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10年ぶりの邂逅・・・3

加川の、このところの共演者として「すぎの暢(のぶ)」という男が気になるが、彼のHPを見つけたので参考しされたい。
「すぎの暢」HP
小生は「ラップスチール」という言葉をはじめて知るところとなったのだが、「ラップ」とは歌唱法ではなく「膝」の意味。ラップトップPCという呼び方が過去にあったが、その「ラップ」のこと。すなわち膝において演奏する「スチールギター」である。
このあたり「ブルーグラス」で使う「ドブロ」の発展系と見ることができそうだ。
「すぎの」は、ピックアップとシーケンス・・シンセサイザーを使うものと、アコースティック(PA経由)のものを使い分けていた。

小生は「すぎの」の演奏を初めて見聞きしたのだが、彼のテクニック・・・というより、ほぼ即興に近いであろう、その音楽を作り出していく感性に、非凡な才能を大いに感じた。

「加川」が、どの曲を最初に持ってくるのかも興味があって、「水」=「アイ&アイ」との推測は外れたものの、
「レゲーの・・・・」で始まる「贈り物」を持ってきて、序奏では「すぎの」のラップスチールを、
スピーカーユニットのコーン紙がエッジをこすり、そしてボイスコイルが焼けてしまうのではないかと心配させるような音量のBAZ音。
チューニングによる、あるいはスライドバーによるところの、あの独特なクロマチックでときにハーモニクスさえ感じられるような・・・大宇宙的な響きに、しばしドキドキさせられながら酔いしれた。
これはソロによる「エレクトロニック・オーケストラ」と十分いえるだろう。
「ピンク・フロイド」のあの大仰な装置と比べるのはどうかと思うが、隔世の感がある。
しかし「すぎの」の音を賛美しながらも、別の耳では「加川」との受け渡しが気になり始める。

しかしそこは十分手馴れたもの、加川が歌いだすと、ラップスチールは、裏旋律を絶妙なハーモニーバランスで奏でる「楽器」と化すのであった。

これは大成功の競演!!
のっけから圧倒され次には「こっちだよ」と「高知だよ」をダジャレタところも潜む、南にすむ人への憧れと、擬似望郷の歌「高知」へと続き、小生の大好きな「ラブソング」となる。
録音では「ナッシュビルト-ン」でいっぱいの、スチールギターとピアノのバックで今日の演奏より、やや早めのテンポで曲が進行したが、ここでは感慨深そうに、思いを噛み締めるかのように、ユッタリと歌う曲調にアレンジされていて、大人の編曲の仕方に好感を持った。
贅沢だがしかし、ピアノの音はぜひ欲しいところだ。

次は小生初耳の曲、調べると「夜明け」という曲らしいが、アルバム「教訓」の「夜明け」ではない。

心配した観客の入りはざっと80%ほど。チョット見には満席と映るほど。

見渡すと、このホールの大きな特徴は2つあって、そのひとつは
天然目がふんだんに使われて作られているということである。
入った瞬間まだ新しいためか、木のよい香りがした。
そしてホール内にスモックがかっていることに少し驚いた。最初はそれを「照明」効果のアップに使うためと、思っていたが、ホールを出たロビーにもそれは立ち込めていたから、一瞬急性の「白内障」を起こしたのかと思ったことを忘れて、よく考えると、どうやらそれは木材をふんだんに使用していることから、冬の乾燥と、暖房の乾燥による木の脱水症状を防ぐため、湿気付加のためのものではないかと気づく。
照明にもそのミストは寄与していて相乗効果を上げていた。

今ひとつの特徴は「オペラコンサート会場」のように、周囲を囲む中2階がつけられていることである。ここにはざっと100席ほど収容できるようだ。
観客はこの2階部分を除きほぼ満席状態。
小生の悪い予測を大きく裏切ってうれしい誤算だった。客層はやはり40代以上が大半で、若者の姿は小生には数人しか見れなかった。

しかし何か仕掛けが・・・・多くの客の中に「桜」の存在を感じることになったのが、曲が次に移ったときのことだった。
というのは
加川が・・・・この人、口数はいつも少ないが、実際はどうなのかしら、多分楽屋などで、主催者からこの「北方町」のことを事前に聞いていたと思われる発言を2つした。
それは周囲の町がこぞって町村合併に進む中、唯一北方町だけがそれに乗っからずに、「自主独立」を通したということ。それを加川は例のごとく「あまり、このようなことを僕が言うことではないが」と前置きしてから、気を使いながらも「反骨精神の気構えある北方町民」と讃えた。

