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蕎麦にまつわる話

10年ほど前、小生は長野県の南にある乗鞍岳の麓の村・・南安曇郡奈川村の農耕地つきの小さなハウスを借りていた。
それまではその地へは、釣りとキャンプを楽しむために頻繁に出かけていたのだが、荷物の上げ下ろし、テントの設営と撤収の労力を考えると、さすがに疲れるので、村人から新しい農業体験施設ができると聞いたので、応募してかなりの倍率をかいくぐって見事入居することができた。
今思えば選考には小論文が必要であったから、それにかこつけてそのときすでにその村に通うようになってから10年以上たち、村人とも顔見知りとなっていて、小生の名前も知られることとなっていたから、村役場の人、あるいはその関係者の誰かが、安全・安心なお買い人の一人として小生を推薦してくれたのだろうと思っている。

ほかに15家族が第一期入居となったが、そのうち何名かが、小生同様昔からこの村に来ていた人、後は有名な会社のそこそこの地位の人、学校の先生など、所謂問題を起こさないような小市民的人物ばかりを選考してあった。
公募が建前であるから公平ではないが、村の立場からすれば至極当たり前のこと、まして村人とこの先何らかの交流もしていくのだから、厄介者はお断りするのが当たり前である。
おりしもちょうど世の中を震撼させた「新興宗教」問題があったから、なおのことだったはずだ。

小生は生まれつきの怠け者だから、本来農作業用の60坪ほどの土地を、日当たりが悪く、ろくな農作物が育たない・・・これは懇意にしていた村のおじさんが言った言葉である・・・のを理由に、少しでも農耕地を狭くするために、十文字の通路を作って、「イングリッシュ・ガーデン」きどりで主に自然の植物に頼り、料理用にハーブを数種類植えた。
しかしさすがに気が引けて、あいている土地にジャガイモとトウモロコシを植えた。

周りが大きな木々に囲まれている小生の場所では、ほかの皆さんがやっている葉物は育たないが、ジャガイモは今まで食べたことのないぐらい美味しいものが収穫でき、場所によってでき不出来はあったが、トウモロコシは甘く、生でも食べられた。
ハーブも野菜もその花は美しく、気候のせいだと思うのだが、冴え渡る「赤」は、都会いや下界ではお目にかかれないものだ。
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そんな山村生活の中、この地の「蕎麦」は素材にこだわる蕎麦職人の中で、茨城の金砂郷や戸隠以上に隠れた名品といわれていて、かなり有名な蕎麦職人が蕎麦を分けてほしいといって来村するという話を聞いた。
しかし収穫量がさほど沢山ではないので、毎回断っているという。
大阪フィルのオーボエ奏者で、奈良の古い酒造所の離れを借りて蕎麦懐石を提供する人も、ここを尋ねたというし、東京の議員会館が建っている地の有名なそば屋からも引き合いが合って、小生の知り合いのおじさんは、その店に自分の畑で収穫した蕎麦を提供し、自分で収穫した山菜や季節の野菜、漬物を定期的に送っているという。
東京に住む小生の知人がその店に行って蕎麦を食べてきたので、様子を聞くと、笊そばに赤カブのつけものだったか蕨の煮つけだったかがついて3500円だったと、東京人も驚く値段で、その業界の接待用の店だろうと言っていた。

そういう店でさえ、よい蕎麦を仕入れるために季節によってあちこち・・・北海道から九州まで、全国の優れた産地のものを分けて仕入れなければならないほど、国産のよいそば粉は入手困難である。
われわれが「そば」といって食べているものは、十中八九北米あるいは中国のものであろう。

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それで次の年、それでは自分で蕎麦を育て、できたものを自分で・・・蕎麦打ちして食べようと、共同の農地を借りて栽培に着手した。
この地では通常「北早稲」という品種を主に使って撒く。
このことを小生の知人でサラリーマンからそばの道に入った忍者○○君は・・・小生は「ハッタリ君」と読んでいた・・この男は会社にいたときから大言壮語が激しい人間で、蕎麦好きが講じて蕎麦で生計を立てることはいいことなのだが、ほとんど蕎麦以外の「食」を知らぬ男であった。それがいつの間にか本を出し、そば教室を開き、マスコミに登場するにいたって、いまや蕎麦の業界では時の人となった、しかし小生の目からは、この男「食」の世界ではまだまだ通用しないと写る。

小生に言わせれば、失礼だが「蕎麦職人」ほどたちが悪いものはいない。
まともな蕎麦が打てるようになっただけで、もう自分は一流の蕎麦打ちであると思い込むふしがある。
数年蕎麦打ちを勉強しただけで、教室を開いて弟子を持ち、弟子から先生先生といわれるから、自分が「食」における一流の達人にでもなったものと錯覚するのである。
小生に言わせれば、「蕎麦」の職人の大いなる欠陥は蕎麦以外の「料理」を知らないこと、料理の基本を知らないことである。

