ブリテン諸島の音楽

女王「エリザベス」というと、エリザベス王朝の基礎を築きあげたあの「エリザベス一世、そして現UKの女王「エリザベス二世」の存在を思い浮かべることができる。
しかし「女王メアリー」というと、名前はなんとなく聞いたことはあっても、いつの時代で、どのような人物であったか即答できる人は、そうはいないだろう。

小生などは、恥ずかしながら、「メアリー女王と、マリー・アントワネット」をごちゃ混ぜに思っていたことさえあったほどなのだ。

「ヘンリー・パーセル」というイギリスの音楽家・・・・イギリス音楽の元祖とでも言うべき作曲家は、「メアリー女王」の時代に、宮廷音楽家としてヨーロッパ本土の作曲技法を積極的に取り入れ、その才能を遺憾なく発揮した人である。
後に「ブリテン」は「ヘンリー・パーセルの主題による変奏曲とフーガ」を、パーセルのオマージュとして作曲した。
彼は、いわばイギリス音楽の「父」として尊敬、崇拝される人であることは確かなようだ。

今まで「ブリテン諸島の近代音楽」として手持ちの音楽を聴いてきて、まだまだ聴き残しているものもあるのだが、このあたりで一応の締めとする前に、「元祖」である「パーセル」に敬意を表紙、彼の音楽で閉めたいと思って、レコードの棚をあさって取り出したのは、「妖精の女王」、「インドの女王」、そして本日取り上げることにし「メアリー女王誕生日のためのオード」、そして「メアリー王女葬送のための音楽」である。
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しからば、「パーセル」が彼の音楽をささげた、「メアリー女王と」はいったいいかなる人物なのであろうか。
英国の歴史において有名なのは、メアリー(Mary Stuart, 1542年12月8日 - 1587年2月8日)で、彼女は「スコットランドの女王でもあり、スコットランド王ジェームズ5世とフランス貴族「ギーズ公」・・・初の映画音楽としてサン=サーンスが作曲した劇伴音楽としても知られる、あの「ギース公」の王妃メアリー・オブ・ギーズの長女で、内乱でエリザベス1世の元に逃れた。メアリーはイングランド各地を転々としたが、イングランド王位継承権者であることを主張し、またエリザベス廃位の陰謀に関係した人物とされる。メアリーはロッホリーヴン城に移され、7月26日に廃位させられ、結局1587年2月8日処刑されることとなった。

「エリザベス一世」との間後継者争いに敗れた人だというし、「パーセル」が活躍した年代・・・ヘンリー・パーセル(Henry Purcell、1659年9月10日?-1695年11月21日)と100年近く時代が違うので、この「メアリー」ではないことが、調べるとわかった。
彼女は権謀術数、巧みな外交、男を操るすべを心得、戦乱の世を生きた女性で、「流血の惨事」をも起こしたとされ、小生も好みの、ウオッカとトマトジュースで作った飲み物・・・「ブラッディ・マリー」・・・血まみれのメアリー・・・は彼女からとられたとも言う。

そうなると「パーセル」が信奉したという「メアリー」はこの人物ではなく、さらにもう一人存在することになる。
さらに調べると、「メアリー二世」という人物の存在があることがわかった。・・・・これだから西洋史は難しい。

「メアリー2世」(Mary II of England, 1662年4月30日 - 1694年12月28日)
出典は覚えていないが、昔読んだ書籍で、確か「パーセル」は「メアリー」を慕うがごとく、その死亡年月日までが同じであった・・・などという記述があったことを覚えていて、小生は、「パーセル」が「メアリー」を慕うあまり、彼女の死を嘆き悲しんで、後追い自殺したのだろうと、そのとき思ったことがあった。

この時代のデータは信用できかねるところもあるので、なんともいえないが、「パーセル」が「メアリー」を慕っていたことは、彼の音楽が「女王メアリー」によって、大いに評価されたことの裏返しだといえなくもない。
夫ウィリアム3世との共同統治者としてイングランド・スコットランド・アイルランド女王であったというから「ブリテン諸島」に君臨する王族であったこと、
そして共同統治した夫のウイリアム3世とは、歴史で習った「オレンジ公ウイリアム」であること、
夫との共同統治の意味は、よくわからないところであるが、複雑な「政略結婚」の様相があり、夫にブリテン諸島の統治権を全面的に渡せない背景があったものと推測される。