道理で、来る途中の付近の町の表記が「本巣市○○町」となっていたのに、この北方は、HPでも「本巣郡北方町」となっていた、この意味がやっと飲み込めた。

今ひとつが・・・これはほとんどの皆さんが初耳だと思うのだが・・・・
北方町はあの「高田渡」の出生地で、小学校4年生まで、この地で過ごして東京に引っ越したというではないか。
これには本当に驚きであった、高田が岐阜県出身とは聞いてはいたが、岐阜は岐阜でも、よりによって本巣郡「北方」とは・・・・・偶然なのか、そういう経緯があって北方の誰かが、すでにこの世にいない高田の代わりにと、加川を呼ぶことにしたのか?
加川もこの事実を今回初めて知ったのだそうだ。
町村合併を拒否して、わが道を行く北方市民と高田の反骨精神を、加川はダブらせたのではないだろうかなどと容易に想像できたのであった。

そんな話をしながら聞き馴れた、曲のイントロを演奏し始めるので、京都の秋は、コートなしでは寒いくらいで・・・の「下宿屋」だと信じきっていると、突然それは高田の持ち歌でもっとも有名な「生活の柄」であった。
そして小生は、このときの加川が、「してやったり」という顔へと少し変化するのを見逃さなかった。それは「高田」の持ち歌を歌うということは「北方」町民サービスであり、リスペクトの証であり、そしてそこにあるメッセージとして、小生は
「下宿屋」のイントロをそっくりそのまま高田の「生活の柄」に応用する・・・「下宿屋」と思わせておいて、そんな仕掛けをすることで、観客の「質」を見ようと思ったのではないだろうか?
加川ほどの人物だから、これまでの多くのライヴに参加した客の質を図りたい・・・そのような気持ちがあっても当然のことであると思うし、それは十分考えられる。
「ミュジシャンと聴衆の駆け引き」≒コミュニケーションは、実はそんなことから始まるような気がする。
「凄いですね」と、繰り返すように言いながら集った観客の数を表現、「僕もホールでやったことは無いことは無いんですよ・・・」との表現に、いつもの「ライヴハウス」や「喫茶店」でのライヴと異なる空気を敏感にキャッチしたに違いないことを感じたのは、小生だけであろうか?。

加川という男は、・・・長年の「生活の知恵」なのか、彼本来の気質なのか、果てまた近江商人の末裔の血がさせるのか真偽のほどは到底分かるはずは無いのだが、時々このような「仕掛け」を施すことがある。

冗談やで、冗談をちょっと・チョットだけ・・・といって「戦争をしましょう」を歌いだしたり、こんなことをしたら「フォークソング」みたいでいやになる・・・など、どこに彼の本音があるのか分からない発言をして人を困惑させ、煙に巻く。
「高田渡さんから破門された」・・・とどこかで言ったことがあるらしく、以前「これについて知っているか」という問い合わせをもらったことがあるが、これとて恐らく彼独特のシニカルな表現、あるいは「反語」のようなものだと、小生は思うのだ。

加川は高田をして、「僕にとっては歌や音楽は、高田さんで完結している」という発言をもしているから一体どれが彼の本音か分からない。
わざとそうしておくことの・・・すなわち加川が今流行の「曖昧戦略」によるメリットを、彼の歴史の中で十分知ったからだと思うところである。

こうして加川の「生活の柄」は始まり、少しアップテンポ気味ではあったが、単独で歌う加川を初めて聞く興奮でいっぱいになった。
ワンフレーズをフィンガーピッキングで弾きながら、「コーラスお願いしますよ」と観客に言う。
しかし、ここに加川の仕掛けが潜んでいることを知らない、「俄か70年代フォークファン」がいて、まんまと加川の戦術に引っかかって見せた。

「生活の柄」のコーラスといえばあの部分・・・一度でも聞いている人なら誰しも分かり、その意味は分かるし、この歌の・・・「山之口獏」の詩の内容も理解している。
なのに
後方に陣取ったある集団たちが、何を思ったのか「手拍子」を始めたのだ。
「おいおいそれは無いだろう」と、小生は苦々しく思っていると、その瞬間、加川が歌をやめギターだけを弾きながらこう言ったのだ。
「手拍子を打たれると、僕は歌えなくなってしまうんです。だから手拍子はやめー・・・」と、少し強い口調で言うのだった。
内心「よく言った」とほくそえんだ小生、すぐ、あることに気づいた次第であった。