まともでない天麩羅、味も素っ気もない出し巻き卵、今では誰でもやっていてその不手際に気づかない「蕎麦のかりんとう」「蕎麦の揚げ物」「蕎麦チップス」・・・こんなものを安物の油で揚げて蕎麦を食べる前に出されたら、口の中がまずくなるのがまったくわかってない。
頃合の見はかれない蕎麦湯のタイミング、などなど
そういう店に限って蕎麦の食べ方を講釈するからいやになる。

一人1万円を平気で取る蕎麦懐石の店も、向こう付けで出るのは「マグロのカルパッチョ」
そば粉=蕎麦の挽き方はいろいろあって、蕎麦の産地にもこだわりを見せ、蕎麦の挽き方でも石臼云々言うのはよいのだが、例えば引きぐるみと更科を同じ切り方で、しかも同じ蕎麦つゆで食べさせているところの多さといったら数ええ切れないことだろう。
いまやあのラーメンでさえスープと麺のバランスを・・・大いなる勘違いはあるにせよ・・・ベスト状態でとろうと努力しているというのに、蕎麦ではなかなかその問題に気づかない。

外形的こだわり=ごまかし に終始しているように思えてならないのである。
時々寄る長浜の蕎麦屋では、このことに気づいたのではなく、単純に関西人と関東人の来店比率が同じようになってきたことから、昆布ダシのつゆと鰹ダシのつゆを用意し、客にチョイスさせるが、ここの蕎麦は福井越前産で、割と太めであり、引きぐるみなのか色が越前蕎麦独特の青みがかった鉛色、恐らくそば粉65%ほどであろうから、そばつゆは色の浅いもので、味の濃いめのもの、それをやはり「辛味大根」で食べたいものだが、そんなことまでには気を使わない。
しかし蕎麦つゆを2種類作りチョイスしてもらうというやり方は評価したい。
後一歩である。

話がそれたが、この「ハッタリ君」出版した「蕎麦の本」のなかで、小生の愛すべき奈川村をこう批判した。
「手軽で、早く収穫できるからといって、北早稲などの品種を使っている地元の蕎麦農家の皆さん、もっとよい品種があるのだから、ぜひそれを使ってほしい・・・と」「今のままでは蕎麦栽培農家はつぶれてしまう・・・」などと言い切った。
そして
「収穫には特に気をつけ土や小石などを入れないようにしてほしい」と書いた。
「北早稲」は小生から奈川村の情報を仕入れて、恐らくいいように解釈すれば、現状の減反政策の反発による蕎麦栽培ではなく、通の蕎麦職人が求めるような品種の蕎麦を作ってほしいとも読めるのだが、この男まったく山村農家の現状を知らないままこのようなことを平気で言い放ち、現状の山間農家を批判するから、小生は黙っていられなく噛み付いた。

自分で蕎麦栽培もやったことのない男が、自分の都合のいいように、山村の現状にも触れずに、平気で文章にして出版してしまうことの責任を取らせようと思ったのである。
「ハッタリ君」よ、いい加減にしろ!!

山間地域の農業・・・蕎麦栽培に多い山間地の農業の悩みは、まず人手である。
平野の農家の悩みは同じ人手でも後継者だが、山間地では今の人手なのだ。
若者は都会に出てしまい高齢者が70%80%を占め農地・・しかも平地ではないから農耕面積も小さく、しかもあちこちに散らばることも多い。
このため農耕機が入れる畑は限定され、収支が合わないから機械も買えない。
共同使用もままならないのである。
このため必然的に、手刈り、天火干しになるから、より数段蕎麦は美味しくなる。もちろん手で駆るから土や石ころを巻き込むことはないのである。
少量しか収穫できないが品質と味は群を抜くことになるし、この地の気候と標高がそれを助長するから、評価が高い。
奈川村の蕎麦は、幻の・・・という呼称が付きそうなほどなのだ。


このため一時に収穫が必要になるものを避けて・・・例えば蕎麦にしても早稲品種と、そうでない在来種を使い分け、労働力の分散化をしているのだ。
このような事実も認識しないでものを書いてしまうこの「ハッタリ君」に抗議のメールを送ってやったが、返事も来ない。

あるとき知人と飲みに行くと、その席に「ハッタリ男」も来るという。
いっぺんに酒がまずくなったが、我慢して割烹のカウンターで飲んでいると約束の時間を30分以上過ぎたころやってきた「ハッタリ男」、いきなり「黒」と大声で注文した。
ギネスか何かの黒ビールの注文かと思って、「この男がギネス」を注文するとは・・・と少し感心しながら出てきたものを見ると、なんとハッタリ君の注文は黒ビールではなく、サッポロ黒ラベルであったのにはあいた口がふさがらなかった。