宗教や領土問題が錯綜する中、メアリーは、伯父「チャールズ二世」の指示で、代々オランダ(ネーデルラント連邦共和国)の統領を世襲するオラニエ=ナッサウ家のウィリアム3世と結婚する。ウィリムの母メアリー・ヘンリエッタは、チャールズ2世の弟でメアリーの父、ヨーク公ジェームズの姉であった。
つまり親戚同士の結婚であるが、複雑すぎて系統図でもない限り、よくわからないことが多い。

人物相関は複雑だが、このようにして、ウィレムがオランダ統領のまま、ウィリアム3世として女王メアリー2世とともにイングランド、スコットランド、アイルランドの王位に就くことに議会も同意し、「ウィリアム3世とメアリー2世」の共同統治が始まった。イングランドでは流血を見ることなく革命が成立したので「名誉革命」と呼ばれる。

なるほど、やっと史実として知っているあの「名誉革命」のオレンジ公ウイリアム・・・オレンジは果物ではなく、オラニエ=ナッサウ家・・・つまり「オランダ」を意味するものであった。

夫はいつも戦場に出かけ、城を空ける日々が長く続いたというから、メアリーは寂しさを紛らわすために、音楽会、舞踏会などを頻繁に催し、「パーセル」は彼女の庇護の元で、活躍したことであろう。
こうしてメアリー」と「パーセル」は出会うことになるのだろうか。
そこに「恋愛感情」が生まれなかったとも限らないのではないか。

「メアリー女王葬送のための音楽」は、イギリス国教会の葬儀様式をテクストにして作られ、「女より、生まれし者は」を2つの部分に編成し、始めと、終わりには、2つのティンパニと金管楽器により「葬送行進曲」をおく配置となっている。金管楽器による

ドローン・ド・ド・ド・ド・ドーンと不気味に、地の底から這い上がってくるようなティンパニ鼓の音に、トロンボーンそしてトランペットが「神の声」、あるいは「神の守護」を祈るように、深い淵響いてくるかのような神妙なメロディを奏でる。

当時「天然痘」が流行し多くの人が亡くなったといい、「女王メアリー」も天然痘で亡くなったとされる。
「パーセル」がこの曲を作ったのは、「メアリー」の葬儀が行われた1695年3月3日」であったという記述があるという。1694年12月28日に、エアリーがなくなって2ヶ月後のことであった。

「女より、生まれし者は」
「われら命半ばにも、死に望む」
「われらの心の中を、知りたもう主よ」
上のテクストが歌われる間に「カンツォーナ」・・・金管楽器の合奏が入り、前後を「行進曲」で挟むという構成のようだ。
イギリス国教会のテクストはわからないが、「ミゼレレ」などのコーラスも聞こえてくる。
「葬送行進曲」は背筋が寒くなるように地の果てから非牧羊だ。

演奏は
ジョウン・エリオット・ガーディナー
モンテヴェルディ合唱団、管弦楽団
ERATOの古いLPより
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by noanoa1970 | 2006-10-21 14:46 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

Commented by aosta at 2009-10-02 05:58 x
noanoaさま

おはようございます。
昨日はお尋ねくださいましてありがとうございました。

メアリー女王についてのヴォリュームある記事、読ませていただきました。この時代の英国史は入り乱れて一筋縄ではいきませんね。
オランダとイングランドの関係またスペインの関係、はたまたイングランドとスコットランドの関係など、さまざまな要因が力関係に影響し歴史を複雑にしていますね。
私も歴史は好きなのですが、歴史年表や系図を見なければ頭の中が整理されません(笑)。
個人的にはスコットランドのメアリーなど興味がある女性です。
(メンデルスゾーンの「スコットランド」もメアリーに因んだものだったようにも思いますが、どうだったでしょう・・・)

私はガーディナーと言えば、きびきびとした理知的で彫りの深い演奏をイメージいたしますが、この「エアリー女王のための」音楽はどうなのでしょう。
地の底から這い上がってくるようなティンパニーの音・・・
ガーディナーがどのような演奏をしているのか聴いてみたくなりました。
Commented by noanoa1970 at 2009-10-02 11:21
aostaさん
さらなるコメント頂きありがとうございます。
>メンデルスゾーンの「スコットランド」もメアリーに因んだものだったようにも思いますが、どうだったでしょう・・・)

これは大変興味があります。
至急調べるようにしてみます。何か解ればご報告したいと思います。楽曲中になにかヒントが隠されているやもしれませんから、その意味でも興味がわきます。