ライヴ百戦錬磨の加川だから、たかが手拍子で歌えなくなる・・・・そんなことはありえないこと。
アウフフタクトが欲しいときだろうと、少しリズムが狂った手拍子だろうと、ほとんど関係なく演奏可能なはずである。
そうでなければライヴなどは絶対できないことになる。

また「加川独特の言い方が出たな」と思ってその意味するところを解読した。
別の言い方をしてみるとそれは次ののようになるはずだ。

『お客さん、僭越ながら、先ほど私はコーラスをお願いしますよ、といったはずです。手拍子をトは言ってないでしょ、私が尊敬してやまない高田さんのこの歌を取り上げた意味と、この詩の内容からして、ここは手拍子を打っていただくようなものではないってことが、お分かりにならないようですね、とても残念です。私の歌には手拍子を打って似合うものはほとんど無いのです。中には例えば・・・女というものは嘘つきで・・・・なんていう歌・・家女を非難する歌じゃなく、女を味方している歌ですから誤解の無いようにしてください。この歌には手拍子がキチンと入れてありますから、この歌のときこそ、手拍子をお願いします。
ほら手拍子を始めたそこのあなた達、頼まれて来てくれた人たちでしょ。
もちろんそういう方も歓迎しますがね。
できればチョットでいいから共通認識を分かち合いたいと思ってもいるのですよ。』

・・・・勿論これは小生の至極勝手な・・本人の意思や意識とはまったく関係ない想像なのだが、小さなライヴ空間と、ホールでのコンサートの違いが浮き彫りされた瞬間でもあるような気がしてならなかった。
80%の動員は、それは壮観で、主催者も、演奏者もその点だけを見れば満足せねばならないであろう。
しかし・・・である
加川ともなれば、このようなコンサートの、主催者側の仕掛けを見抜いてないはずはない。

「すぎの」そして「有山」まで演奏するライヴのチケットが@1000円。
きょう日、義理と人情で集められる、学生オケの入場料でさえ@1000円である。
コンサートの企画者、仕掛け人、主催者は、一体どのような意図で、加川良ライヴを企画したのだろう。
そのことが最初からず~っと気になっている小生である。
第2弾3弾という連続性は、果たして期待できるのだろうか?

「すぎの」は少し前から退場していて、しばらくは加川のソロとなり、板垣退助の・・・「百円札」をへて「すぎの」が再登場して、ダントツの名演と小生が思った「女の証」の開始となる。
「すぎの」の低域用らしき・・・コンコルドのような羽のついたスチールギターの第2メロディからのスタートだから、何が始まったのかと、一瞬思ったが、すぐにそれがあの曲であることを知り、詩の内容が当時とは違う重みを持ったことに気がつくのだった。
そして「熟年離婚」の文字が同時に脳裏を翳めた。
次元の異なる感動・感慨が去らないまま「コスモス」が始まり、終わる。
「幸せそうな人たち」も知らぬ間に通り過ぎ、ふとわれに返ると、まさかと思っていた「教訓Ⅰ」の例のごとくイントロなしでいきなり始まった。
「すぎの」のスチールがまるでフィドルのような音色を出し、間奏も素晴らしかった。
しかしこの曲には「バンジョー」と「フィドル」入りのブルーグラスっぽいあのオリジナルの方を、より好む小生であった。ブルーグラスあるいはカントリーバンドとでのライヴを見聞きしたいものだ。

その昔、巷では「泉谷しげる」 が歌った「春夏秋冬」と同じメロディラインの曲。
この原曲を前まで覚えていたが、思い出そうとしても出てこない・・・トラディショナルフォークだったと思う。
こちらは泉谷ほどの悲惨な青春期の歌ではなく、少し明るめにアレンジした愛の孤独の歌「ONE」

これでお決まりのアンコールとなり、「有山」が登場し3人の競・共演となる。
チンクエッティの歌の題名みたいな「胸にあふれるこの思い」が終わって、再登場。

最後の歌となるのだが、実はこの歌については特に思い入れがある。
それは3年前の息子の結婚式の最後、新郎の父の挨拶のとき、小生が用意したものが2つあって、ひとつが小津安二郎の言葉、そして後一つが加川の「流行歌」の一部を会場で流すために、いいとこ取りの3分間に仕上げたことであった。
結局「HOBOS」コンサートライヴから収録して、挨拶のエンディングとして流したのであった。