そういえばこの男、どうしても・・・というので付き合った蕎麦懐石の店で、何品か目に出た料理に油くさい匂いがするといって、みなの前で大きな声で騒ぐかと思えば、出てきた蕎麦をズルズルと・・・・蕎麦は音を立てて食べろ・・というが、それは口内と喉越しの触感を味わうということと等しいのを知らないのか、音を立てて食べなければならないと勘違いして、ことさら激しい音をわざとらしく・・・・扉のかなり向こうの料理人にも聞こえるかのごとく・・・たてまくって蕎麦を食べ続けたことがある。

パフォーマンスだらけの「ハッタリ君」には閉口したことがあった。
こんな男がいまや蕎麦業界の時の人というから恐ろしい世の中である。

余談になるが
小生は学生時代にNOANOAというイタリアンの店をやり、自己流の限界を感じて、お城の目の前の由緒あるホテルで5年間料理をやったから、そして生来の料理好きであったから、ある程度の料理の基礎と応用はできる。メインはフランス料理だが、イタリア・和食・中国くらいは何とかできる。
今現在は料理に合う器を使っての食事が趣味である。

小生の得意技は、どこかでうまいものを食べると、レシピなどなくてもその料理を再現できるところと、新メニューの開発である。
スープスパゲッティなどは40年前にすでに実施していたり、「壁の穴」で有名となった「和の素材とイタリア麺の組み合わせなどは、それより遥か前にNOANOAでやっていたことである。
茹で上げのスパゲッティにバターを絡めてそれを壜詰めの「なめたけ」であえてノリをかけたものは、トマト味の賄いに飽きたバイト諸君の大人気であった。
富山の名産「黒作り」を使ったイカ墨スパゲッティ、「行者ニンニク」を使ったペペロンチーノ
「たぬき」までハーブで香り付けして料理はしたし、スモークサーモンにいたっては、ホテルでも経験できなかった優れものを作ることができる。しかも塩漬け方法は独特のものを開発した。

割烹のカウンターで当然のごとく話は料理へと発展し、蕎麦しか知らない蕎麦職人のこと、「料理」ということと基礎と応用の話に進んだとき、「ハッタリ男」は突然何を思ったか「蕎麦業界のマエストロ」になりたいと思っているとのたまうのであった。
マエストロの意味を本当に知って使っているのか気になり、少し突っ込むと、
要するに自身では演奏はしないが、団員を指導し訓練しながら、導きいて行き、よい音楽を作って聴衆に感動してもらう・・・・・ということ、すなわち自分は蕎麦を打ち続けるのではなく、誰かを使って単に蕎麦の世界にとどまらない「料理」の世界に羽ばたきたい・・・そのようなことを行っていることに気づいた。

あまりにも「料理」をなめていたので、一言
『一流の指揮者はすべて「音楽の基礎」を学び、自ら楽器を演奏し、そしてきちんとした教育の元で「指揮法」を学んだ人ばかりである。』
・・・・そう言い放ってやった。

するとしばらく沈黙し、やがて
「でも自分が一流じゃないと思っていたら、何もできませんよ」とはき捨てるように返すのであった。
このあたりが「ハッタリ君」であることに自身では気づいてないようだが、これ以上何を言っても無駄とわかり、割烹の・・・

その割烹は一流の料亭で修行して家を継いだ30台のまだ若いお兄さんが板いた\\長をやっていて、顔見知りとなり、小生が昔西洋料理をやっていたことも知っているから、時々面白いことをやる。
前に行ったときのこと、突き出しの食材を当てろという。それは真っ白で、食べるとさくさくし、秀でた自身の味はなく、薄味のだしと山葵、そして海苔がかかったもの。
小生より少し早く来た友人は、すでに同じものを食べていて実態を知っていたらしく、恐らくその友人と若い板前は、少小生味覚のテストをしようと思ったのであろう。かの北大路魯山人でさえ間違えたことがあった味覚だから、その困難さが脳裏をよぎって、しばらく味わったが触感は山芋類に間違いないと思うが味はまったく違う。
恐らくかなり冷水にさらしてあるのだろうと考え、そうなるとでんぷん質の多いもので、なおかつ山芋のようなぬるぬるネバネバ感がないもの。
そうなるともうこれしかない。

「ジャガイモ」と答えると、2人は顔を見合わせ、うなずくだけで何もいわない。
間違いならば正解を言うはずであるから、恐らくは小生の答えが正解なのだろう。
そして多分この食材を言い当てた人はこれまでいなかったのに驚いたのだろうと、少し勝手な解釈をしたことがあった。

