10年ぶりの邂逅

昨夜25日、岐阜県本巣郡北方町の「生涯学習センター・キラリ」で「加川良」のコンサートがあった。
彼のライヴは、金沢に単身赴任中に偶然知ることとなった、大学の1年先輩M田さんの店、石引の「ジョーハウス」が閉店になるので、愛好感謝記念に行われたもの。
M田氏は「加川良」、「高田渡」そして「西岡恭三」と3つのコンサートを企画したのだった。運良く小生は高田と加川のコンサートに参加することができたが、加川のライヴはそれ以来のことだった。

開催場所のホールの情報はネットでは情報が乏しく、行きかたもままならないし、連休を挟む土曜日の交通を考えて早めに家を出た。
散歩を欠かせない犬のためと、せっかくだから周囲の町並みや商店街でも探索するつもりで、お昼前には出発したのだ。

北方近くの町までどうやらたどり着くと、道路標識の下に取り付けられてある地名看板が「本巣市」○○町としてあるのに気づいた。行き先のホールのある場所は確か「本巣郡北方町」となっていたのだが、例の市町村合併のため、呼び名を変えたのだろうと思い、特にそれ以上詮索することなく目的地に到着。

途中2箇所の道の駅によって、この地方の名産「柿」を入手。
赤子の頭ほどもある、今まで見たことも無いような大きさの富有柿が安価であったが、さらに安価なものを・・・それでもスーパーでは@150円はしていると思われるものを入手した。
7個ほど入って300円、格安すぎて申し訳ないような気がする。
さらに157号線北に向かう・・・この国道は岐阜と福井を温見(ぬくみ)峠を経由して結ぶ難所の国道だ。
その先は「薄墨桜」で有名な根尾谷に入っていく、揖斐川の大きな支流である根尾川は、鮎の名産地でもある。
小生は昔F・F・・・fly fishingをやっていた折には、この道を、ほとんど福井県境まで出かけていたから、越前大野へと抜ける交通の難所をよく知っている。
一度金沢から普通乗用車でこのルートで帰省したときには、何度か危ない目にあった。
今の時期なら「熊」が出没するかも知れない。
峠付近は数件の民家があったが、今はどうなったのだろう・・・廃村の雰囲気を感じるところだった。そこを流れる小さな渓流では「岩魚」がよく釣れた。

2つ目の道の駅は、車がたくさん停まっていて盛況。
どうやら紅葉狩りを楽しむ行楽客のおかげであるようだ。周囲の山はもうすかっり、錦の着物を纏っている。
売店の横に戦国時代の、「凱旋門」のような大きな「城門」があり、その脇の建物には「織部の里」と書かれた看板があった。
何故に「織部の里」?ここはどちらかといえば中農か北西農にあたる地域、「織部」はその発祥を「東農」地方であるから、何故にそのように名乗るのかと不思議に思って、受付にいた責任者らしき人物に「ひょっとして「古田織部」に何か関係あり?と問うて見ると、どうやらこの地区で「古田織部」が誕生し、幼少の時期を過ごしたという答えが返ってきた。

そこで少し意地悪く「織部」の古いもの、あるいは「古田織部」自身の作品の展示は?と聞くと、少し答えにくそうに、前は置いてあったが、現在は岐阜県の博物館においてある・・・などという。
入場料300円だが、もし古いものを展示してあるのなら、見学しようと決め手のことだったから、即座に入場をやめた。
よく見ると看板には、入場料300円・・・だが、この中からお好きなものを1点差し上げますと、織部焼きの椀、ぐい飲み、皿が3点展示してある。
これを入場の記念あるいは、お土産と見るのか、展示品がプアーなので、これで300円の帳尻を合わせようとしているのかよく分からないが、とにかく「織部の里」などという紛らわしい表記はやめて「古田織部出生の地」としたほうがよいのに・・・と思った。

長くなったが、何故この話をしたかというと、それは「加川良」のコンサートでの出来事の「前振り」になると思ったからである。

そんなこんなで、駐車場の心配もあったから、開場18時、開演18時半というのにもかかわらず
開場の駐車場に15時半に到着、このまま待ってもしょうがないので、犬の散歩を済ませ、犬の食事を済ませてから、付近を散策しながら、歩いて15分ほどの大手スーパーで軽い食事をとることにして、戻ったのが17時。
あたりはスッカリ日が暮れているが、風も無くさほど寒くない。

