ブリテン諸島の近代音楽

『子供というのはどれも、大人がまだ子供だったころの話を聞きたがるものだ。口づてには聞いているものの、まるで会ったこともない伯父さんやお祖母さんの上に想像の翼を広げるのが好きなのだ。(夢の子供たち――ある幻想)』舟木訳

「チャールズ・ラム」というイギリスのエッセイストの代表作、「エリア随筆集」の中の「夢の子供たち」と題される文章の一部である。

「エルガー」は、その書物に触発されて、「夢の中の子供たち」を作曲したと言う。
2つのパート・・・「アンダンテ、アレグロ」からなる小品だが、そこには・・・・・・冬の夜、炉辺に集まった子供たちに、大人の誰かが、昔自分が子供だったころの話をする、子供たちは今の自分と対比しつつ、半ば同調し、半ば違いを認識したりして、寒い夜を暖かく、楽しく、そして不思議で、幻想的な思いを伴いながら、夜はだんだん更けてゆく。
大人は、昔の話を誇張して語るものだから、子供の空想は果てしなく広がる。
お化けに出会った話なら、ブリテン諸島ではそれは、「妖精」=フェアリーとの遭遇。
少年時代の空想的冒険話などなど、現実と、空想を織り交ぜた話は尽きないのである。
一昔前の子供たちは、このような話の数々を「大人たち」から聞いて育ったものだ。

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曲調からはそんなことが想起されるほど、穏やかで、愛情に満ち溢れる印象だ。
「愛の挨拶」と言う有名な美しい曲があって、バイオリンのソロでも弦楽合奏でも、どちらも代浮きだが、この「夢の子供たち」はまさに「愛の挨拶」の延長線上に立つ作品だと言えるのではないかと思う。

「エルガー」は、行進曲、バイオリン・チェロ協奏曲、が有名、中でも変奏曲エニグマ・・・これは文字通り、実に「謎」の多いい曲、小生は謎を解き明かそうと、各パートで明かされた人名単語の頭文字をアナグラム風に並べてみたりなど、・・・いろいろな実験を行ったが、いまだに「謎」は解明し切れていない。

なぜか今、ふと思い出したのが、「ヴォーン・ウイリアムズ」の小品、「あげヒバリ」・・・小生は、なぜこの曲を「あげヒバリ」と訳したのか、いまだに疑問なのだが、そしてそのように広めた人間を呪ってやるのだが、
およそ文化的とは言えない下品で、センスと言うものが感じられない訳であるから、・・・そしていまだにこの駅を、そのまま使う業界の習慣をどうかと思うのであるが、あいも変わらず考えなしに未だに使い続けている。

「空に(空高く)舞い上がるヒバリ」とでもしたほうが様子がよくわかるし、かえって詩的であると思うのだが・・・・最近「ヒバリ」が高い空でさえずっている光景など、都会では見ることができないので、40代前の都会育ちの業界人間には何のことか理解できないのかもしれない。

クラシック音楽のそれよりJAZZのほうがずいぶんウイットとセンスがある訳が多い。

エルガーは「神の国」を、そしてエスカリオテのユダをキリストを裏切った男として描かないとされる「使徒たち」を書いたが、これは残念ながら未聴である。「ダヴィンチコード」ブームの今、音盤が望まれる。


エドワード・エルガー/希望と栄光の国

このサイトにはエルガーのあらゆるものが掲載されていて、京都市中京区に「エルガー」と言う名前の喫茶店があると言うことまで教えてくれたので、リンクして紹介しておこう。

YOU TUBEにUPされた画像までリンクしてあるすごいサイトである。
よほどエルガーがお気に入りなのだろう。

MIDI音源も豊富だから、丁寧でわかりやすくできていると評価したい。
2007年、来年が「エルガー」生誕150周年であることも、このサイトで知ったこと。
多くの音盤が発売されるのを期待したいものである。

エルガーの作品は多くはなく、交響曲は3曲、3番は未完成だから実質は、2曲である。今ちょうど1番のこう曲国を聞いているがなかなかの対極である。
コリン・デイヴィスとLSOのライヴだが、これについてはもっとじっくり聴きこんでからにいようと思う。

今まで聞いた限りのエルガーは、たとえ小品と言えども、手抜きのないしっかりと地に足のついた印象を受けるから、多分何を聞いても安心して聞けるのだと思う。

伝統歌を引用したと言われる「序奏とアレグロ」は、ぜひとも聴いておきたい曲であるが、ピンとくる演奏に、未だめぐり合わずにいる。
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by noanoa1970 | 2006-10-07 09:00 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)