・・・・そこでお返しに、やおらその若い板前にだし巻きを注文した。
カウンター越しに板前の一挙一同が目に入る。
卵を割りとき、ダシを入れ、塩砂糖薄口しょうゆを入れ、焼き用の器具に油を敷き作り始めるが、少し店が込みだしてきたようで、早く巻こうとしてあせったのか失敗し、すぐに別の卵を用意してトライするも、カウンターで見つめる小生が気になったのか、今度も失敗してしまった。
オムレツもそうであるが卵料理は火加減と、タイミングが勝負。
ついでにできるものではなく、ましてなにか焦っていると必ずしっぺ返しが来る。
料亭で修行した板前といえども、その若さがゆえに通常なら失敗のないはずのだし巻きに、2度も失敗したのである。

小生はホテル時代、宿泊客の朝食を作るため週に一度泊り込みの日があって、新人のときのその朝は4時ごろから起きて用意をし、残ったお時間オムレツを巻く練習をした。
オムレツは1個30秒もあれば巻けるが、最初はなかなかうまくできない。
時間をかけすぎるのと火加減の調整、箸使い、フライパンの扱い、卵の返し方、そのすべてのバランスとタイミングが少しでも狂うと、硬くなって「お母さんの玉子焼き」になってしまう。

泊り込みの朝その練習を繰り返し、小生の使った卵で、コッソリとゴミ箱に捨てたものは通産10ケース以上になると思う。
1ケース100個入りだから1000個は無駄にした勘定だが、それが本格的なホテルで勉強したものの特権で、そのころはオムレツをきちんと巻くために、隠れて勉強し卵を無駄にすることが可能な場所、それがホテルで、そこではそれが暗黙の了解であった。
だからレストランでの修行者とホテルでの修行者の差が出てきてしまう。
レストランでは卵を捨てるような無駄は絶対にできない。

そのようにして技術を磨いたものでも、卵と火をなめると結果はすぐに悪いほうに出る。
小生はこのことを経験的に知っていたから、だし巻きを注文し、その出来具合を見たかった。
彼は失敗したが、このことを同じカウンターにいたあの「ハッタリ君」はどのように感じたのだろうか?
いい見本を見たと思ったのだろうか?いや、あの男のことだから、自分に置き換えることなしに、ただ「無様」と思ったに違いない。
そして恐らく自分だったら、カウンターという人目にさらされる場所では、失敗の確立が高いものは絶対にやらない・・・そう思ったに違いない。
「ハッタリ君」はそういう男である。
いまだに自身で打った蕎麦を小生に食べさせたことはない。

蕎麦
常人が食べるソバではなく、国産のよい状態の玄蕎麦を、引き立て打ちたて茹でたてで食したなら、そして蕎麦切りと蕎麦つゆがそこそこのものであれば、ほとんどは美味しいものだ。
茹でて長時間おいた国産のスパゲッティを油でいため返し、ケチャップで味をつけたものを「スパゲッティ」と思っていた人に、茹で上げの火音核的トマトソースのスパゲッティを食べさせれば、100%に近い人が「うまい」ということと同じことである。
最近では素人でも本格的な蕎麦を、趣味にしている人が増えているようだが、素人職人のほうがうまい蕎麦を提供することが多いものである。
特に蕎麦は素材に贅沢すればそれが味に跳ね返る食べ物で、蕎麦打ちの技術の差が入り込むのは、極めて高いレベルの世界の話である。

ここを勘違いして、「客がうまいと評価するのは己の腕のせいである」と思っているやからが多いのも蕎麦の世界の特徴でもある。
似非蕎麦職人も問題は大いにあるが、客にも大いに問題がある。
「料理」がわからない小集団の・・・これを「馴れ合い」という。

「蕎麦」という食べ物・・・特に蕎麦切りは、それだけで「食事」あるいは、おなかを満たすものではない、ということをわきまえておく必要がある。
したがって提供する側は、「料理」あるいは「食」としての蕎麦の提供の仕方をもう一工夫しなければならないだろう。

by noanoa1970 | 2006-11-20 14:26 | 「食」についてのエッセイ | Comments(1)

Commented by drac-ob at 2006-11-20 22:48 x
一気に読ませて頂きました。これまでのエントリーで料理や器に造詣が深いのは知ってましたが、まさか本職の料理人であったとは。お見それしました。
ところで、この忍者「ハッタリ」君みたいな人、あちこちにいますね。今は亡き景山民夫がまだ「新興宗教」にたぶらかされる前のエッセイに出てきた「究極くん」を思い出しました。