1962年の夏

その前年、小生は中学1年生で、名古屋の新興住宅地の団地で、暑い夏を過ごすことになった。家の向かいは、今まで警察のかなり偉い人が住んでいて、「警視」だという話を聞いていたが、転勤で、代わりに違う一家が引っ越してきた。

家族は3人、母親はいなく、新聞社に努める父親と、2人の男の子供・・・・兄は高等学校3年生で、良く勉強する姿が目に入り、母親は「向かいの子を見習って勉強しろ」と、口癖のように言った。彼は翌年県外の国立大学に入学したが、弟は小生より、2つ年上で、その頃高校1年生だった。

翌1962年大学に入った兄が家からいなくなると、弟は、父親との相性がよほど悪かったのか、いさかいの怒鳴り声が絶え間なく聞こえてきたが、父親は仕事の関係で家を空けることが多く、休日にはゴルフをしに行くのが日常であった。

そんな弟に道で会うのがなんとなく恐ろしかった小生だが、彼はいろいろ悪い遊びを教えてくれた。中でも思い出すのは、父親のゴルフボールを持ち出し、コンクリートの壁に其れをこすり付けて、中のコア部分を出すというもの。
削っていくとと中から袋に入った色鮮やかな、絵の具のような液体が出てくるのであったが、彼は「絶対触るな」とだけ言って、また次のボールを削っていった。
後に知ったのだが、その液体は猛毒で、液が目に入ろうものなら、失明する恐れがある代物であった。

彼の兄は勉強熱心で、勉強の合間にはクラシック音楽が良くかかって、いて其れが良く聞こえてきた。周囲に遠慮してか、音量は控えめで、2階部屋同士の小生の部屋にも聞こえてはきたが、さほど邪魔にはならず、今日は何を聞くのか・・・などと楽しみでもあった。
そして其れが毎日曜日の午前10時の日課のようなものであった、

その兄が大学に入った1962年の夏、今まで静かだった部屋から突然大音量でブラームスの1番の交響曲が聞こえてきた。兄が帰省したのかと思ったが、しばらくすると、窓越しに、必死な形相で指揮者のまねをして、一心不乱にタクトを振っている弟の姿が目に入った。
其れは延々と・・・全ての楽章が終わるまで続き、流石に疲れたのか、それからしばらくは音楽が流れなかったのだが、およそ1時間も経過しただろうか。
次に聞こえてきたのが、
イントロが胡弓の音にも似た中国風に始まる「ジーン・ピットニー」が歌う、「リバティバランスを射った男」の映画主題曲・・・正確には映画の中では使われなかったから主題曲でなく、いわばイメージソング的な存在であったであった。

ブラームスとジーン・ピットニーはこのようにして1962年の夏休みのある日まで、絶え間なく流し続けられたのであった。

ブラームスのほうはコロムビアクラシック大全集の中に、「レオポルド・ルートヴィッヒ」とハンブルグ交響楽団の演奏があって、たまに聞くことがあったが、向かいからの其れは、小生のものより数段迫力があった。
多分トスカニーニとNBCの演奏であったのだろうと、今は思っている。

d0063263_1259472.jpgしかし「リバティバランスを射った男の(映画主題曲)」は、映画も見てなかったので、その物語の内容も全く知らずにいて、イントロのアジア風なメロディと、「ザ マン フーショット リバティバランス」と繰り返すところのみが印象的であった。
たまたま遊びに来た叔母が其れを聞いて・・・叔母はすでに映画を見ていて、ドーナツ盤を持っていたらしく、西部劇映画の(主題歌)で「ジーン・ピットニー」の歌だと教えてくれた。

余談だが、フィル・スペクタープロデュースにより、リッキー・ネルソンで大ヒットした「Hello Mary Lou」はピットニーの作品である。また「リバティ・・・」はバート・バカラックの作品でも有った。
映画はジョン・フォードが監督し、ジョン・ウエイン、ジェームス・ステュワート、リー・マービン
リー・バン・クリーフ、が出演した、剛と軟を対比させながら、悪に立ち向かう男の隠された友情を描いた異色の西部劇の名作。
後に何回も見ることになった。

しかしその夏の終わりのある日、アレだけ聞こえていたブラームスも、ジーン・ピットニーも聞こえなくなった。

夏休みも後数日で終わろうという有る真夏の午後の日、今朝は音楽も、指揮者の真似も全く見ることがなかったのを不思議に思っていると、向かいの家がなんだかあわただしい。
前の晩から行方が知れなくなっていた彼が、小生たちが「金魚池」と呼んでいた池に、浮いているのが発見されたというのだ。

池で泳いでいたのか、散歩中に誤って滑ったのか、あるいは自ら命を絶ったのか・・・・
何があったのかは分からないが、1962年の夏の、2階から見え聞こえる光景から、小生は「ただならぬもの」を感じていたから、やはり何か精神的なプレッシャーを強く受けていたのだろうと思っている。
あの一心不乱な指揮のマネ・・・しかも40分近くも休み無しで続ける・・・小生も、若い時はやったことがあるが、それにしても数分と持たないから、交響曲丸ごとのエアータクトは、尋常な精神状態では出来ないことだと思うからである。

あれから2度と「金魚池」に行くことはない。
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by noanoa1970 | 2006-09-16 10:15 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)