チラホラと車が出入りするようになったが、まだ1時間あるから、しばらく車の中で仮眠しようと思っていると、だんだん車の量が増え、スタッフらしき人が通行案内用の赤ランプを持って行き来始めた。
ホール入り口まで様子を見に行ってきた女房が、20人ほど並んでいるという。
PAを使うことだし500人ほどのホールだから、どこでもいいと思いつつも、小生には2つ気になることがあった。
1つは10年時を経た加川の「風貌」の変化。
そして加川の使用するギターである。
金沢では「マーチンのW・00」・・・Dシリーズとは違い丸い優美な・・・女性のお尻を連想させるような形のモデルである。

眼底出血を起こしてから、また視力が一段と衰えたから、それらを観察するためにはやはり前列をキープする必要があったから、1時間並ぶことを選択した。

遠方から来たのか?このホール、初めてのようで、最前列で並ぶ5人ほどの中年の集団が大きな声で話すから、聞こえずして聞こえてくるのだが、どうも何か分け合って最前列をキープするための算段をするかのように、ホールの入り口やホールの形状を盛んに気にしている。
何でも彼らは15時に来て、交代で並んでいるという、そして17時を少し回った頃、そのうちの一人の女性が、どこかに行って戻ると、やはり大きな声で「6時前に開場すると係りの人が言ったから」という。
どうやらこの人15時から並んでいることを訴えて、規定の18時より前の開場を迫ってきたと見える。
そうしているうちに開場の関係者が来て、「開場を18まで延ばすつもりはありません。」と叫んで回ってくる。

また・・・「当日券をお求めの方は、ここでは扱いません、当日券は角を曲がって少し行った事務所で発売しています」とも叫ぶ。
なるほど当日券が余っているということは、客の入りが心配だと、内心思いながら、列の後ろを見ると、およそ100人ほどの並び。
これなら300人は入るだろうと、小生の少ない経験ではあったが、推測してみた。
民間や学生のイヴェントではないから、席以上の枚数のチケットを流通させることは無いはず。

危険だが手馴れてくるとよくやる手段・・・30%増量チケットを流通させることがあるのが常だ。
上手くいけばこれで80%以上の動員率を確保することが可能になる。しかし読みをはずすと、補助いすが許可されるところはよいが、消防法の厳しいホールではそれがままにならないから、立ち見となってクレームがつく。

学生時代文連主催でやった「学館ホール」での「浅川マキ」コンサートがその典型。
泡を食った顔見知りの幹部が飛んできて、座席の確保ができないから、文連に属する連中は席を立って立ち見にしてくれ、そして5人ほどに声をかけてくれという・・・そんな事件もあった。
一体やつら、どれだけの増量チケットを流通させたのだろうか?
全国の大学での淺川のコンサートの動員数などのチェックをしたのだろうかと、欲に目がくらんだやつらを哀れに思ったこともあった。
うれしい悲鳴・・・といって、学生だから済んだことだった。

どうやら冬の夜空の下、中高年を気遣ってのことで、ありがたい配慮ではあるが、ものにはルーールというものがあって、パンフにもチケットにも「開場118開演18時半」と明記されているにもかかわらず・・・自分達の都合で早く並んでいる人たち・・・・席がなくなるわけではないのに、上席に座りたいという願望のために・・・いわば自己都合のために自分で選択した方法なのだから、放っておけばよいし、17時半に来たらもう開場されていた・・・なんていう、そして主催者が官庁の出先機関だけに・・・・逆に民間ではありえないことだと、少々心配したが、結局30分早く会場となった。
こういうところがよくも悪くも、所謂「田舎文化」なのであろうか。

よかれと思って実施したことが裏目に出ないことを願って、小生もその配慮に甘えることにして、正面の2列目・・3列目がベストであったが1列目は例の集団が、3列目は前に並んだ人たちが占有したためほぼベストの「よい席」を確保できた。
[PR]

by noanoa1970 | 2006-11-26 12:28 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)