼となったのを、「知恵の泉」の話、すなわち、「片目と知恵の交換」の話へと変容して行ったのではないかと推理する。

ちなみに北方ゲルマンの本拠地「スエーデン」の北部の都市キルナは鉄鉱石の産地として有名で良質な鋼の名産国でもあるから製鉄技法さえ習熟すれば、槍、剣、盾、矛の製造は容易であったであろう。

以上のように、オーディン=ヴォータンが隻眼である理由を、小生は「青銅器から鉄器への移行」にともなう革新技術輸入と、その代償としての「黄金」と「土地」の提供の契約を「フン族」の王族と行った結果のことだったのではないかと思うのである。

by noanoa1970 | 2007-01-09 10:38 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)