出掛けに女房は、「あのマッチ1本・・・」という歌やるかしら・・・もしやらないようなら私、大声で息子の結婚式に使った曲、だからやってよ・・・という・・と少しはしゃいでいた。
そしてライヴの終わりごろになると、やらなかったね・・・リクエストしたら・・・などと小生を即すのだった。
演目は決めてあるはずだし、共演者もいるから、そして会場が会場だけに小さなライヴハウスでビールを片手に・・・という雰囲気ではないから、本当にもうあきらめていたのだが、
イントロのフィンガーピッキングが始まった瞬間「やる!」と悟ったのだ。
最後にこの曲を持ってくるとは・・・これは2重の感激だ。

この曲は加川のライヴでは、何かいいことがあったときに歌うようであるから、今日のホールでのコンサート、北方が高田の生地、満員の観客、などなど何かうれしいことがあったのだろうと思っていた。
しかし後で分かったことなのだが、11月25日の前日は加川の誕生日59歳になったそうで、本人は一言も言わなかったが、かなり年のことを言っていたのはそのことがあったからだろうと思われた。
反応のない聴衆ばかりで・・・・勿論加川の誕生日まで小生は知らないから・・・これは失礼しました。
しかし誕生日まで知っている異様な「加川フリーク」の存在・・これにもまた怖いものがある。

「生活の柄」「女の証」「流行歌」・・・この3曲で、上級な満足感を味わえた。
クラシックコンサートとはまったく違う種類の「感動」の存在を再認識したのだった。

写真は一切撮ってないから、残念ながらアップできない。
でも隣の中年女性は盗み撮り常連のような手馴れた様子で、MDの録音機をバッグに、マイクを手提げにつけて休憩の時間にメディア交換するというなれた手際。
あまりの手際のよさと、かなり美形だったので、何も言えずにいた小生。(笑い)
しかしそんなことを忘れるほど、内容の濃いライヴであった。

以上で「加川良コンサート」の概況を終わることにしようと思うが
大事なことを書き忘れたので追加する。

加川の風貌は10年の年月を感じさせないほどまだまだ若々しかった。
同じ年の小生としては、非常にうらやましい。
声はというと、前日にもライヴをやったせいか、年のせいなのか、往年の艶が少し無くなりつつあるようだ、しかし声量にはほとんど変化が無いように思えた。
興味の中心、使用したギターは、金沢で使用していたマーチンWOOシリーズ・ヴィンテージではなく、YAMAHAモデルであった。

姿格好は小生のYAMAHA・LDモデルと同じに見えるが多分特注だろう。
マーチンは「有山」」がD-18・・恐らくヴィンテージ・・を使用していたが、頻繁に調弦していた。
金沢でW00を使用した加川も頻繁に調弦していたが、今回調弦は見られなかった。
それだけYAMAHAのモデルの精度がよいのだろう。
カポをはめると多少の調弦が必要になるし、冬場は特に音程が狂いやすいから、調弦が必要になってくる。
しかもチューニングに非常に神経を使う加川のこと、
・・・しかし小生は、今回調弦らしきものをしたのを見ることは無かった。
長年の経験の結果、わが国の風土環境気候にあった楽器を求めるに至ったのだろう。
マーチン独特の艶の乗った音ではないが、とにかく安定した音で、低音から高音まで破綻無く
きれいな音を響かせていた。
このあたりどうもYAMAHAのピアノにも共通した音作りがあるようだ。

小生も国産モデルを選択しておくべきであった。
ネックのソリで絃高が高くなったのを修理したら、極端に音の響きがなくなってしまったし、フレット間隔が長いのか、ネックが少し長すぎ、ボディが大きすぎて小生には合ってないようで、YAMAHAのモデルのほうがはるかに弾きやすい。

by noanoa1970 | 2006-11-27 22:38 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(1)

Commented by drac-ob at 2006-11-27 18:49 x
読みごたえあるライブレポートお疲れ様でした。有山とすぎののギターが聞きたかったですね。宮崎では加川御大ソロで、それはそれなりに味があったのですが、この面子で1,000円はダンピングです。セットリストはあまり変化がないようですが、コメントがいかにも加川良ですね。想像して思わず笑ってしまいました。身内っぽい人達は加川組というファンクラブの人達でしょう。日本全国追いかけてるようで、それはそれでいいのですが"Do in Rome as the Romあns do!"と言いたくなったのは、私だけではなくて安心しました。